May 6, 2015

「映画『アラヤシキの住人たち』を見て」

 先日、『アラヤシキの住人たち』というドキュメンタイリー映画を観てきました。新聞の映画評で、現代社会のま逆をゆく自給自足の共同体が、山奥の地で成立していることの驚きと感嘆が記されていたからです。よくよく見るとそこは「真木共働学舎」。私がかつて通っていた川崎戸手教会で地域のH青年をそこに送りだしたこともあって「あ、H君の暮らしていたところだ!」と驚きました。H君は、ご両親をすでに亡くしていたので、川崎戸手教会の何家族かが里親を引き受けて、夏冬の長期の休みを戸手の家族とともに過ごしていました。「あー帰りたくないな」(複雑な思いがそこには垣間見えました)と言いながら、共働学舎に帰って行ったH君の姿が思い起こされました。“H君、素敵なところで暮らしていたね”と今は北海道の共働学舎にいる彼に言ってあげたくなりました。
 真木共働学舎は、長野県北安曇野郡小谷村の山間にあり、ふもとから車が入れない道を1時間半歩いたところにある新屋敷(あらやしき)という集落にあります。北アルプスの雄大な姿を背にした茅葺の大きな家で、農作業をしながらほぼ自給自足の生活を営んでいます。この映画のみどころは、なんといってもここに流れる時間を体感することです。大自然のふところに抱かれながら、土を耕し、田植えをし、収穫をして、食事を作り、風呂をわかし、ミ―テングをする。(毎朝の集いでは聖書が読まれます)そして、知的ハンデイをもった個性的な面々とのやり取り。忙しい田植えの間「はー、まったく俺は役立たずだよー」とぼやく青年。「猫かゴジラになりたいよー」と言うと、宮嶋ミサキさんは苗をバケツに入れながら「寝ていたいんだね」と彼のぼやきを受け止ます。そしてすかさず「役に立ってるよ。こうやって苗を待ってて働きもんだねえ」と彼に言葉をかけます。そんなやり取りの中に、一人一人をかけがえのない存在として大切にしているさりげない心使いが、現れていてじーんとしました。
 「あなたという人はこの地球始まって以来絶対いなかったはずなんです。あなたという人は地球が滅びるまで出てこないはずなんです。わたしくしはそう思っています。」(宮嶋真一郎:共働学舎創立者)映画の冒頭にこの言葉が出てくるのですが、読んだとたんにぐっと来てしまいました。これが生活の中でどう実践されているのか、美しい風景の中で、ぼやきもしんどさもいさかいも、すべて包み込んで垣間見ることができます。今の日本でこのような共同体があることは希望です。けれども冒頭の言葉が受肉するために、どれだけの徒労とも思える努力が積み重ねされているか。祈りたくなりました。人間って素晴らしい。人間をこんな風に創った神様も素晴らしい。