6月11日使信


<だいじょうぶだよ>

                 石井智恵美 

今日は「花の日」の礼拝。こんなに美しい花々を造ってくださっ

た神様へ感謝をささげる日。またグループ活動で作った花かごを、

普段教会へ来れない方々へみんなの優しい気持ち共に送ります。私

たちが誰かのことを思って祈るように、わたしたちもまた誰かから

祈られているーそのことを特に覚える日です。          

 今日の聖書の個所は「野の花」が出てきます。イエス様の野の花が

きっと好きだったのでしょうね。野の花のことを、こう言っています。

「野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、つ

むぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、

この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」ソロモン王は、イスラ

エルの国が最も繁栄した時代に王様だった人。だからそれはそれは美し

い素晴らしい衣装に身を包んでいたと思います。その王様よりも、野の花は美しいとイエス様はほめたたえています。なぜでしょう? 野の花は、明日のことを心配していないから。ただただせいいっぱい命を輝かせて咲いている、それこそが最も美しい、とイエス様はおっしゃっています。

 みんな明日のことを心配することあるよね。「思い悩むな」とイエス様もいっているけれど、悩んでしまうことたくさんあるよね。「思い悩む」という言葉は、実は「心がばらばらになる」という意味の言葉だそうです。あっちも心配こっちも心配と、心がばらばらになってしまうような状態に、わたしたちはすぐなってしまいます。そこに「心配しなくていいよ、だいじょうぶだよ」と語り掛けてくれています。

  そして、イエス様は、野の花の美しさと共に命のはかなさもちゃんと見ているのです。「今日はえていて、明日は炉に投げ入れられる」今日生きていても、明日は死んでしまうかもしれないはかない命だよ、だけど、その弱いはかない命を神様は心にかけて、こんなに美しく着飾ってくれているよ、その神様に信頼しよう、だいじょうぶだよ、きっと。神様に信頼していればだいじょうぶだよ、とイエス様は語り掛けてくれています。私たちは心がばらばらになって、悩んでしまって、不安になったり、怒りでいっぱいになったり、悲しくなったり、淋しくなったりします。わたしたちの中には、残念ながら、神様の望まない悪い思いもあります。でも、そのような欠けがある弱い人間のところへ、イエス様が来て、野の花、空の鳥のように、一緒に神様を信頼して生きようと、と語り掛けてくれています。そしてイエス様は、神様の信頼して十字架の道を最後まで歩まれました。そして大きな大きな神様の愛を伝えてくれたのです。だいじょうぶだよ、なにがあっても、神様がついているから。そう語りかけてくれているイエス様に信頼して、今週も歩んでゆきたいと思います。