No.157「映画『大いなる沈黙へ』を見て」

  8月の始めに岩波ホールで上映していた映画『大いなる沈黙へ』を見に行ってきました。映画は大変な人気で上映40分前にいったにもかかわらず、一階下の会議室の奥まで長蛇の列でした。この映画はフランスの片田舎にあるカルトジオ会修道院のドキュメンタリーです。沈黙の中で生涯を過ごす観想修道会の生活が映し出されています。沈黙の修道生活ですから、当然、セリフも音楽も筋書きもありません。それでも見終わって満たされる至福の思い。光の陰影、風の音、修道士服の衣擦れの音、その慎ましやかな美しさ。是非多くの方に見ていただきたい映画だと思いました。監督が4ヶ月修道士と同じ生活をしながら、一日2時間だけカメラを回して撮影した映画です。真夜中に起きて祈り、また、短い睡眠時間にかかわらず労働し、また個室で祈るという生活。おのずと修道士たちの息遣いまでも伝わってくる画面から、見る私たちも自然と修道士たちの内面世界へ引きこまれてゆきます。私は「ああ、私はこの心象風景を知っている」と懐かしい温かいものに、次第に満たされてゆきました。沈黙の持つ創造的な力、癒しの力、その底知れない力に満ちた沈黙の時間と空間に、私はどれだけ助けられてきたでしょうか。沈黙とはただ言葉をしゃべらないという消極的な意味だけではありません。言葉を絶ったところから、私たちを根源で支えている源と一致するための旅路が始まります。言葉を超えた言葉、意味を超えた意味がそこに現れます。言葉を超えた言葉を聴くー意味を超えた意味が開示されるのを待つーそれこそが祈りの態度であり、信仰者の姿勢ではないでしょうか。最後に目の見えない修道者が至福に満ちて語る言葉「みんなはどれほど神様が恵み深いかを知らない」。宗教の価値を誰もが顧みなくなっているような現代。多くの人はこの修道士の言葉を信じられない思いで聴くかもしれません。でも簡素で厳しい修道生活の中で、修道士たちが沈黙の中で神と一致しているその至福をうらやましいと思う人も多いことでしょう。あまりにも忙しすぎる現代生活の中で、忘れ去られてしまったもの、この映画はその大切さを訴えかけています。