追悼:Y・Sさん「生きるにも死ぬにも」

 2月3日に私たちの愛する姉妹であるY・Sさんが入院先の病院で肝硬変のため天に召されました。享年87歳でした。「さて、わたしの人生も大詰めに近づいてきました。最後はあまりみっともないことにならないように(孫の手前もあり)と願うことですが、こればかりは自分の思い通りになるものでもなく、ただただ恵みによることなので、祈るよりほかありません。「これまでのように今も生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(フィリピ1:20)と心から祈れるものでありたいと思います」(Y・S「クリスチャンらしく?」『まぶね便り』第4号 2010年10月発行 )

 ここから、今日の聖書の言葉を選ばせていただきました。Sさんが、心からの祈りとして願った言葉。これは、使徒パウロが迫害によって捉えられ獄中にあった時に、書き送った手紙にある言葉です。「生きるにも死ぬにも」という言葉、裁判の判決によっては死ぬこともありえる、そのような状況の中で、私の身によってキリストがあがめられるように、と願っているのです。キリストはその十字架と復活によって、すべての人を神の恵みのもとに呼び集めてくれるお方。その方こそがあがめられるように、と。

 2010年のまぶね便りで、今から6年前のSさんの言葉です。Sさんの最後の胸の中には、この祈りはあったでしょうか。この祈りが祈られていたでしょうか。人は生きたように死んでゆく、と言われます。Sさんが、自分を欠点も認めつつ、それらすべてを含めてクリスチャンらしくない自分を反省しつつ、でもこのように私は生きていますよ、とちゃめっけたっぷりに記しておられるまぶね便りでの文章を読むと、大らかに喜びを持って信仰生活を送っておられたSさんが浮かび上がってきます。そう、そのままでいいよ、神様はすべての人を恵みの内へと、キリストを通じて呼んでおられるのだから、しゃちほこばってクリスチャンらしくあろうとしてなくてもいいですよと、呼びかけておられるような気がします。あなたの中にキリストの愛があれば、それでいい、と呼びかけてくださっている気がします。素晴らしい信仰の先達をまた一人天に送りました。地上での別れは悲しいことですが、天国への凱旋を果たしたSさんを、今日心からほめたたえたいと思います。また、そのようにSさんの生涯を導いてくださった神に心から感謝を捧げます。