クリスマス礼拝での秘かな出来事

 クリスマス礼拝で、使信を語っている真っ最中のことです。いよいよお話しも佳境に入るというその時に、ピンポンというチャイムの音が牧師館の方から聞こえました。反射的に体が動きそうになりました。「今、クリスマス礼拝のしかも説教の真っ最中何ですから、出られません」と心の中で叫びながら、それでも、ピンポン、ピンポンと鳴り続けます。きっと礼拝に参加されている皆様はつゆほども気がつかなかったことでしょう。誰か気がついてくれないだろうか、いや、この位置では無理であろう…一番、チャイムの音が聞こえる位置にいるのは、使信者である私です。すると礼拝堂横の教会の事務室のドアをたたく音がして、「すいませーん、宅急便です。」との声が2,3度ありました。「お願いです。今日はよりにもよってクリスマス礼拝なんです。集中して話をさせてください」と心の中で叫びながら、話を続けていました。またも、牧師館の方で、ピンポン、ピンポンとチャイムを鳴らす音。多分、宅急便の方は、何か物音はするし、人がいるはずなのに、なぜ出てくれないのだろう、と思っていたことでしょう。礼拝の真っ最中にいる牧師が心の中で、そのような戦いをしているとは、つゆ知らずに。その方が去って静かになった後、多分、ストレスからでしょう、きーんと耳鳴りがしましたが、なんとか持ち直して最後まで、話を続けました。今思い出すと笑い話ですが、その時は必死でした。礼拝、愛餐会が終わって牧師館へ戻ると、不在表は入っていず、いったいあの宅急便は何だったのだろう、ときつねにつままれたような気になりました。きっとこの間、クリスマスの様々な行事を忙しい中こなす皆様の中にも、人知れずこんな笑い話が生まれていたかもしれませんね。

【4本のろうそくがすべて灯ったクリスマス礼拝でのアドヴェント・クランツ】 

映画『楽園からの旅人』を見て②

 先々週に書いたまぶね日誌No.147のエッセイの最後の一文について「これは不用意な表現だから削除してほしい」とのコメントが教会員の方から寄せられました。「これは『まぶね』の映画です」という一文です。確かに字数が限られている中で展開不足の言葉でしたので、最後の一文を削除することに同意しホームページの牧師のブログからも削除しました。
そこで「これは『まぶね』の映画です」以下、字数があったら展開したかったことをここで書かせてください。「まぶね」教会が、泊まる場所のなかったヨセフとマリアの子・赤子のイエスを受け入れた飼葉桶(まぶね)にちなんで、この世の最も小さくされた人々を受け入れる教会で在りたい、と願って命名されたとのこと、まぶね教会の教会誌で初めて読んだ時に心から感動しました。教会はそういう場所でありたい、と。そして映画『楽園からの旅人』で老司祭は教会が閉鎖されたその晩にやってきたアフリカからの難民たちを受け入れ、まさにこの世で最も小さくされている人々を受け入れ、「まぶね」となった新しい教会が生まれるのです。そのような心ある人々の群れになるよう、私達の原点を指し示してくれる映画でした。
 この映画は司祭の物語でもあります。難民たちを通報せずに、こっそり町の医者を呼び診療してもらう老司祭。「あなたには初めて会うが…」というと、「ええ、私は無神論者ですから教会に来たことはありません」この医者はユダヤ人で強制収容所で信仰は捨てた、と告白します。2度目にこの医者が体調を崩した老司祭を訪れた時に、老司祭は若い頃の話を始めます。自分の内に熱い恋の思いがあったこと、それを何とかくぐり抜けたその苦しさをまるで告白のように語るのです、無神論者の医者の前に。そのような体験をくぐり抜けて司祭たることを、神の前に守り抜いてきたのに、晩年は教会を閉鎖され、病と孤独の中にいる老司祭。医者は黙って聞いている。その傾聴によって誰からも見捨てられているような老司祭の孤独につかのま安らぎが与えられます。難民の子供たちの天使のような瞳。赤子の誕生。まったく思いがけないところから神の恵みが与えられる。オルミ監督のこれも信仰理解でしょう。孤独に見捨てられた十字架上のイエスと老司祭の孤独が重なります。まさにその見捨てられたような孤独の中にこそ、神の恵みが働くのだ、と。今週、イタリアを目指していたアフリカからの難民の船が難破して300人以上の犠牲者が出たことが大きく報道されていました。世界の苦しみは終わらない。だからこそ神の深い慈しみも終わらない。そのことを信じ、祈り、行動したいと思います。 

映画『楽園からの旅人』を見て

前から見たかった映画『楽園からの旅人』をなんとか時間を作って見てきました。これは教会に通う方は必見の映画です。イタリアの片田舎の教会が閉鎖される所から映画は始まります。老司祭が「主よあわれみたまえ」と隣室で必死に祈りを捧げる中、礼拝堂からは十字架や祭壇、絵画、マリア像などが次々に撤去されていきます。特に天井から木製の十字架像が撤去される時、クレーンに吊るされてキリスト像がぐるぐると回り、まるで受難のキリストがもう一度愚弄されているようでいたたまれなくなりました。老司祭も耐えられなくなり教会の鐘を鳴らします。教会管理人はあわてて窓を割って電気室に入り電源を止めて「教会にはもう誰もこない、あなたにもわかっているはずです」と老司祭をたしなめます。教会に通う者にとっては過酷な現実ですが、これがヨーロッパのキリスト教が直面している状況です。教会の礼拝に来る人がいなくなり、売りに出される教会がたくさん出ています。しかし、この教会が教会でなくなった晩に「お客」がやってきます。夜中に「助けてください!」と戸をたたく女の声。けが人がいるらしい。外にはパトカーのサイレンが響いている。アフリカからの不法入国者達らしい一群が、空になった礼拝堂に無断で入りこみ、板や布や段ボールで寝床を作り身を横たえます。出エジプトのイスラエルの民のように。あるいは宿屋に泊る場所のなかったマリアとヨセフのように。聖書の物語を彷彿させる場面が次々に登場します。夜中に父親なしで赤子を産み落とす少女。それを親身に世話しその命を捨て身で守る売買春の女性。老司祭は赤子を見て夜中の祭壇の前で「来たりて拝め」の讃美歌を涙ながらに歌います。老司祭の孤独と難民達の孤独そして赤子のイエスの孤独が響き合うのです。翌日やってきた警察に老司祭は「ここには不法侵入者はいない。いるのは客だけだ」と答えて彼らを追い返します。教会が教会でなくなったその時に教会は教会となるのです。助けを求める放浪の人々の仮の安息の場に。老司祭は「教会は信者のためだけではない。すべての人のためにある」と宣言し「善行は信仰にまさる」と語ります。それに呼応するかのような「この世の秘宝は心ある人々だ」との難民の男の言葉に、監督の現代における信仰理解が現れているようでした。打ち寄せる大波が映画の最初と最後に映し出されますが、今ぎりぎりの命の危機に直面している人類というひとつの命の去来を暗示しているような映画でした。 

『静まりから生まれるもの』

 ヘンリ・ナウエン著『静まりから生まれるもの信仰生活における三つの霊想』、このテキストを新しく始まった王禅寺家庭集会で読み合いました。ヘンリ・ナウエンはもう亡くなりましたが、イエール大学やハーバード大学の神学部で教えていたカトリックの神学者です。晩年の10年は、そのような輝かしい業績の一切を捨てて、知的ハンデイを持った仲間達との共同体「ラルシュ」のカナダの共同体に入り、周囲を驚かせました。ナウエンの著作は、現代に生きる私達の孤独や苦悩に深く触れてくるものがあり、そこでこそ神は呼びかけていてくれることを平易な文章で語りかけてくれます。原題の「out of solitude」は直訳すれば、孤独の外側とでもなるでしょうか。日本語では孤独と訳されますが、“静まり”とこの本では意訳しています。人が独りであること―そこには寂しさという負の面と、煩わしさから解放され静まるポジテイブな意味での「独り」があります。Solitudeは積極的な意味での「独り」を現します。その「独り」は、自分自身との対話の時。そこで自分であることを取り戻し、自分でしかできない発見をし、神との対話に至るのです。私達が現代社会の成果主義、業績主義に振り回されている間は、たとえ物理的に独りになっても、真の意味で「独り」ではありません。また、他者の期待や要望に振り回されているのも同様です。人は「独り」になることを恐れます。しかし、静まること、自分自身であろうと欲する勇気を持つこと、そこにこそ神は語りかけてこられる、とナウエンは語ります。繊細な洞察に満ちた信仰生活に関するエッセイです。

【大雨と竜巻が去った後の青空。雲の形がいつもと違う。雲と空の青が輝いています。】 

<夏期集会報告ースローワークー寄り添いはゆっくり進む>

 今年の夏期集会のテーマは「スローワークー寄り添いはゆっくり進む」として、東北教区被災者支援センター「エマオ」の専従者であるM.Sさんを講師にお招きしました。M.Sさんはまぶね教会の元会員で、神学生として御奉仕を戴いた方ですので、この機会を皆さん心待ちにしていたと思います。全体で31名の参加でした。午前中の講演では、まず20分の動画を見て、ボランテイアやスタッフ、被災者の生の声を聞き、具体的な活動とその想いを聴くことができました。震災初期は、全国から集まった支援物資を配ったり、津波で流されて来た瓦礫の撤去、「泥かき」などの緊急支援に力がと注がれました。しかし、今は、中長期的な支援の時期になっていて、傾聴等の心のケアが必要とされていますが、ボランテイアが集まりにくくなっている、といいます。震災初期は、だまっていても人が集まったが、今は、いかにこちらから情報発信をしてゆくかが問われていると、M.Sさんは語っていました。被災地のことが報道されることも少なくなり、多くの支援団体が縮小・撤退してゆく中で、自分多たちは忘れられているのではないか、と孤独な思いを深める被災者が増えている、と言います。しかし、何よりも印象に残ったのは、避難所で出会ったSさんという方によって、現在、エマオが拠点にしている七郷・笹屋敷の地域に、ボランテイアを受け入れてもらうことができ、エマオの活動が軌道に乗って行ったということです。JOCS派遣のN医師が、地域のリーダーであるSさんに「若者を育ててくれませんか、希望を育ててくれませんか」と依頼し、それが心に響いたSさんが動いてくれたからです。「スローワーク」と「お祈り」を大切にするというエマオの基本方針は、取りも直さず自分と他者という人間を大切するということ、また人間を超えた大きな力の中で生きていることを自覚するということではなでしょうか。自分と他者と神(自然)。この交わりの調和の中で私達も生かされています。

 当日の献金は、「エマオ」と毎年献金をしている「道北センター」へ捧げられました。また、終わっての懇親会には19名の参加。M.Sさんを囲んで楽しい時をすごしました。

【東北教区被災者支援センター「エマオ」の2年間の活動報告。読み応えがあります。1冊200円。残部在り】 

こども夏期キャンプーみんなで祈ろう③

キャンプ二日目。朝の祈りを石坂さんが担当。それから皆で朝食。石坂さんが焼いた食パンとサラダ、ゆで卵。みんなきれいにいただきました。部屋の片づけを大体おえて、「みんなで祈ろう」のプログラムⅡ。みんなでもう一回、静かに姿勢を正して沈黙のうちに坐ってみました。今度は5分と思ったけれど、女の子たちのクスクス笑いが始まって3分で終了。今の世の中で、沈黙することの豊かさをどれだけの人が感じているでしょうか。いつか子どもたちもちゃんと知る時が来ると思います。今、ここに在ることを単純に喜ぶことが、本当の幸せだということを。いえ、こどもたちはすでにわかっているのです。でも、学校の成績や人と比べられる競争を通じて、そのことがわからなくなってしまう時がある。そんな時この体験を、安心と安らぎをこどもたちが思い出してくれるように、と祈りつつ前半を終えました。後半は、「祈りのぶどうの実」をみんなで作りました。三角の紙に、丸く切ったぶどうの実に見立てた紫の紙を張ってゆきます。そしてぶどうの葉っぱは、緑の紙に自分でデザインをし、切り抜いてもらい、そこに「聖フランチェスコの平和の祈り」の一節を、それぞれに書いてもらいました。そして、白い紙には、神様への願い事を一つかいてもらいました。1時間位の作業だったでしょうか。これは結構みんな集中してやりました。具体的なものがあるとやはり違うなあ、と思いました。

【町田リス園のリス】
農伝を出発してからは、「町田りす園」を見学。可愛いリスやうさぎ、カブトムシ、亀等、こどもたちは大喜びでした。お昼をいただいて、お隣の薬師池公園の大賀ハス(古代ハス)の群生を見学しました。お昼過ぎには龍野さんもお迎えに来ていただき合流。3時に教会に到着。そして閉会礼拝をしました。ここで、さっき作った祈りのぶどうの実をそれぞれが持ち寄って、「平和の祈り」を読み上げる中、「祈りのぶどうの木」に張ってゆきました。ひとつひとつのぶどうの実が、紙に書いた木に張られてゆくたびに、豊かになって行きます。最後にそれが完成した時の達成感。こどもたちにとってキャンプのひとつの成果が見えてよかったと思いました。



迎えに来たお母さんたちとすいかを一緒に食べて解散。
5歳の男の子は本当によくがんばりました。
協力して下さった皆様に本当に感謝です!


こども夏期キャンプーみんなで祈ろう②


【バーべーキュー。皆で切った野菜。一番人気はウインナー。みんなおいしく頂きました】

 キャンプの午後は、みんなで農伝の探検。学生や近所の幼稚園に貸し出している畑を見ました。さといも、かぼちゃ、きゅうり、トマト、とうもろこし、じゃがいも、バジル、等々、様々な野菜を作っていました。農伝の寮長に畑を案内してもらい「バジルはいくらでも生えてくるから、採ってもいいですよ」と言われ、早速摘んでみました。よい香りです。こどもたちにも、翌日おみやげにTさんが包んでくれました。こどもたちと農伝の道を散策すると、オレンジ色のきのこや、こぶのついたイチョウの木、セミやカマキリ、バッタなど発見の連続です。男の子たちは、虫取り網とかごをもって虫取りに夢中。女の子たちは固まっておしゃべりに夢中。ぐるっと回って寮の入り口まで戻ると、男のたちはハチの巣を発見。「危ないからハチの巣にはちかづかないでね」と注意しましたが、後から「ハチの巣をゆすって、ハチをみんなで追い出したんだよ」と報告にくる男の子が。大人がやってはいけないということをあえてやってしまうのが子どもなんだな、とため息。こういう冒険がこどもたちを成長させるとわかっていても、何か事故があったらと心配で、親御さんたちの気持ちが少しわかりました。
 夕方はバーべキュー。皆で野菜切りをしました。昨年、玉ねぎを切りながら涙を流していた男の子たち。「もう玉ねぎ切りはやらない。こんなのは女にやらせる」と女性差別発言が飛びたしたのにはびっくりしましたが、その男の子たちが今年は進んで玉ねぎ切りをやる、と言ってくれてとても嬉しかったです。一年の進歩を感じました。こどもは成長してゆくものですね。だからこそ、大人は良い種をまかなければ、と思わされました。炭おこしがなかなかうまくゆかなくて、苦労しましたが、焼き上がった野菜やお肉は最高においしかったです。豚肉と鶏肉と1キロづつ用意しましたがすべてなくなりました。山の中の澄んだ空気の中でゆったりと暮れてゆく時を楽しみながらのバーベキューは最高でした。終わっての花火大会。Aさんの差し入れです。「私もこどものキャンプが楽しかったから」と。子どもたちは花火を心ゆくまで楽しみました。終わってキャンドル・サービスを研修棟で。切った竹の中に水を入れそこにキャンドルを浮かべます。電気を消すと「きれーい!」と声があがりました。そしてスタッフのIさんのお祈りのお話。暗闇の中、温かい優しい声がこどもたちの心身に沁み入ってゆくようでした。

【竹のキャンドル。水の上にキャンドルを浮かべています。幻想的な美しさです。】

こども夏期キャンプーみんなで祈ろう ①

【農村伝道神学校敷地内で見つけたいちょうの実】

 毎年この時期に開いている夏期キャンプですが、今年は近場の農村伝道神学校をお借りして行いました。5歳から10歳までの男の子4名、女の子3名の参加でした。車で30分もかからないところですが、山の中で気持ちの良い場所。民家がないので遠慮なく子供達も遊ぶことができました。
 さて、曇りがちの天気の中出発。農伝に着くころには晴れ間が出て、嬉しくて、林のグリーン・チャペルで開会礼拝を始めたのはいいのですが、あっという間にヤブ蚊がやってきて、礼拝の間みんなそわそわ。子どもたちはまったく集中できていませんでした。私も自分の足に食われた跡を数えたら、両足合わせて60か所ほど。これでは子どもたちも集中できなかったはずでした。蚊取り線香をつける、虫さされスプレーをするのをすっかり忘れていたのです。
 気を取り直して研修棟へ。「みんなで祈ろう」のプログラム。5歳から10歳までの子供が飽きずについてこれるプログラムを考え「からだで祈ろう」としました。5歳のこどもに聖書の言葉を説明しても無理なので、とにかくリラックスして安心することを体験する、自分の体を感じてもらうというところから始めました。歌とゲームで自分のからだをほぐして、「きゅううりもみ」でお互いのからだをほぐすことをしました。そして3分だけ姿勢を正して沈黙の内に坐ることを体験しました。「お祈りをすることは、内へ内へ集中することだよ。それから、また内側から神様へ向かって出てゆくことだよ」と話しました。そして「お祈りは神様との対話だよ。そして人と人をつなぐものだよ」と。それを3分間だけ体験してもらうことをしたのです。やっぱり3分もすると、こどもたちはそわそわ。でも、いいんです。このリーンとした感じが、からだのどこかに残ってくれれば。いつか大人になって思いだす時が来れば。

「宗教の名のもとに―映画『汚れなき祈り』を見て」




「この世界には宗教の名のもとに行われた大きな過ちがあまりにも多い。しかも、それは正当な根拠に基づいて行われていると絶対的な確信をもって信じられている」(クリステイアン・ムンジウ監督)今週は、このテーマについて大いに考えさせられました。火曜日に神奈川教区の「セクシャルハラスメント・パワーハラスメント・モラルハラスメント」の学習会がありました。教会の中であってはならないことが起こり、それが正当な根拠に基づいて行われていると信じられている。その事例の数々を考えると、気持ちが重たくなります。しかし、それがあたかもないかのごとくに目を閉ざしてしまうことが一番いけないこと。まず、そのような事実がある現実を受け止め、そこからどのように変えてゆけるのか心を開いて話し合える場を作ってゆくこと、そのような地道な努力を続けてゆくしかないのでしょう。
 ムンジウ監督の映画は、ルーマニアの修道院で実際に起こった事件に基づいています。孤児院で育った二人の若い女性が主人公で、ヴォイキツァは修道院に入り信仰生活に満足しているが、アリーナは俗世で孤独な自分の方へ彼女を取り戻したい。その愛と信仰の葛藤の中、アリーナは精神を病み、常軌を逸した行動を度々起こします。病院に行き緊急の手当てを受け、かなりの重症であることを告げられますが、病院には空きのベットがなく、修道院の静かな環境で静養するのがいい、とていよく病院を追い出されてしまいます。修道院に帰ったアリーナに、責任者の神父は、ここは世俗のすべてを捨てて神との交わりに生きるところだから、急がなくてもいいが決断をしなさい、と告げる。ここにいる限り私有財産は放棄するか、それとも里親のところへ帰るかだと。アリーナは一端、里親のところに帰りますが、里親はすでに新しい養女を取ってアリーナの部屋を使わせていて、アリーナは衝動的に修道院へ入る、と決断してしまいます。しかし、修道院に帰ると、彼女の症状はますます悪化。女子修道院長は神父に悪魔払いの儀式を願い、引くに引けなくなった神父はそれを彼女の兄の同意のもとに行い、結局は死なせてしまうのです。ヴォイキツアは1週間に渡る悪魔祓いの儀式の間、神父に「おまえの信仰には動揺がみられるから、はずれていなさい」と言われます。事実、その後ヴォイキツアは、アリーナが縛られていた縄と鍵をほどいて「逃げて。ここにいたら死んじゃうわ」とアリーナに告げます。しかし、アリーナにはもう逃げる力さえ残されていませんでした。翌朝、アリーナが正気に戻ったという知らせを受け、飛んでいったヴォイキツアに、アリーナは晴れやかな笑顔を見せます。しかし、そこでこと切れてしまうのです。救急車が呼ばれ、病院で死亡が確認されます。そして警察が修道院にやってきます。神父や修道女たちと同行したヴォイキツアは、修道女の黒いベールをはずし、アリーナの残したセーターを着て、決意を秘めたまなざしで警察の車に乗り込みます。その強いまなざしは、神父のマインド・コントロールの外へ出たことを物語っていました。ルーマニアのギリシャ正教会という家父長制の強い性格のキリスト教、また呪いや奇跡が信じられている宗教風土もその背景にはあります。しかし、どの宗教の中にも、宗教者が集団の中の暴君になってしまう危険が秘められています。一度、悪い方向へ暴走を始めた時に、どこで歯止めがかけられるのか、その兆候をどこで見分けて、適切な判断を下すか、本当にどきどきしながら、この映画を見ました。最後の場面で、警察の車のフロント・ガラスに雪まじりの泥が、バシャっとかかり前がまったく見えなくなります。ワイパーでそれを拭きとりながら「春はまだ遠いな」と警察官がつぶやき、唐突に映画は終わってしまいます。それがとても、象徴的でした。雪のように純粋と思われる信仰の中に、泥のような悪が混じりフロント・ガラスにはねかけられて、前方が見えなくなる、しかも唐突に。ー人間はそのような混沌を抱えながら、現実を生きています。善も悪も抱えながら。その現実に立つ時に「私達にこそ絶対の救いがある」という言説がどれだけ危うさを含んでいるか、キリスト者として考えて行かねばならない問題です。それは神には言えても、人間には言えないことなのです。これこそが最善だと信じ、全力を尽くしても、最後の結果を神に委ねる謙虚さをなくしてしまった時、人間の暴走が始まるのではないでしょうか。特に小さな集団において、第三者の目が入らないところには、権力の暴走がはじまります。信仰とそのハラスメントのことは今後も取り組まねばならない現代の難問だと思います。 

佐藤研さん坐禅会のお知らせ

★講師プロフィール 立教大学教授。専門は新約聖書学。研究の傍ら参禅修行を30年以上続け、師家の
 資格(宗教法人三宝教団準師家)を持つ。坐禅は宗教を超えているとの立場から、キリスト者として坐禅を
 日々実践している。著書『禅キリスト教の誕生』(2007、岩波書店)他多数。

日時:6月29日(土) 10時-16時   場所:まぶね教会和室

<当日のプログラム>
 10:00 坐り方(経行の仕方を含む)
 10:20頃から坐禅(20分を1炷)。
 その後、講話(禅の3つの果実──その1)、続いて坐禅。
 12:00頃、昼食。
 13:00から坐禅(20分を1炷)。
 その後、講話(禅の3つの果実──その2 )、続いて坐禅。
 15:30頃、質疑応答。
 16:00 終了。

★参加希望の方は前日まで申込要。お弁当持参。参加費1000円。
 関心のある方はどうぞ、どなたもご参加ください。

★このプログラムは、まぶね教会が主催者の佐藤さんへ場所を提供するものです。教会のプログラムとして継続的に開催するかどうかは未定です。 

No.139 <認知症・しょうがい、と共にどう生きるか>  

 先週は、長谷川和夫先生を迎えての懇談礼拝で、テーマは「認知症」。チラシを700枚ほど作って地域に配布しましたが、7名の方が来て下さいました。このテーマの関心の高さが伺えました。長谷川先生は、長年の知見と経験から、ユーモアと優しさに溢れたお話しをしてくださいました。深刻なテーマにも関わらず、先生の温かいお人柄に、聴く私達も温められ、励まされたような気がしています。先生が、もう待ったなしで、地域で認知症の方々を支えなければならない時代がやって来ている、と警鐘をならされました。今回、認知症の予防についての詳しいお話しがありましたが、次回は、この認知症のケアを地域でどう担いうるのか、その人材をどう養成するのか、について是非、お話しを伺いたいと思いました。
 その日の午後は、読書会で荒井英子著『弱さを絆に』の中の「ハイジ、クララは歩かなくてはいけないの?」を発表しました。ちょうど、長谷川先生のお話と重なるところがたくさんあったのでご紹介したいと思います。ヨハネ福音書9章の目の見えない男の癒しの物語で、弟子たちが何故この男が見えないようになったのか、その理由をイエスに問う場面があります。「誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」と、イエスは「本人や両親が罪を犯したからではない。神の業がこの人に現れるためである」と答えます。英子さんはこのイエスの答えを、因果応報説による「罪」のレッテル貼りからの解放と、捉えます。この答えは障碍をもったままで肯定される、という希望と解放を、障碍者に与えました。しかし、もう一方で「神の業が現れるために」道具化される存在が障碍者なのか?そんなレッテル張りはたくさんだ、という失望もまた与えたのです。「神の業が現れるために」という言葉は、原語において、決してその「障碍」においてではなく、「この人に対して」すべての人に、というニュアンスで表現されています。ことさら「障碍」においてではないのです。「認知症」も「障碍」も、そのことを引き受けざるを得ない当事者にとっては、「何故、私が」と問い、周囲の人々も「何故、この人が」と問わざるえない不条理です。競争社会の中ではマイナスの価値しか与えられません。しかし、それをも信仰をもって受け入れ、障碍と共に生きることを始める時に、「神の業(重たさ・臨在)」が、現れるのではないでしょうか。その答えは当事者がまずもって発見するものです。そして「障碍」ゆえに被る社会的な不利益をなくすために変わるべきは私達である、と英子さんは重い提言を残しておられます

No.138 <大いなる家族ー戦後川崎ものがたり>

 5月2日(木)、ずっと楽しみにしていた川崎市民劇「大いなる家族」を見てきました。皆さんもご存じの通り、まぶねのMさんが出演するからです。 初日の晩は、5名がまぶねからは来ていました。初日だけあって、ほぼ満席の盛況でした。

物語は、空襲で焼け残った川崎で、生き抜いてゆく人々の群像劇です。1945年から朝鮮戦争が停戦になる1950年代まで。川崎に移住した沖縄の人々の心のよりどころになっている居酒屋「海ぶどう」が、メインの舞台でした。日本の敗戦と共に、沖縄はアメリカに占領され、本土に来ていた沖縄の人々は帰れなくなり、琉球舞踊と琉球三味線を次の世代に伝えてゆこう、とする琉球舞踊の先生たち。

そのうちの一人がMさんの役でした。また、婚約者を戦争で亡くした小学校の先生が、戦争孤児になった教え子を励ましながら、教職員組合の活動にも取り組んでゆく姿も描かれます。また、婚約者が戦争で亡くなった真相を、婚約者の同僚より知らされて大きなショックを受けます。化学者として軍の仕事をしていた婚約者は、登戸研究所で毒薬の研究をし、化学兵器を作っていたこと。その良心の呵責に耐えかねて自決したこと、を知らされます。立ち直れないほどのショックを受けた彼女でしたが、教え子の励ましを受けてもう一度、教壇に立つ決心をします。そのうちに朝鮮戦争が勃発し、居酒屋「海ぶどう」に出入りしていた朝鮮人の金さん夫妻の家族も、引き裂かれてしまいます。朝鮮特需でわく日本、社長さんは喜ぶが、金さん達はひたすら戦争が終わるのを願う。また、警察予備隊が出来て、そこに入隊する元兵士…様々な角度から悲しみと希望とが描かれる群像劇でした。琉球舞踊が夢のように美しく、いつまでも見ていたいと思いました。「沖縄の人達は、踏まれても踏まれても、そこを生き抜いてきたの。だから琉球舞踊は人の心を打つのよ。」という言葉がありました。戦後の川崎を生き抜いた無名の人々の優しさと強さが胸に沁みる劇でした。まだ見ていない方は必見です。5月24日(金)、25日(土)、26日(日)川崎市教育文化会館(川崎区)で、次回は開催です。 

4月の言葉ー「あなたは私の愛する子」(マルコ1・11)

 この言葉は、イエス・キリストがヨルダン川で、ヨハネから水の洗礼(入信儀式)を受けた時に、天から神の声がした、と言われている、その言葉です。神様は、この世界を造られた時に「すべて良かった」と、祝福の言葉を述べています。その根源的な祝福と、「あなたはわたしの愛する子」という言葉は、つながっています。もちろん、これは身と心を清めてすべてを神と人に捧げる決意をし、洗礼を受けたイエスへの祝福の言葉です。でも、神はすべての人に、この祝福の言葉をかけているのです。なぜなら、神様の愛は、条件つきの愛ではないからです。成績がよかったら、立派な業績をあげたら、愛してもらえるのではないのです。あなたのありのままを神様は愛してくださる。そのことを伝えるために、イエスはこの世にやって来ました。ありのままのあなたで、十分に愛され、祝福されている。だから、今、周囲の人々に心を開き、愛し愛され平和を造り出そうと、呼びかけておられます。

【まぶね教会の花壇。春の花が次々に開いて目を楽しませてくれています。Tさんが心をこめて手入れしてくれています】 

No.137 <電気使わず、使うのは手と脳ミソ>

前から気になっていたテーマが、電気をいかに減らして生活ができるか。
3・11の原発事故の後、日本のエネルギー政策は転換を迫られています。そして、福島の人達は、東京電力の電気を1kwも使っていないのに、その甚大な被害を受けたのです。これは本当におかしいことです。利益を受ける側と、リスクを受ける側が一致していない。リスクを福島に押し付けて、利益だけを受けている東京電力の電気を使っている私達が、ライフ・スタイルを見直さなければ、この構造は一向に変わらない、と思ってきました。なんとか少しでも電気に頼らない生活をしたい、と思いつつ、なかなか実現は難しい、というのが実情でした。そのどんぴしゃりのテーマで話をするというので、行ってきました。はらみずほ著『できた!電気代月600円生活』(北海道新聞社、2013)の著者のお話です。三軒茶屋のカフェで開かれました。

【カフェオハナのプレートです。オーガニック・ベジタブル食です。おふを使った揚げ物が絶品でした】












【左:パートナーの坂山さん、右:はらみずほさん。ちょっと照れてますね・・・掛け合い漫才みたいでした】



まず、電気代の明細書を持ち寄って、その情報を共有するところから話が始まりました。うちは二人家族20Aで3月は4,700円の電気代。一人の青年は、20Aで1480円とかなりがんばっていました。それから、自分の家にある家電を、リストアップして見ました。冷蔵庫、洗濯機、炊飯器、電子レンジ、PC,テレビ、携帯電話、掃除機、照明、オ―デイオ機器等々…。はらさんは、その家電一つ一つの使用電気量を教えてくれて、ざっと自分の家の電気量を概算してみました。うーん、やっぱりかなり使っている。ちなみに、はらさんの家は、二人家族5A、先月は電気代200円台までに落とせたとのこと。彼女は、まず、電子レンジ、炊飯器をやめて、すべてお鍋と火で料理することにしたそうです。電子レンジは1000Wかかります。それからテレビ(600-1300W)をやめたそうです。情報は、ほぼ、インターネットや、生のコミュニケーションで得る。すると自分の時間、読書の時間が増え、人とのつながりも豊かになっていった、と言います。そして、冷蔵庫をやめて、保存食、天日干しをたくさん作るようになった、と言います。云わく「電気使わないと、手と脳ミソをいっぱい使うのでボケません」
 この電気に頼らない生活を始める原点は、はらさんが60カ国を6年半かけて回った世界旅行にあるそうです。日本でのライフ・スタイルがすべてではない、ということを、身にしみて体験したこと。また、資源の奪い合いが悲惨な戦争につながっている現実。簡素な生活をすることは、平和につながる、ということを知ったこと。こういうチャレンジを、おつれあいと共にしているはらさんは、きらきら輝いていました。若い世代に是非聞いて実践してほしいお話しでした。簡素な生活を続けることが、資源を奪わず、他者を犠牲にせず、平和に直結すると思うと、力が湧いてくる気がしませんか?新時代を拓くヒントは、こんなところにありそうです。 


オープンカフェ

地域に開かれた教会を目指して、小さな試みですが、
11月から、月一回第三火曜日に「オープン・カフェ」を続けてきました。

4月は、16日(火)10時ー15時に開催しました。 
毎回、新しい人が立ち寄ってくれて、ゆっくり話ができるのがいいです。
今回は、NさんとNさんのお母様。教会に久しぶりに来てくれたYさん。
みんなとゆるーくつながれる時間が、なんともいい心地です。

庭仕事では、雑草を抜き、藪を刈り込み、姫りんごを植えました。
室内では、レシピ集の作成、お休みの人への週報発送作業。
お昼は、さぬきうどんに、おかず付き。これで100円は格安です。

最後の3時のお茶では、Hさん手造りのうぐいすもちを堪能しました。


【優しい甘さのうぐいす餅でした】












4月19日(金)には、第三回目の夏ミカンマーマレード作りをいたします。


【皮も実もぜんぶ使ったおいしいマーマレードです】
すでに、20キロを作り、2回販売しましたが、ほぼ完売。
大450円 中350円 小250円です。
マーマレードは、販売して会堂牧師館会計に献金しています。

このマーマレード、町田市民放射能測定センター「はかるーむ」で放射能を測定しました。



セシウム137(半減期30年)、セシウム134(半減期3年)が、1.6-1.1ベクレル計測されました。
日本の国内基準は、一般食品100ベクレル。
一番厳しいドイツの基準でも大人8ベクレル、乳幼児 5ベクレルですので
十分に安全基準値内ですが、0ではありません。
そういうことを知った上で、食品も選んでいきたいですね。

ご希望の方は。どうぞ、御連絡下さい。 

No.136 <追悼・村井吉敬さんーもう一つの世界は可能だ>

4月8日(月)に四谷のイグナチオ教会で、故・村井吉敬さんの葬儀・告別式がありました。膵臓がんで70歳で天に召されました。村井さんは上智大学で「東南アジア地域研究」特にインドネシアの地域研究の専門家として教鞭を取られ、同時に市民運動も牽引してこられた方でした。岩波新書に『エビと日本人』という名著があります。お連れ合いの内海愛子さんは元恵泉女学園大学教授で、朝鮮人BC戦犯の問題や朝鮮人慰安婦の問題をずっと追ってこられた方です。私はお二人に出会ったのはもう30年以上前、あるバイト先で、でした。夫婦別姓を貫いていて、知的でさわやか。こんな素敵なカップルがいるんだと、新しい生き方を示された気がしました。2年前の震災直後、福島三春町の応援花見ツアーに参加した時、偶然御一緒して、その時の出会いのお礼を言うことができたのが、せめてもの幸いでした。
 告別説教をされたのは、イエズス会のビセンテ・ボネット神父。指紋押捺を拒否して、日本での在留許可が取り消されそうになった時に、法務省入管局の交渉に一緒に行ってくれたのが村井さんだった、と。決して学問の象牙の砦にこもっている人ではなく、市民と共に行動してくれる人だった、と。神父の「神よ、もう一つの世界は可能です」という祈り、最後の「村井さん、ありがとう」という言葉に真実がこもっていて、集った人々の心を打ちました。「もう一つの世界」とは、差別と抑圧に満ちた、小さな人々が犠牲になる世界はなく、平和と平等が満ちた世界、まだ見ぬ新しい世界です。聖書に描かれたビジョンと重なります。「この最も小さな者にしてくれたのは、すなわち私にしてくれたことなのだ」というマタイ福音書の言葉が朗読され、村井吉敬さんは、まさにそのように生きた方だ、ということが胸に迫ってきました。
 昨今のアジア周辺のきな臭い動き、日本の右傾化に、きっと村井さんも心を痛めていたに違いありません。しかしその中で行われた、御葬儀で私は新しい希望を与えられた気がしています。村井さんがインドネシア、特に晩年はパプアの地域研究の中で、徹底して市民と対話をしたその提言は、小さな人々が犠牲になる開発や発展ではなく、もう一つの世界の在り方を、一緒に考えてゆこう、というものでした。それは、まさしく、イエス・キリストが2000年前、ローマの属国だったユダヤで、底辺の人々と共に生き抜いた軌跡につながっています。讃美歌「いつくしみ深き」を歌いましたが、多分、クリスチャンでない方々も、多く口ずさんでいました。イエスがそのように、生きた。村井さんも続いてそのように生きた。その生き方の温かさ、優しさに、讃美歌を歌いながら、参列者全員が包まれたかのようでした。村井さん、ありがとう。バトンは引き継いでゆきます。 

No.135 <音楽の贈り物>

3月30日のデュオ・コンサートの当日、肌寒いお天気だったので心配しましたが、予想外にたくさんの方々が集まってくれて、ふたを開けてみれば93名(内ことも3名)。嬉しい驚きでした。ご近所のクラシック好きの方々も来てくれていたようです。

 内多さんと出会ったのは、もう7,8年前でしょうか。留学中のドイツで、韓国の歌曲の伴奏をするために、歌詞の内容を知りたいので、というので人を介して韓国語の翻訳をしたのがきっかけで知り合いました(私は韓国留学をしていましたので、韓国語が出来ます)。本番の演奏は、明快で軽やかかつ力強い演奏で、プロの方は違うなあ、とその音の輝きに圧倒されました。そんな御縁で時々、外で一緒にご飯を食べたり友達付き合いが始まりました。それが、こういう形でコンサートを開催できるまでに発展するとは、感無量です。

 私達は、なぜ音楽を聴いて感動するのでしょうか。特に言葉のない楽器のみの演奏の音楽は、言葉と違った形で人間に働きかけるようです。言葉にならない様々な感情や体験が思い起こされ、それらが生き生きと立ち現れては、私達を揺さぶります。私達の悲しみや苦しみや葛藤や憂鬱さ、それらすべての思いが、美しい音楽の中で、歌っては消えてゆく。私達は普段は隠れている自分の魂の在りかというものを、音楽によって生き生きと実感するのです。そしてこのように人間を造られた神さまへの驚嘆と感謝で満たされてしまいます。そのような至福の時を、土曜日のコンサートでは味わうことができました。音楽の贈り物は、人生の祝福された贈り物の一つだと改めて思わされました。演奏者のお二人にただただ感謝です。また年度末であり、受難週の忙しい時期に、ケーキを焼いたりお茶の準備をしてくださった教会の裏方の方々に本当に感謝です。 

3・11東日本大震災を覚える祈り

本日の礼拝の中で、共に祈った祈りです。
本当は、もっとたくさんのことを祈りたかったですが
最小限にとどめました。
「こどもの礼拝」では、『教師の友』に掲載されていた
駒場エデン教会が昨年祈ったという祈りを
使わせていただきました。

明日また、3・11の犠牲となった方々、そして被災した方々のために祈りたいと思います。

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    <東日本大震災を覚える祈り 2013>

司 会:主よ、2011年3月11日東日本大震災を覚えて祈ります。
    津波や地震によって亡くなった方々、行方不明の方々の魂が、あなたの御元で安らかに憩うことがで
    きますように。
会 衆: 主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 津波や地震で一瞬のうちに、家族や友人、大切な人々、家や財産、土地を失った方々の心の痛み
     と悲しみ、喪失感に、どうぞあなたが寄り添ってくださいますように。                          
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 仮設住宅や避難先で暮らしている30万の人々の心身の健康が守られますように。
     そして地域の復興への希望を灯し続けることができますように。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:原発事故によって避難を余儀なくされた16万の人々、福島で放射能に不安を覚えながら暮らしてい
     る人々を、特に子どもたちをお守りください。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:この大震災によって露わになった日本社会の不正義、格差、脆弱な姿を、私達は目をそむけること
    なく見据えることができますように。そしてあなたの愛と平和が、この社会に実現するよう働くことがで
    きますように。特に被災した方々の尊厳が、大切にされる社会となりますように。
合 同:主よ、わたしたちをあなたの平和の道具としてください。
    主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 

3月17日懇談礼拝のレジメ

すでにお知らせしましたが、来週の懇談礼拝は荒井献さんによる「洗礼と聖餐―その起源をめぐって」です。
以下、レジメをアップしますので、関心のある方は、どうぞ、お読みください。
さらに関心のある方は、どうぞ、礼拝にご参加ください。

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まぶね教会懇談礼拝
洗礼と聖餐 ― その聖書的根拠をめぐって ―                                                                       2013/3/17
                              荒井 献

はじめに
 とりわけ日本基督教団において聖餐の成立をめぐり深刻な対立をきたしていることもあって、私は新約聖書における聖餐をテーマに過去5回講演しており、そのうち4回の原稿は公刊されている。

①「新約聖書における聖餐 - 受洗者のみに閉ざすか否か -」『イエスと出会う』岩波書店、2005年所収。
②「新約聖書における「聖餐」再考 - 批判に応えて」『初期キリスト教の霊性 -宣教・女性・異端』岩波書店、2009年所収。
③「「多くの人/すべての人のために」 -滝沢克己の思想射程によせて -」三島淑臣監修『滝沢克己を語る』春風社、2010年所収。
④「聖餐の成立をめぐって」『日本聖書学論集』45、2013年所収。


 今回は、まぶね教会役員会の要請に応じ、また、「未受洗者の倍餐問題を論じる場合は、聖餐と共に洗礼も問題としなければなりません」という、赤木善光(『イエスの洗礼・聖餐の起源』教文館、2012年、240頁)という①②に対する批判に応えて、洗礼との関わりにおける聖餐の聖書的根拠について見解を述べたい。

1.洗礼の聖書的根拠
 イエスはバプテスマのヨハネから受洗したが(マコ1:9-11/マタ3:13-17/ルカ3:21-22)、自ら授洗していない(ヨハ3:22はヨハネの編集句。ヨハ4:2参照)。
 顕現のイエスによる弟子派遣の記事(マタ28:16-20)はマタイの編集句。「父と子と聖霊の名による洗礼を授けなさい」(19節)という文言はその中に出てくる(マコ16:16をも参照。ただし、16:9-20はマルコ福音書への後世の補遺)。
 ルカによれば、ペトロは聖霊降臨後に行なった説教の中で、「イエス・キリストの名において洗礼を受けなさい。そうすれば聖霊の賜物を受けるであろう」と聴衆に勧め、それを受け入れた三千人ほどの人々が「洗礼を受けた」(使2:38,41)。ただし、これらの記事は、ルカ自身の構成である(詳しくは荒井献『使徒行伝』上巻、新教出版社、1977年;復刻版:2004年、171頁以下参照)。
 パウロの場合、彼が回心後に受洗したこと(使9:18, 22:16)は疑いえない。パウロ自身、「(受洗して)聖められた者たち」に向けて手紙を送っており(Iコリ1:2。 フィリ1:1、ロマ1:7をも参照)、コリント教会で授洗しており(Iコリ1:14)、イエスとの共死・共生の思想をその「死への洗礼」として展開しているからである(ロマ6:3-4)。ただしパウロは、「キリストは私を、洗礼を授けるためにではなく、むしろ福音を告げ知らせるために、遣わされた」とも言っている(Iコリ1:17)。
 なおパウロは、この言葉との関連で、ケファやアポロも授洗をしていたことを示唆しているので(同1:12)、この時代(50年代)には成立しつつあるキリスト教会において洗礼が一般的に行なわれていたと想定される。30~50年代の間のいつ・いかなる理由で洗礼が行なわれるようになったのか、正確には資料がないので不明である。佐藤研(『はじまりのキリスト教』岩波書店、2010年、61頁以下)によれば、それはイエスの死に対する弟子たちの「喪の作業」の一つとして開始され、原始キリスト教においてそれが教会への「加入式」として継承された。その際、イエスの受洗に対する原始教会の解釈(マコ1:10並行)が大きな影響を与えたと思われる。受洗による(聖)霊の贈与を含めて「キリストに倣う」儀礼的行為として洗礼式が成立したのではないか。赤木(前掲書、242頁)はこれを、クルマンに拠って、イエスの「総代洗礼」と呼んでいるが、これにはイエスの受洗とその解釈が区別されていない。

2.聖餐の聖書的根拠
 これは、「主の晩餐」の記事である。この記事に関する共観福音書の相互関係は、マタイ版(26:26-29)がマルコ版(14:22-25)に、ルカ版(22:14-20)がマルコ版とⅠコリント版(11:23-26)に、それぞれ拠っており、マルコ版とⅠコリント版はお互いに独立しているので、この両版がマタイ版やルカ版より古いことは、ほぼ定説になっている。この両版のうちどちらにより古い形態が保持されているかについては意見が分かれているが、最近ではⅠコリント版の方を優先させる見解に傾いている。
 パウロがIコリントに聖餐設定辞を引用するに際し、それが語られた状況については、23節の「彼(イエス)が引き渡される夜」以外には沈黙しており、イエスのパン裂きの言葉も「これはあながたのための私のからだである」(24節)といわれているので、それは弟子たち、あるいはそれに重ねられたコリント教会の信徒(受洗者)たちに向けられている、と読むことができる(礼拝における聖餐式でもIコリント版が読まれる)。もっとも、パウロが聖餐設定辞を引用する前の文脈で戒めている、コリントにおける「主の晩餐」の実態(20-22節)から判断すれば、ここでは聖餐と愛餐が区別されていなかった。したがって、27節の「ふさわしないままで」は、岩波版の傍注一三に明記されているように、「18節以下の不当な振る舞いを指しており、しばしば解釈されるように、信者でない者は主の晩餐に与れないという考え方を支持する言葉ではない」(531頁)。
 これに対してマルコの場合、設定辞はイエスと十二弟子たちとの最後の食事に状況が設定されており、この弟子たちは受洗しておらず、この後にユダはイエスを裏切り、イエス逮捕後に弟子たちは皆師を捨てて逃亡し、ペトロは師を否んでいる。いずれにしても、この「主の晩餐」の記事が聖餐の聖書的根拠となった。
ただ、マルコの場合注目すべきは、彼が、イエスの受難・復活物語伝承(14-16章)の前にイエス伝承(1-13章)を配し、全体をイエス物語として編集し、「福音書」を創始したことである。その意図は、エルサレムを舞台とするイエスの受難復活物語をガリラヤで始まるイエス物語との関わりにおいて再読するように福音書の読者に促すことにあった。
私はこの視点から①と②において、マルコは「主の晩餐」物語をも、「五千人の供食」物語(6:32-44)、さらには「徴税人や罪人たちとの食事」物語(2:15-17)との関わりにおいて再読するように促しており、この促しには聖餐が元来受洗者のみに閉ざされていなかったことを示唆していると想定した。
これに対して赤木(前掲書、240頁以下)は、マルコは当然受洗した信徒であり、聖餐を「主の晩餐」に基礎付けているのであるから、これを弟子たちとは異なる「五千人」や「徴税人や罪人」との「愛餐」物語に関わらせることはできなかったはずである、と私見を批判している。
赤木が福音書の編集史的研究に無理解であることは別としても、彼は「受洗」者としての自己に批判的に生きることのできない教条主義者であると断定せざるをえない。
それはともかくとして、私は③で、マルコ版の聖餐設定辞における杯の言葉(24節)に用いられている「多くの人のために」とう句によせて、上記の私見を補強している。
 この句が、イザ53:11-12における「多くの人」を示唆しており、これは第二イザヤにおける「苦難の僕」に重ねたイエスの贖罪死を意味する表現であることはほぼ一般的に認められている。しかも、このギリシア語(ホイ ポロイ)にあたるヘブライ語ないしはアラム語(ハ ラッビーム)は、「多くの個を包含している全体」すなわち「すべての人」を意味し、これはセム語的要素である。とすれば、マコ14:24の伝承においては、Ⅰコリ11:24「あなたがた(・・・・・)の(・)ため(・・)の(・)」とは対照的にイエスの普遍的贖いを暗示していた可能性があろう。
 このような「多くの人/すべての人」の用法を受難物語以前のマルコ本文の中に検証してみると、まず、ここでもイザ53:11-12が示唆されている、マコ10:45(「(人の子は)自分の命を多く(・・)の(・)人(・)の(・)ため(・・)の(・)身代金として与えるために来たのだ」)が注目される。次に、明らかに14:22の「パン裂き」の視点から構成されている「五千人の供食」物語(6:32-43。特に41節/14 :22参照)においては、イエスが「腸(はらわた)のちぎれる想いに駆られ」て「供食」の奇蹟を行なった対象は、彼のもとに集まって来た「多くの者」あるいは「多くの群衆」である(6:33、34)。そして最後に、イエスがファリサイ人たちの律法学者らによって非難されたのは、彼が「多くの徴税人や罪人たち」と共に食事をしていたからである(マルコ2:15-16。ここで「多くの」あるいは「大勢」 が15節で二度繰り返されている)。
 要するにマルコは、「最後の晩餐」物語、とりわけイエスの「杯の言葉」の中の「多くの人」を、イエスがその命を与えるために来た「多くの人」、彼が供食をした「牧人のいない羊のような」「多くの人」、とりわけ彼が共に食事をとった「徴税人や罪人」を含む「多くの人」との関わりにおいて読み直すように読者に訴えているのである。
 とすれば、ここからトランスパレントとなる「罪人との食事」を禁じるユダヤ教のタブーを破ったイエスの振舞いが、「聖餐」成立の基になると想定できるであろう。そして、このようなイエスの振舞いは、「アーメン、私はあなたたちに言う、徴税人と売娼婦たちの方があなたたちよりも先に神の王国に入る」というイエスの言葉(マタ21:31b)に盛られている、彼の「神の王国」理解と相関している。
 もし以上の想定が正当であるとすれば、イエスが語りかけている「弟子たち」の背後には、「多くの人」、とりわけ十字架に至るまでイエスに従い、彼に仕えていたマグダラのマリアをはじめとする女たち、「そして、彼と共にガリラヤからエルサレムに上って来た他(・)の(・)多く(・・)の(・)女(・)たち(・・)」も、マルコの構想の中に考えられていたのではなかろうか(15:41参照)。
 それに対してⅠコリント版は、次の言葉で締めくくられている。「実際あなたがたは、〔再臨の〕主が来られるまで、このパンを食べ杯を飲むたびに、彼の死を宣べ伝えるのである」(11:26)。この言葉における「イエスの死」は、もしこの言葉が伝承(11:23b-25)に対するパウロの加筆であるとすれば、伝承におけるパンを杯の贖罪論的解釈に対するパウロの配慮が反映されているであろう。なぜなら、パウロは贖罪行為としてのイエスの「死」という表現を伝承から受け継ぎながらも、彼自身がその「悲惨さ、弱さ」を表現する際には、「死」ではなく一貫して「十字架」という言葉を用いているからである(青野太潮『「十字架の神学」の展開』新教出版社、2006年参照)。
 いずれにしても、「主の晩餐」において「愛餐」と「聖餐」は切り離されていない。これは、マルコ版における「多くの人のために」という表現からトランスパレントになる、「罪人」を含む「多くの人」とのイエスの共食に通底していよう。
 もっとも、谷口真幸「「多くの人/すべての人のために」の射程について」によれば、「イエスのそばに集まってくる多くの/すべての人(群衆)は、「イエスに従う途上」にある多くの/すべての人(群衆)を意味している(『不可解な結末の復活物語 ― マルコによる福音書16章1-8節の文学的アプローチ試論』ヨベル、2012年、129頁)。これは確かに、マルコ福音書の文学的アプローチによる妥当な結論であろう。しかし、少なくとも「五千人の供食」物語の伝承史的基層において、「多くの人」はやはり難民状態に置かれた群衆と思われる。

おわりに
聖餐を受洗者に限ったのは、2世紀初期に成立した『十二使徒の教訓』(ディダケー)において初めてである。しかし、この文書においてさえ、聖餐と愛餐は分離されていなかった。それらが分離され、聖餐がサクラメントの一つとなったのは、4世紀以後の教父時代においてである(以上詳しくは④参照)。
漸く制度的に成立しつつあった当時のキリスト教共同体が、対外的には異教や異端に対して自己を防御する必要に迫られ、対内的には自己のアイデンティティーを強化する手段として、統合儀礼としての聖餐を受洗者に限ったことについては、時代的・歴史的状況を考慮に入れれば、一定の評価をすることはできよう。しかし、それはあくまでキリスト教がアイデンティティーを確立する手段であって、それが共同体形成のために目的化されてしまったなら、キリスト教における入信儀礼としての洗礼は、ユダヤ教における割礼と本質的には異ならないことになろう。

3月30日(土)デュオ・コンサートのお知らせ

復活祭の喜び

内多瑞子(ピアノ)・桑野由紀(ヴァイオリン)デュオ・コンサート
3月30日(土) 午後3時より(受付開始2時半) 
チケット 1500円(高校生以下無料)

ドイツで知り合った友人の内多瑞子さんが、桑野由紀さんとピアノとバイオリンのデュオ・コンサートをひらてくれることになりました。毎年1回ほど、行っている「まぶねコンサート」の一貫として。
内多さんのピアノは、切れがあって明解で、存在感があり、しかも軽やかな演奏です。是非、皆さんに聞いてほしい音です。
当日は、教会の方たちが作った「マーマレード」や「ケーキ」も販売する予定です。
もちろん、内多さんたちのCDも。
イースターの前日で、お忙しいかと思いますが、どうぞ、皆様、是非、お越しください。
予約をして、当日清算もできます。
礼拝堂の席は、120-30席ほどです。
チラシもありますので、ご希望の方はご一報ください。

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内多瑞子 Mizuko Uchida (ピアノ)

鹿児島県に生まれる。 桐朋女子高等学校音楽科(共学)を経て、桐朋学園音楽大学音楽学部演奏学科、同大学研究科を修了、1996年より渡独。ミュンヘン国立音楽大学マイスタークラスにてピアノ科、歌曲研究科共にマイスターディプロムを取得。1998年、イタリア、第一回カザルマッジョーレ国際マスタークラスにてピアニストに与えられる最優秀賞を受賞。2000年、ドイツ・ツヴィッカウ・国際シューマンコンクールにて、メゾソプラノ、クリスタ・マイヤーの伴奏者として歌曲部門で2位。歌曲伴奏者として、これまでアウグスブルク・モーツァルト・フェスティヴァル、イサン・ユン・国際フェスティヴァル(韓国)に招聘される等、ドイツ国内外、日本での演奏会に数多く出演。マスタークラスの公式伴奏、ザルツブルク・モーツァルテウム音楽院でのオペラクラス、オラトリオ合唱団でのコレペティトール等の経験を積む。近年は室内楽のパートナーとしても、ミュンヘンを拠点に活動を広げている。これまで石川直美、雨田信子、故森安芳樹、ゲルハルト・オピッツ、ヘルムート・ドイチュの各氏に師事。現在ミュンヘン国立音楽大学非常勤講師、声楽科伴奏員。

桑野由紀Yuki Kuwano(ヴァイオリン)

千葉県木更津市出身。東京芸術大学音楽学部卒業。2002年に渡独し、ミュンヘン国立音楽大学大学院修了。在学中ニュンフェンブルク城でのソロ演奏のほか、バイエルン州立ゲルトナープラッツ歌劇場オーケストラのエキストラ団員を務める。卒業後、ヘッセン州立ヴィースバーデン歌劇場オーケストラのフォアシュピーラー(副首席奏者)を経て、現在エッヒング公立音楽学校にて後進の指導にあたる。指揮者アダム・カルプフス氏のもとで楽曲の解釈などの研鑽を積む一方、2011年より毎年ミュンヘンにて内多瑞子氏とデュオリサイタル開催。
これまでにヴァイオリンを大日方章代、小森文子、矢嶋佳子、瀬戸瑤子、山口裕之、クルト・グントナーの各氏に師事。

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         2013年3月30日《演奏会プログラム》 
        フランツ・シューベルト (1797-1828):
      ヴァイオリンとピアノの為のソナタ イ長調 D 574

      ロベルト・シューマン (1810-1856): (ピアノ独奏)
    - “森の情景” 作品82より “予言の鳥”
     - アベック変奏曲 作品1

    モーリス・ラヴェル (1875-1937):
   ヴァイオリンとピアノの為のソナタ 遺作

 カミーユ・サン-サーンス (1835-1921):
   序奏とロンド・カプリチオーゾ 作品28     《Programm》
    Franz Schubert (1797-1828):
     Sonate in A für Violine und Klavier D 574

   Robert Schumann (1810-1856): (Klavier-Solo)
     - "Vogel als Prophet" aus "Waldszenen" Op. 82
     - Abegg-Variationen Op. 1

  Maurice Ravel (1875-1937):
    Sonate posthume pour violon et piano

 Camille Saint-Saëns (1835-1921):
   Introduction et Rondo capriccioso Op. 28
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3月17日(日)懇談礼拝のお知らせ

聖書: マルコによる福音書2章15-17節、14章22-25節
使信:「洗礼と聖餐ーその聖書的根拠をめぐって」 
    荒井献さん(東京大学名誉教授・元恵泉女学園学長)
3月17日(日)10時半ー12時15分 まぶね教会にて


久しぶりに、当教会の会員である荒井献さんが、まぶね教会でお話しをしてくれます。
レジメもすでに用意してあり、気合いが入っています。

まぶね教会では、月に一回、懇談礼拝として、礼拝の中で聖書のメッセージと共に
様々な問題をテーマに語ってもらい、その後、会衆と共に懇談の時間をもってきました。
(30-45分ほど)牧師や語り手だけが話すのではなく、双方向の対話となり
理解を深める良い機会となっています。
初めて出席された方も、どなたでも懇談に加わることができます。

当日、牧師は冬休みをいただき、参加できないのが残念です。

どうぞ、どなたでもご参加ください。