使信 2016.09.04

<2016年9月4日使信「神の僕として生きる」>
聖書:ペテロの手紙1 2章11-25節 石井智恵美
【大分県立殉教者記念公園の記念碑のレリーフ】


■13節 主のために、すべての人間の立てた制度に従いなさい。

それが統治者としての皇帝であろうと、あるいは悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために皇帝が派遣した総督であろうと服従しなさい。 今日の聖書の箇所は、現代のわれわれには難しい箇所です。たとえどのような権威でも、政治的な権威にしたがいなさい、というペテロの手紙です。これを、どう読んでゆくかが信仰者に問われています。
政治的な権威には従いなさい、という勧めを私たちはどう読めばいいのでしょうか。この時代、多くの人々は終末がすぐにもやってくることを信じていました。ペテロは、私たちはこの世においては「仮住まい」の者、「旅人」である、と記しています。
ペテロも、この世のことは仮の出来事、という理解の上で、政治的な権威には従え、と勧めているのです。しかし、悪法に従う必要があるのだろうか、と現代人の私たちはやはり考えます。政治的な支配者の判断が必ずしも正しいとは限りません。だからこそ民意を示すことが重要なのです。もちろん民意が正しいとも限らない。しかし権力は必ず腐敗するから、権威は疑ってかかれ、ということを、2000年の歴史の中で人類は学んだのではないのでしょうか。多く血が流され、その結果、現在、個人の信教の自由が憲法で保障されています。だから私たちは13節のすべての人間の立てた制度に従いなさいという言葉を、聖書の言葉だからと絶対化することはできません。しかし、ここは日常的な迫害の状態にあったキリスト教徒たちに語り掛けている言葉であるという文脈を忘れてはならない、と思います。当時の教会の指導者たちは、決して安楽な場所にいて、つまり迫害をする者たちを肯定してこの言葉を発しているのではない、ということなのです。同じ苦しみを味わいながら、汗を流しながら、涙を流しながら、この言葉を書き送っていると推定できるのです。
私は夏期休暇に熊本大分の旅をし、大分県立の殉教記念公園を訪ねることができました。1619年にキリシタン禁教令が出され、その後1659年に豊後崩れというキリシタンの迫害が起こり、一説では約1000人ものキリシタンが殺され、この殉教記念公園の周辺の葛木では、約200人の老若男女が殉教したといわれています。日本という土地で、実際にキリスト教の迫害が起こった場に立つことで、「私もその中の一人だったかもしれない」と思い、犠牲になった方々の無念の思い、迫害の中で信仰を全うした強さなどなど、さまざまなことを感じることができました。
政治的な権威と信仰が対立する場合が、歴史の中でしばしば起こりました。その時に、私たちはどうするのでしょうか。聖書の中には、旧約に伝えられる預言者の存在があり、彼らは神に命じられて、腐敗した権力を批判する活動をつづけました。イエスの活動もここに連なっています。(しかし、)このペテロの手紙の言葉も、当時迫害を耐え忍んでいたキリスト教徒たちへ書かれた具体的な勧告です。彼(手紙の著者)もまた迫害に直面しながら、苦しみを共にしながら、この言葉を悲痛な思いで書き送っているのです。志を同じくする仲間たちに、悔しい思いを共有しながら、いたずらに権威に歯向かって死に急いではいけないといさめているのかもしれません。いのちを大事にしなさいといっているのかもしれません。殉教するにもときがあるといっているのかもしれません。
私たちにも、具体的な苦しみに直面するとき、この言葉の意味が開かれてくるのではないでしょうか。その時、今日の聖書の箇所が示すように、「旅人」「仮住まいの者」として生きているということ、であるからこそ、私たちは、永遠なるものに目をとめて生きること、神によって自由にされたものとして、神の僕として生きることを、心に刻みたいと思います。