2017年1月22日礼拝使信


2017122日礼拝使信「神の国は近づいた」

聖書:マタイによる福音書4章12-17節 

                                                 石井智恵美



今日の聖書個所は、イエスがガリラヤで伝道を始める記事です。

洗礼者ヨハネの捕縛 

イエスは、ヨハネが捕らえられたと聞き、ガリラヤに退かれた。(12節)

ヘロデ大王の息子の一人、ヘロデ・アンテイパス王は弟の妻と結婚し、そのことを洗礼者ヨハネは律法に反するといって批判し、逮捕されます。権力の腐敗が放置され、正しい者が罰せられました。イエスは、ヨハネの宗教運動に加わったことがあるゆえに、ガリラヤというエルサレムから遠い地方へ退きました。イエスはただ身の安全を図って逃げたのではなく、深まる闇の中で宣教活動を始めたのです。ヨハネの捕縛によって希望はついえたのではない、ヨハネからバトンを引き継いで、イエス独自の宣教が始まったのです。

「悔い改めよ、天の国は近づいた」

そして、イエスの宣教の言葉「悔い改めよ、天の国は近づいた」は、「悔い改めよ、なぜなら天の国はちかづいたのだから」と訳しうる言葉です。つまり、悔い改めることによって天の国が近づくのでなく、まず、天の国が近づいている、だから、悔い改めなさい、とイエスは伝えているのです。人間の側の努力が先立つのではなく、神の側がこちらに近づいてくれているのです。“そこに安心して留まりなさい、信頼しなさい。この安らぎと信頼の内に留まれば、自分たちの過ち、間違いがわかるだろう、それを悔い改めなさい”と告げている言葉として読めるのです。

暗闇が深まったその時に、イエスはこの良き知らせを語り伝えました。イエスの思いは、たとえたもとをわかったとはいえ、洗礼者ヨハネの活動が「神の国」につながっていて、彼の逮捕でこの活動を止めてはならないという思いからであったと思います。

「悔い改めなさい、神の国は近づいたから」そこには、神の側からの溢れるばかりの愛が告げられているのです。人間の正義をまず立てているのではない、神の義と平和がそこではまず先立っているのです。イエスの覚悟と勇気、そして、先立ちたもう「神の国」に信頼し、つながって、苦しんでいる人々に述べ伝えたのです。

私たちは、人生の只中で予想を超えた出来事に出会います。先週は、牧師としてかなり深刻な相談を複数受けました。この世の中で、多くの人々が悩みと涙の谷の中で生きているという現実に直面させられました。そのとき、信仰の友からの一言が支えになりました。具体的なことを何か話したわけでもないのですが、「大丈夫、あなたは大丈夫だから」と、確信をもって言葉をかけてくれました。その友人の私への信頼が、本当に温かいものとなって私の心に注ぎ込まれました。「そうか、大丈夫だ、きっと、私の中に力がある」と思わせてくれたのです、私の中に力がある、と。悩みの中に囚われて、くよくよして、自分自身を見失いそうになったとき、友人は大きな目で私をみて、信頼という温かい力を注いでくれたのです。悲しみや苦しみといった感情の波のさらに深い所にある名づけることのできない命の力、一人一人の中にある命の力を気付かせてくれたのです。

イエスは、やはり同時代の人々に心に、神への信頼を呼び起こし、また、傷つき苦しんでいた人々の自分自身への信頼を取り戻させた人だったのでしょう。どんなに闇が深まっても、いや、闇が深まれば深まるほど、イエスが伝えた「神の国」は光輝き、道を照らすのです。だからこそ、多くの人々がイエスにひかれ、生きる力をイエスからくみ出すことができたのでしょう。

■神の祝福の回復

 イエスが開始した宣教は、律法体制の中でがんじがらめになっていた人々の良心を解放してくれました。そして、“罪ではなく神の恵みに、今、ここに来ている神の国の現実に目をとめなさい”ということに尽きると思います。イエスは“自分の小ささや愚かさ、罪深さに目をとめるのではなく、神の恵みの大きさに信頼し、安心して生きてゆきなさい、すべての人が神に愛されている神の子なのだから”と語りかけています。そして、イエスが宣べ伝えた生き方は、世代を超え、時代を超えて、多くの人々に賜物を与え続け、絶望や嘆きの中から立ち上がる力を与え、人生を生き生きと歩んでゆく力を与えて続けています。この信仰の歩みは生涯つづいてゆきます。「神の国は近づいた」というイエスの宣教の始め。それが、どれだけ大きなことを引き起こしてきたでしょうか。どれだけ多くの人々の人生を励まし、力づけてきたでしょうか。
 この「神の国は近づいた」というイエスの良き知らせを受け入れることは、天地創造のはじめに、神は一つ一つの被造物を良しとされた、という祝福の中に生きる、ということでもあります。イエスが宣べ伝えた「神の国」の現実は、まさにこの原初の神の祝福を回復することだから。なんと素晴らしい、なんと美しい、なんと善きもの、この世界に、この命を肯定する神の祝福です。イエスの伝えた「神の国は近づいた」この喜ばしい訪れを信頼して、今週も歩んでまいりたいと思います。