No.136 <追悼・村井吉敬さんーもう一つの世界は可能だ>

4月8日(月)に四谷のイグナチオ教会で、故・村井吉敬さんの葬儀・告別式がありました。膵臓がんで70歳で天に召されました。村井さんは上智大学で「東南アジア地域研究」特にインドネシアの地域研究の専門家として教鞭を取られ、同時に市民運動も牽引してこられた方でした。岩波新書に『エビと日本人』という名著があります。お連れ合いの内海愛子さんは元恵泉女学園大学教授で、朝鮮人BC戦犯の問題や朝鮮人慰安婦の問題をずっと追ってこられた方です。私はお二人に出会ったのはもう30年以上前、あるバイト先で、でした。夫婦別姓を貫いていて、知的でさわやか。こんな素敵なカップルがいるんだと、新しい生き方を示された気がしました。2年前の震災直後、福島三春町の応援花見ツアーに参加した時、偶然御一緒して、その時の出会いのお礼を言うことができたのが、せめてもの幸いでした。
 告別説教をされたのは、イエズス会のビセンテ・ボネット神父。指紋押捺を拒否して、日本での在留許可が取り消されそうになった時に、法務省入管局の交渉に一緒に行ってくれたのが村井さんだった、と。決して学問の象牙の砦にこもっている人ではなく、市民と共に行動してくれる人だった、と。神父の「神よ、もう一つの世界は可能です」という祈り、最後の「村井さん、ありがとう」という言葉に真実がこもっていて、集った人々の心を打ちました。「もう一つの世界」とは、差別と抑圧に満ちた、小さな人々が犠牲になる世界はなく、平和と平等が満ちた世界、まだ見ぬ新しい世界です。聖書に描かれたビジョンと重なります。「この最も小さな者にしてくれたのは、すなわち私にしてくれたことなのだ」というマタイ福音書の言葉が朗読され、村井吉敬さんは、まさにそのように生きた方だ、ということが胸に迫ってきました。
 昨今のアジア周辺のきな臭い動き、日本の右傾化に、きっと村井さんも心を痛めていたに違いありません。しかしその中で行われた、御葬儀で私は新しい希望を与えられた気がしています。村井さんがインドネシア、特に晩年はパプアの地域研究の中で、徹底して市民と対話をしたその提言は、小さな人々が犠牲になる開発や発展ではなく、もう一つの世界の在り方を、一緒に考えてゆこう、というものでした。それは、まさしく、イエス・キリストが2000年前、ローマの属国だったユダヤで、底辺の人々と共に生き抜いた軌跡につながっています。讃美歌「いつくしみ深き」を歌いましたが、多分、クリスチャンでない方々も、多く口ずさんでいました。イエスがそのように、生きた。村井さんも続いてそのように生きた。その生き方の温かさ、優しさに、讃美歌を歌いながら、参列者全員が包まれたかのようでした。村井さん、ありがとう。バトンは引き継いでゆきます。