No.135 <音楽の贈り物>

3月30日のデュオ・コンサートの当日、肌寒いお天気だったので心配しましたが、予想外にたくさんの方々が集まってくれて、ふたを開けてみれば93名(内ことも3名)。嬉しい驚きでした。ご近所のクラシック好きの方々も来てくれていたようです。

 内多さんと出会ったのは、もう7,8年前でしょうか。留学中のドイツで、韓国の歌曲の伴奏をするために、歌詞の内容を知りたいので、というので人を介して韓国語の翻訳をしたのがきっかけで知り合いました(私は韓国留学をしていましたので、韓国語が出来ます)。本番の演奏は、明快で軽やかかつ力強い演奏で、プロの方は違うなあ、とその音の輝きに圧倒されました。そんな御縁で時々、外で一緒にご飯を食べたり友達付き合いが始まりました。それが、こういう形でコンサートを開催できるまでに発展するとは、感無量です。

 私達は、なぜ音楽を聴いて感動するのでしょうか。特に言葉のない楽器のみの演奏の音楽は、言葉と違った形で人間に働きかけるようです。言葉にならない様々な感情や体験が思い起こされ、それらが生き生きと立ち現れては、私達を揺さぶります。私達の悲しみや苦しみや葛藤や憂鬱さ、それらすべての思いが、美しい音楽の中で、歌っては消えてゆく。私達は普段は隠れている自分の魂の在りかというものを、音楽によって生き生きと実感するのです。そしてこのように人間を造られた神さまへの驚嘆と感謝で満たされてしまいます。そのような至福の時を、土曜日のコンサートでは味わうことができました。音楽の贈り物は、人生の祝福された贈り物の一つだと改めて思わされました。演奏者のお二人にただただ感謝です。また年度末であり、受難週の忙しい時期に、ケーキを焼いたりお茶の準備をしてくださった教会の裏方の方々に本当に感謝です。