No.158<被災地の現在―佐藤真史牧師の集中講義を聞いて>

  先週の火曜日、水曜日の午後、農村伝道神学校で開かれた集中講義「3・11を生きるキリスト教」に行ってきました。佐藤真史牧師(11月に按手礼を受けて牧師になられたそうです。おめでとうございます!)は、2013年の夏期集会にも講師としてきてくれ、被災地の現状を話してくれたので、記憶に新しい方も多い方も多いと思います。現在は、初期の緊急支援(援助物資の提供、瓦礫撤去作業、家の泥かき等々)から、中長期支援(仮設住宅に住む人々への支援、農家の自立のための支援、こども広場等)に内容が変わってきており、その困難さも様々に出てきていることを語られました。 特に、震災から年月が立つにつれて、人々から忘れられ、孤立化してしまう人々が出てきている。仮設住宅の中で、また引っ越しをした復興住宅の中で。それゆえ人々を「孤独死」をさせない、ということを現在は大きな目標として掲げているそうです。 エマオが支援活動の初期の頃から、非常に丁寧に人と人をつなぐ仕事をしていること、効率よりも、人とのつながり、出会いを大切にする「スローワーク」の原則で活動を続けてきたことに、改めて感銘を受けました。その中で、地域の人たちとボランテイアとの信頼が育ち、震災でばらばらになった家族、大人、こどもが再びつながり、被災者の御苦労に寄り添うことによって、若者が育っていっています。しかしこれは数値化したり、結果が明らかに見えるものではなく、伝わりにくいことなので、現地を知らない人たちとのギャップを覚えることも多々あるそうで、伝える努力をしてゆきたいと真史さんは、語っていました。
 東北教区では、仮設住宅に最後の人がいなくなるまでエマオの活動は存続させる、と決定したということ。この意義は大きいと真史さんも話していました。まぶねにつながる若い牧師のひたむきな活動から、また多くのことを学ばされました。 

No.157「映画『大いなる沈黙へ』を見て」

  8月の始めに岩波ホールで上映していた映画『大いなる沈黙へ』を見に行ってきました。映画は大変な人気で上映40分前にいったにもかかわらず、一階下の会議室の奥まで長蛇の列でした。この映画はフランスの片田舎にあるカルトジオ会修道院のドキュメンタリーです。沈黙の中で生涯を過ごす観想修道会の生活が映し出されています。沈黙の修道生活ですから、当然、セリフも音楽も筋書きもありません。それでも見終わって満たされる至福の思い。光の陰影、風の音、修道士服の衣擦れの音、その慎ましやかな美しさ。是非多くの方に見ていただきたい映画だと思いました。監督が4ヶ月修道士と同じ生活をしながら、一日2時間だけカメラを回して撮影した映画です。真夜中に起きて祈り、また、短い睡眠時間にかかわらず労働し、また個室で祈るという生活。おのずと修道士たちの息遣いまでも伝わってくる画面から、見る私たちも自然と修道士たちの内面世界へ引きこまれてゆきます。私は「ああ、私はこの心象風景を知っている」と懐かしい温かいものに、次第に満たされてゆきました。沈黙の持つ創造的な力、癒しの力、その底知れない力に満ちた沈黙の時間と空間に、私はどれだけ助けられてきたでしょうか。沈黙とはただ言葉をしゃべらないという消極的な意味だけではありません。言葉を絶ったところから、私たちを根源で支えている源と一致するための旅路が始まります。言葉を超えた言葉、意味を超えた意味がそこに現れます。言葉を超えた言葉を聴くー意味を超えた意味が開示されるのを待つーそれこそが祈りの態度であり、信仰者の姿勢ではないでしょうか。最後に目の見えない修道者が至福に満ちて語る言葉「みんなはどれほど神様が恵み深いかを知らない」。宗教の価値を誰もが顧みなくなっているような現代。多くの人はこの修道士の言葉を信じられない思いで聴くかもしれません。でも簡素で厳しい修道生活の中で、修道士たちが沈黙の中で神と一致しているその至福をうらやましいと思う人も多いことでしょう。あまりにも忙しすぎる現代生活の中で、忘れ去られてしまったもの、この映画はその大切さを訴えかけています。 

オープン・カフェードイツ風ニョッキを作りました!

【ドイツ風ニョッキの夏野菜ソースがけ つけあわせのサラダとNさんの手作り厚揚げに鶏挽き肉を入れた一品 Mさんの手作りふきの煮物】


 昨日のオープン・カフェではみんなでドイツ風ニョッキの夏野菜ソースがけ、を作りました。
私がドイツ留学中、「コレギウム・エキュメニクム」という教会が運営している寮にいたのですが
ドイツ人学生と外国人学生が半々。女性と男性も半々。神学専攻とその他の専攻の学生も半々という
構成でした。
フロアごとに共同の台所があって、いつも誰かが料理をしています。そしてそこでは、しょっちゅう持ち寄りパーテイーを開いていました。

そんな中で、ドイツ人の学生ヨハネスに教わったニョッキを、今回は作りました。
彼は調理師学校の教師になる過程を専攻。しょっちゅう、おいしいものを作って
私達にふるまってくれました。お返しに、私も日本食をごちそうしていました。
当時は、すしがブームになっていましたから、「寿司職人の皆様、ごめんなさい」
と心のなかで言いながら、お寿司を作ってはごちそうしていました。

さて、今回のレシピを紹介します。

1.じゃがいむを皮ごと蒸して、皮をむき、つぶしてふるった小麦粉と溶き卵を混ぜて
耳たぶくらいの柔らかさに練ります。
2.それを棒状にのばして、包丁で7,8ミリに切り手でコイン状にまるめ、フォークで表面に模様をつけます。
3.沸騰したお湯にニョッキを入れて、浮き上がってきたら、お湯から取り出します。

夏野菜のソースは、人参、玉ねぎ、アスパラガス、ズッキーニ、今回は鶏ささみを使いましたが
ハムやベーコン、ソーセージでもOK。食べやすく刻み、にんにくとオリーブオールで炒め、最後に
生クリーム、塩、ハーブ(今回はローズマリー)で仕上げます。

ソースは、何でもよいのです。定番のミートソースでも美味しいです。

出来上がりは、じゃがいもの甘さがほんのりと効いて、夏野菜の旨味がからまったおいしい一品となりました。

みんなで作って、みんなで食べる。
あたりまえのことですが、なんて豊かな時間なのだろうと思いました。

心のこもった栄養のバランスのあるものを、みんなで分かち合う。
食を分かち合うとは、心を分かち合うことです。

これは人間の基本の営みではないでしょうか。
でも、このあたりまえのことが成立してなくなっている人が
この日本でも大勢いることを思います。

一人ぐらしの皆さん、贅沢なものでなくていいからこころをこめて料理をして
「食」の時間をゆっくり取ってみませんか。
心と体が養われると、明日への活力も湧いてきます。

料理の仕方がわからないという方ー「まぶねランチのレシピ集」(100円)をお分けしています。

皆さん、身近な人と是非、ゆっくり「食」を分かち合う時間を持ちませんか。

まぶね教会のオープンカフェは第3火曜日の10時ー15時。
いつでも、お待ちしています。 

<懇談礼拝-尊厳死をめぐって>

 5月の懇談礼拝は、K・Sさんのお話で尊厳死をめぐってでした。終末期と
言われる数日から約3週間の間をどのようにすごすのか。

【教会の花壇の春の花々】

 現在は「胃ろう」をつけ「点滴」をして延命するケースがほとんどですが、それによってさまざまな問題が生じます。「そのとき」が来る前に、余裕をもって考える時間が必要だ、というお話でした。
懇談の時間では、家族を看取った遺族の方々からの重い発言が次々とありました。その方々の発言を聞きながら、私自身も10年前に家で看取った父の最後を思い出していました。「断末魔の苦しみ」という言葉がありますが、父を最後の瞬間まで「見守る」ことは家族3人でいくらエネルギーを注いでも足りない、と思われるほどの大仕事でした。終わりがいつなのかわかっているのなら、気持の張りを持たせることができます。しかし、その時がいつ訪れるのかわかりません。日常のさまざまな悩みとは別に、家族は死と向き合うことに耐え抜かねばならないのです。
 懇談での皆さんの発言を聞きながら、その記憶が蘇ってきました。また一人一人の発言から、あの時の決断は、本当にあれでよかったのだろうか、という人にはなかなか語れない後悔の思いも抱えながら、遺族は生きてゆくのだ、ということを実感しました。天国へ召された方の人生の重さ、それをまた抱えながら生きてゆく遺族の方々の人生の重さ。

「まっすぐに生きたいと思っていた。
 間違っていた。
 人は曲がった木のように生きる。
 きみはそのことに気づいていたか」 (長田弘「イツカ向コウデ」『死者の贈り物Ⅱ』)

という詩を思い出しました。
また、その人生の重さをこうやって分かちあえる教会という場はいいな、とここに集えることに感謝しました。 

<2014年受難節第1主日3・11東日本大震災祈念礼拝使信「誘惑を受けるイエス」>

聖書:マルコによる福音書1章12-15節
 それから“霊”はイエスを荒野に送りだした。イエスは40日間そこにとどまり、サタン
から誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。


【湖水の照り返し】
2011年3月11日東日本大震災。あれから3年がたとうとしています。
山浦玄嗣(はるつぐ)『何故と問わない』(教団出版局、2012)を読みました。その中で次のような言葉があります。

「今回のような震災が起きたことを『不条理』と捉える向きもありましたが、そもそも生そのものが不条理とも言えます。魚は人間に食べられるために、ある日巨大な網にからめ捕えられて殺されます。家畜の豚は、今日もえさがもらえると思って飼育員に走り寄ったら、屠られてしまう。人間だけそうした不条理にまったく遭わないという道理は通用しません。」「この地方の独特のスタイルに津波もあるのです。40年に一回は大津波が来て、人口の1割か2割がさらっていかれるのです。これは当たり前のことなのです。必ずこうなるのです。この世界はそういうふうにできているのです。それに文句を言っても始まりません。言うだけ無駄です。『何故』と問うこと自体に意味がないと私は思います」 
これは山浦氏の信仰告白だと私は思いました。

 我々の生は「不条理」です。イエスが神からの大いなる祝福の後にこの荒野の試みを受けたことは、この視点からわかる気がします。イエスもまた「不条理」を被る運命にある人間として生まれたのです。宣教活動を開始する前に、そのことをあえて凝縮して味わう必要がイエスにはあったのではないでしょうか。何故と問うこと自体意味がない、と山浦氏の言う厳然とした地球の秩序、神の秩序、その一部としての人間を、イエスは荒野で獣たちと共に体験したのではないでしょうか。

 「誘惑」=「試み」は、しかし結果がわかりません。それを体験しくぐりぬけたことで初めて克服できるものであって、自分が破滅するかもしれない危機と隣り合わせです。イエスが「霊」にあえて導かれて荒野に行き、試みを受けたことーそこには限りのない神の人間への愛があります。何故「試み」に導かれたのかはわかりません。しかし「試み」の中でこそ、実践的な知恵は磨かれます。主の祈りで「試みにあわせないでください」と私達は祈ります。時に「試み」にあっても乗り越えて行く勇気と力を私達に与え下さい、とこの受難節の時、祈ってもいいのではないでしょうか。しかしそれは「私」が中心になるのではなく、神が中心となる事です。神のことばを中心にすることによって、イエスも富、権力、奇跡を起こす超人的な力への誘惑を乗り越えることができたのです。
 3・11大震災の犠牲になられた人々、被災して立ち上がった人々、まだ、再建の見通しの立っていない人々、今、受難のただ中にある人々を覚えたいと思います。どんなに小さな歩みでも、受難の中にある人々と連帯しながら歩んでまいりたいと思います。試みを受けたイエスが、まず私達に先だって歩んでおられるのですから。 

東日本大震災を覚える祈り

3月11日に一番近い日曜日の3月9日。
まぶね教会では、「3・11東日本大震災祈念礼拝」を共に守りました。

詩篇46
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
 わたしたちは決して恐れない
 地が姿を変え
 山々が揺らいで海の中に移るとも
 海の水が騒ぎ、湧き返り
 その高ぶるさまに山々が震えるとも」

を司会者が読み、次の祈りを唱えました。

      <東日本大震災を覚える祈り>
司 会:主よ、2011年3月11日東日本大震災を覚えて祈ります。
    津波や地震によって亡くなった方々、行方不明の方々の魂が、
    あなたの御元で安らかに憩うことができますように。
会 衆: 主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 津波や地震で一瞬のうちに、家族や友人、大切な人々、
      家や財産、土地を失った方々の心の痛みと悲しみ、喪失感に、
      どうぞあなたが寄り添ってくださいますように。                           
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 仮設住宅や避難先で暮らしている人々の心身の健康が守られますように。
      そして地域の復興への希望を灯し続けることができますように。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:原発事故によって避難を余儀なくされた人々、福島で放射能に不安を覚えながら
     暮らしている人々を、特に子どもたちをお守りください。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:この大震災によって露わになった日本社会の不正義、格差、脆弱な姿を、   
     私達は目をそむけることなく見据えることができますように。
     そしてあなたの愛と平和が、この社会に実現するよう働くことができますように。
     特に被災した方々の尊厳が、大切にされる社会となりますように。
合 同:主よ、わたしたちをあなたの平和の道具としてください。
主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 

<2014年1月12日新成人祝福式礼拝・使信「あなたはわたしの愛する子」>

石井 智恵美

マルコによる福音書1:9-11
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受け
られた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊“が鳩のようにご自分に降ってく
るのを御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者」と
いう声が、天から聞こえた。


 今日は新成人祝福式です。日本では成人が20歳になっていますが、成人となった人々への祝福の礼拝です。先週は、通過儀礼という話をしました。今までの自分の限界を超えるような出来事を体験することで、自分への自信を深め新しい人生の段階へ踏み出してゆく大切さについて。成人と言うのは、大人として認められることです。しかし、何度も言われていることですが、そこには責任が伴います。だからこそ成人になるまでに実力を蓄えることが求められるのです。

友人の結婚式でお父様が話された話しを思い出します。成人式を迎えた友人が、目の不自由な人のボランテイアを継続していて、成人式が終わると振袖姿のままでそのボランテイアへ向かって行った姿を見たお父様がその感想を話されました。他者のために働くことを当たり前のように行っている娘を見て、よい娘に育ってくれた、その姿こそ本当に成人式だ、と語ってくれました。

他者と共に生き、他者の重荷を担い、また時には自分の重荷を担ってもらう、それが成人になることです。「自立」ということが言われますが、「自立」とは決して人との関わりを断つことではありません。関わりの中で、互いに責任を負いあうこと、ではないでしょうか。

今日の聖書の言葉「あなたは私の愛する子。私の心に適う者」これは神のイエスに対する承認の言葉です。神との深いかかわりがあって、イエスは宣教の業を始められました。新しい宣教の行為を始めるにあたって、イエスはこの承認を神から頂いています。自分だけで宣教の業を始めたのではありません。

わたしたちもまた、多くの人々の無数の関わりによって育てられ、養われて来ました。「自立」ということは、何よりも自分の人生を生き抜くことです。自分の課題、自分の使命を知り、それを担うことです。それは誰かが代わってやってくれるものではないのです。その重さ、厳しさはあります。しかしその重さ、厳しさを知っている人は、だからこそ、その人がより良い人生を歩み行けるよう、互い助け合い、支え合うのではないでしょうか。またその恩を、人を育てることによって返してゆくのではないでしょうか。そこに限りのない神の祝福があることを、私は信じます。 

2014年1月6日故Kさん告別式メッセージ「愛がなければ」

聖書:コリント信徒への手紙Ⅰ 13章1-13節

【Kさんの作品「自画像」2012年まぶね芸術展出展作品】


● Kさんとまぶね教会                             
 わたしたちの敬愛するKさんが、2014年1月1日天に召されました。享年78歳でした。入院先の病院で、死因は肺炎であった、そうです。元旦の朝、教会員のYさんより、電話でKさんの訃報を知らされました。
Kさんは、このまぶね教会の前身である城南ヨハネ伝道所の時からのメンバーで、いわば教会の草創期を支えた大切なメンバーのお一人でありました。1962年、キリスト教信者のTさんと船水牧師(東京神学大学教授)の司式で結婚されてから、城南ヨハネ伝道所、その後はまぶね伝道所の立ち上げへつながり、1966年には船水牧師より受洗された、と略歴にあります。現在、教会の小礼拝堂には若き日のKさん・Tさん夫妻とYさん夫妻が、「城南ヨハネ伝道所」の看板を前にした写真が掲げてあります。Kさんはすらーっとした好青年で、すてきにコートを着こなしています。
 Kさんは「受洗はうれしい思い出」として、『まぶね便り』2003年4月27日号に以下のような文章を載せています。「教会生活で得たこと――教会生活では数え切れないほど多くのものを得たと思う。まず、キリスト教に出会うことなく人生を送っていたとしたら、私の人生は社会的にも家庭的にも決してよいものではなかっただろうと思う。キリスト教との出会いは、40年前、つれあいのTからYさん夫妻を紹介されたときからである。T、Yさんには多くのことを学び教えていただいた。」そして、うれしかったこと、として、1966年6月5日に船水先生より受けた洗礼をあげています。
 私は2010年の2月にまぶね教会に牧師として赴任し、Kさんにお目にかかったのは確か3月。パーキンソン病が進んで車椅子でおつれあいのTさんと礼拝に来られていた。そして4月にあった座間での展覧会に、Yさん夫妻に連れられてまいりました。その時の感想を教会の週報に「絵の力」としてエッセイに書きました。Kさんの絵には人を動かす力がある、と心から感動しました。病のためあまり話をすることができないKさんに代わって、Tさんが絵の制作過程や題材について等、丁寧な説明をしてくださり、Kさんの作品を一人でも多くの人に理解してほしという情熱が伝わってきてKさんへの愛情に裏打ちされていることが伝わってきました。本当に素敵な御夫妻だな、というのは、お二人に出会ったときの第一印象でした。

●Kさんと油絵
 それから、入退院を繰り返すKさんを、何度かお見舞いし、2012年銀座のギャラリーで開かれた「自画像100点展」も伺うことができ、病の中でも創作意欲の衰えないKさんの生命力に圧倒される思いがしました。教会で開かれる秋の「まぶね芸術展」にも毎回出展をしてくださっていました。Kさんの絵は大作でしたから、いつもこの礼拝堂の正面の壁に掲げられました。
 しかし、意外なことにKさんが油絵を書き始めたのは略歴によると2002年。比較的最近です。もちろん、武蔵野美術大学で学ばれたKさんですから、絵の才能は豊かにおありになったのでしょうけれども、油絵を本格的に始めたのがそんなに遅かったとは本当に意外でした。Kさんが『まぶね40年誌』(2007)に掲載されている文章によると、以下のようです。
「私が本格的に油絵を描き始めたきっかけは、第一回まぶね芸術展(2004年)に出品したのが、始まりである。油絵を描いて見たい、という下地はあった。当時Nさんが週一回我が家に来て、Tと三人で水彩絵の具で描いていた。Nさんの勧めで地元の絵画サークルに入会した。サークルの合評会に作品を出したら、僕の絵には何か訴える力がある、大和市の一般公募展に応募するようにと勧められて応募した。結果的に審査委員長賞を貰った。私の生活が一変した。家にいるのが多かった以前とは違って地元の文化祭にも積極的に参加し、多くの人と声を掛け合うようになった。体調もよくなり歩く足取りも軽くなったように思う。会う人ごとに『元気になって良かったね』といわれる。」
私が読んではっとしたは、Kさんの絵を描く姿勢があらわれている次の箇所です。
「絵を描くにに上手い下手はないと思う。技法は未熟でも見る人の心を打つような表現はあると思う。それは無心になって書いた時で、少しぐらい拙い技法でも願いが叶う。一方知らず知らずのうちに高慢になり、上手くきれいに描こうなどと考え出すと、とたんに絵は描けなくなる。筆は動かず、勢いがなくなる。秘められた潜在能力は力を失う、と言われる。願いを叶える制作は固定観念や既成概念から解放されなければならない。」 今日のお話しを準備する私を、Kさんが励ましてくれているような気がしました。大勢の人の前で、特に悲しみの内にあるご家族の前で、良いお話しをしなければ、という自分の願いに縛られると、やはり、自由に話を組み立てることはできなくなって、つまらないものになってしまうのです。そういう自分の変な気負いを捨てて、自由にやりなさい、とKさんから励まされた気がいたしました。

●「愛の賛歌」
さて、今日選んだ聖書の箇所コリントの信徒への手紙13章は、有名な「愛の賛歌」と言われる箇所で、良く結婚式などでも読まれるところです。Kさんが、私の愛唱讃美歌、愛唱聖句として教会に残しておいてくれた箇所です。
元旦の晩に、Kさんのお宅を訪ねて祈りを捧げた後に、つれあいのTさんが「おとうさんは、“ふれあい”が好きだったね」というお話しをなさいました。カラオケでも中村雅俊の「ふれあい」をよく歌っていたそうです。また、Mさんからは、教会の壮年会の飲み会でエデイット・ピアフの「愛の賛歌」を朗々と歌って、Tさんに捧げたとのお話しもうかがいました。そんなKさんらしい箇所を愛唱聖句として選ばれたのだな、と思います。「愛がなければ」と今日のお話しのタイトルにつけさせていただきました。特に1-3節にその言葉が繰り返されています。
 「たとえ人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰をもっていようとも愛がなければ無に等しい。」
ここでいう「異言」というのは、聖なる霊が降りてきて普通には理解できないようないわば聖なる言葉のことです。そのような常人を超えた卓越した能力をもっていても、山を動かすような奇跡を行う力をもっていても、愛がなければ無に等しい、とパウロは言うのです。
また「全財産を貧しい人のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければわたしに何の益もない。」
貧しい人々に、全財産を施すという大きな慈善を行っても、また、次の言葉は、信仰に殉じて命を落とすことをさしていると思われますが、人々が賞賛するような立派な行いをしたとしても、そこに愛がなければ意味がない、とパウロは言うのです。
愛がなければ、そのような立派な行いはできないのでなないか、と私達は考えてしまいますが、使徒パウロはやはり長年自分の良心を吟味し信仰を培ってきた人であるゆえに、人間の心の奥深いあやを良く見ています。たとえ人から見てどれほど立派な行為をしていても、そこに愛がない場合がある、自分の名誉心や功名心が動機となっている場合があるのだ、とその事実をつきつけているのです。

● 愛の力
私はKさんが何故、この個所を選ばれたのか、と思い巡らしました。Kさんもまた芸術家として人の心のあやを深く見つめていた方ではなかったでしょうか。私はKさんの自画像の作品群を見た時に、なにか、こちらが普段隠している奥深い次元にまで触れてくるような不思議な感覚を覚えました。
そこには、「顔」として現されている形以上のものが、人の心の奥底にうごめいているものが表現されていると思いました。そのようなKさんだからこそ「愛がなければ」無に等しい、ということを普通の人以上に感じておられたのかもしれません。
今日のこの聖書箇所を素直に朗読してみてください。ただただ心を打たれます。
「愛は忍耐強い、情け深い、ねたまない、自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを偲び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
わたしたちの内にこのような素晴らしい力があるのです。愛という力がある。もちろん、このようなことを完全に行うことのできる人はほとんどいないでしょう。しかし、私たちの信じるイエス・キリストはまさにこの愛を実践した人です。この世界で、ただ愛に突き動かされ、神と人を愛し生きたイエス・キリストいう方がいた。
そのイエス・キリストに従おうという人々が、クリスチャンですから、たとえどんなに小さくても不完全でも、この愛の力を発揮しようとすること、そこにこそ、大きな意味があることを、又、Kさんも知っていたのではないでしょうか。
「たとえ、どれほどの素晴らしい芸術作品を作り上げたとしても、愛がなければ無に等しい」とKさんは信じていたのではないでしょうか。Kさんは次のような文章も残しています。「絵を描くのは楽しい。制作過程で苦しい時があるが、描き進んでいると夢中になる。私は油絵を描き始めた時から『顔」を描いている。自分を見つめているといろんな自分が出てくる。私は心が偉大なことを信じる。考え方を明確にして祈れば(願えば)神様は必ず力を下さる。求めよ、そうすれば与えられます。探しなさい、見つかります。叩きなさい、門は開かれます。(マタイ7:7)私は神様を信じます。」

●「愛がなければ」
絵を描きながらいろんな自分が出てくる、そして心が偉大なことを信じるとKさんは記しています。Kさんが、絵を描きながら究極的に見出したのは、心が偉大なこと、すなわち私達には無限の愛が宿っていること、そしてそのように人を造られた神への感謝と敬意ではなかったでしょうか。
「わたしは神様を信じます」の一言にその思いがこめられていると思います。今日の聖書の箇所にあります「愛がなければ」の言葉。このことを残された私達は、この地上の旅路を終えるその時まで、旅路の杖として歩んでまいりたいと思います。復活の希望をもって眠りについた兄弟姉妹たちと相まみえるその時まで。神が残されたご遺族の上に、特に豊かな慰めと癒しの御手を差し伸べてくださいますように、切に祈り願います。