使信 2016.05.15


2016年5月15日聖霊降臨節第1主日まぶね教会創立50周年記念礼拝Ⅰ
使信「聖霊の息吹を受けて」聖書:使徒言行録2章1-11節
石井智恵美

ペンテコステおめでとうございます。
そしてまぶね教会創立50周年おめでとうございます。

■一枚の写真

先週、Uさんの転入受け入れのために、現住陪餐会員名簿を整理していたら、表紙の次のページに掲げられた写真が目に留まりました。この写真は、撮影者が誰なのか、いつ撮影されたかもわかりません。これは初代牧師の善野先生が並々ならぬ決意をもって、ここに掲げたのだろう、と想像しました。今日、創立50周年の記念礼拝で皆様に紹介するのがふさわしいと考えました。林を背にした会堂の十字架の正面に、若竹が高い空に向かってすっくと伸びており、まるで、これからのまぶね教会の前途を象徴するかのような若々しい希望に満ちた写真です。この若竹のように地域に根差して、のびのびと枝を張る教会。その最初の貴重な若い枝が、今、この地で育っているのだ、とも読み取れる写真です。そしてこの若竹は、教会の会堂ではなく、天を指しています。天こそが、主人公。教会とは、イエス・キリストがそうであったように、神の国を指し示すもの、そのような者たちの集まりという心意気が伝わってくるような写真です。写真の下に善野先生の文字で、「日本基督教団まぶね教会 創立1961・1・17 城南ヨハネ伝道所と称す、献堂 1966・6・12 まぶね伝道所と改名」とあります。これが、まぶね教会の原点なのだ、と心が熱くなりました。善野先生の開拓伝道にかける希望と夢と覚悟が伝わってくる写真です。

■まぶね教会の歩みの中で

私がまぶね教会に赴任して6年がすぎましたが、教会創立50周年の節目に、こうして牧師としてメッセージを語る栄誉と責任を与えられたことを、光栄に思うと同時に、大きな責任もまた感じている。もうすぐ出来上がる記念誌の原稿を読んでも、まぶね教会の50年の歩みが、どれだけ恵みに満ちたものだったか、皆が真剣に神の前に自分の生き方を探り、イエスに従ってゆく歩みを歩んでこられたかを実感することができました。また、教会の中で困難が多々あっても、ひとつひとつ乗り越えることのできる助けと力をいかに与えられてきたか、を知ることができ、まぶね教会に与えられた神の導きと祝福にまず、感謝したいと思います。教会の見える歩みも、また、隠された見えない歩みも含めて、すべてが祝福されてきたことを感謝したいと思います。その歩みの中で過ちも、誤解もあったかもしれません。それらを神の前に許しを乞い、傷ついた人々の心が癒されるように祈りつつ、イエス・キリストに従って神の国を指し召す群れとして、これからも歩み続ける覚悟の内に、今日の記念礼拝を共に祝いたいと思います。

■聖霊降臨の出来事

今日、ペンテコステ・聖霊降臨の出来事は、教会の誕生の時、と言われます。
教会の原点はこのペンテコステの出来事にありました。キリストの昇天の後も、キリストの約束を信じ、ひとつとなって共同体を形成していた群れ。一つとなって祈っていた群れが聖霊の息吹を受けて、聖霊に満たされて、驚くべき奇跡が行われました。それが初代教会の始まりだったのです。まぶね教会の決して平坦でなかった50年の歩みは、常に、この聖霊の息吹に導かれたからこそ、今日まで歩んでこれたのではないでしょうか。聖霊は常に新たに物事を造り替えます。そこには、神の創造の業が常に働いているからです。この聖霊を受けて、私たちもまた50周年という節目の年にさらに新たにされて、新たな50年をさらに歩んでゆく力と勇気が与えられることを願う。それは「まぶね」の名に示されるように、この世の中で「居場所」のなかったマリアとヨセフと赤子のイエスを受け入れたように、私たちの教会が常にイエス・キリストの生き方にならい、居場所のない人々の居場所となる教会であることを通して、そして、聖霊の息吹を受けるために、自分の独りよがりな思いを手放して、神の前に空っぽになることを通して、神の御業が働く教会となってゆくでしょう。そして異なっているからこそ、対話を深めて互いに受け入れあう群れとなること。その原点に立ち返ることを、今日、ペンテコステの記念の日に、心に刻みたいと思います。さらなる50年を目指して、今日この日から、歩みだしましょう。