使信 2016.11.06


<2016年11月6日降誕前第7主日礼拝使信「神の民の選び」>
聖書:創世記13章1節―18節 石井智恵美

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/私が示す地に
行きなさい。/私はあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高
める/祝福の源となるように。/あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪
う者をわたしは呪う。/地上のすべての氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。(創世記12:1-4)


                                             【永眠者記念礼拝の写真】

■かけがえのない人からの励まし

本日は永眠者記念礼拝です。
天に召された兄弟姉妹のことを思い起こす時は、一つ一つの具体的な出来事を思い起こします。私たちがその人々との関わりの中で、豊かにされ、助けられ、教えられたことを思い出し、心が温かくなり、また悲しみに満たされます。
それはその人を心から愛していたしるしです。その人のかけがえのなさは、何によっても埋めることができないのですから。心から愛していたその人々のその生き方から、今いのちを与えられている私たちは、よりよく生きることへと励ましを受けます。そのことを思い起こすために、私たちは今日、ここに集まりました。
それぞれの人生の中で、神がその人に呼び掛けた出来事が必ずあったはずです。信仰の父・アブラハムに神が呼び掛けたように、その人その人に固有の呼びかけがあったはずです。アブラハムの生き方を思う時に、聖なるもの、真実なるもの、混じりけのない純粋なもの、と私たちはどれほど出会っているか、そして、それに従って生きているか、また、神から与えられた命を、十分に輝かせて生きているか、自分と隣人を生かすために本当に用いているかどうか、あらためて問われます。逆に、与えられた神の命をゆがめたり、嘘をついたり、曲がった方へと進んでいないか、問われています。

■亡き人と出会い直す

天に送った兄弟姉妹との様々な思い出を携えて、皆さまはここに集まったことでしょう。後悔の思いをも持たれている方もいるかもしれません。あの時なぜもっと優しい言葉をかけられなかったのか、どうして、傷つけてしまったのだろうか、と。でも幸せな思い出、美しい思い出も多々あることでしょう。後悔の思いは、神様に託して、赦してくださいと祈り、また、幸せな思い出にはそれが与えられたことに感謝をして祈りましょう。
そのような故人との対話の中で、私たちは与えられた人生の時をよりよく生きてゆくように成熟させられてゆきます。折々の故人との対話の中で、ああ、あの時の出来事はこういうことだったのか、と故人と出会い直します。そこにまた、人生のだいご味があります。そして、今、私たちに与えられているいのちが、奇跡のようなものだと知らされます。
神がアブラハムを選び、祝福したように、私たち一人一人に神の選びがあり、祝福がある。一人一人に託された神からの使命があります。生きている限り、それが一体何かと問い続け、自分の思いではなく、神の御旨がなるように、とそこへ向かって一歩一歩、歩んでゆきます、すると、その人だけの美しい軌跡が、記されているのが私たちの人生ではないでしょうか。人生はわたしたちの思いを越えています。そこにこそ神の恵みがある。
そのことを信じることができる人は、苦難の中にあっても強くなれます。

■亡き人のまなざしが導く

いのちは「意味」を越えています。人間の側からの意味付けなどを越えて、私たちに与えられているものです。人生を生きることは決してきれいごとではありませんが、醜さ、
弱さ、みじめさをもすべて含めて、いのちです。
時にきらめくような美しさも輝かせるいのちです。
イエス・キリストはすべての人のために死なれました。それはすべての人を生かすために死んだということです。そして復活なさった。信仰者の歩みは、すべての人を愛されたイエスの生き方に従ってゆくものです。今日、永眠者記念礼拝の時、天に召された兄弟姉妹のまなざしが、生きているわたしたちに注がれています。そのまなざしがまた、わたしたちをより良い生へと導いてくれています。生前の交わりを心より感謝し、その思いを祈りと共に神へ捧げましょう。