使信:花の日こどもの日こどもと大人の合同礼拝使信


使信 <この花のように>石井智恵美


当日・子供たちが作り礼拝で飾った花かご

イエス様は「今日は生えていて明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」(マタイ6:30)と言われました。



野の草は、いつまでも生きることはない、摘み取られて、しおれれば捨てられてしまいます。そのような野の花の命のはかなさをイエス様はよくよく見つめておられるのです。でも、大切なのはその次です。


“こんなに弱くはかなく小さな命だけれど、神様は愛をもって装ってくださっているよ。この神様に信頼しなさい。”イエス様は、貧しい人々、苦労している人々をこうやって励ましているのです。

この間、大変悲しい事件が起こったね。それも私たちが住んでいるすぐ近くで。なんの罪もないこどもが一人、大人が一人命を奪われました。命を奪った犯人も亡くなってしまいました。事件の報道があったときに、すぐに皆の顔を思い出しました。みんなも事件の報道を聞いた時、とてもこわかったと思う。こわいってことをいっぱい感じていいんです。でも、いたずらにこわがらないで。今、みんなは安全なところにいます。今、礼拝に来ている人はみんなの成長を心から願って助けてくれる人たちです。信頼できる人はいっぱいいます。そのことを忘れないでほしい。

あの日、バスを待っていたこどもたちを見守っていた先生も保護者もいました。だけど、事件が起こってしまいました。大変悲しいことだけど、私たちの心の中には、人を傷つけたり、憎んだりしてしまう暗い部分があります。犯人は、どこかで自分の心の暗い部分を大きく大きくさせてしまったのだと思います。私たちの心の中に、あの人が憎らしい、と思ったり、あの人のことをいじめちゃえ、という暗い思いが出てくることがあります。その時は、神様にその思いを正直に打ち明けるお祈りをしてほしい。そして、私の心の悪い思いを取り去ってください、とお祈りしてほしいのです。もし、早い段階で心の暗い部分を、神様に取り去ってもらえるなら、この世界から憎しみを一つ減らしたことになります。

もちろん、それは一回だけはすまない。私たちは一生かかって、私たちの暗い部分を神様に何度も何度も捧げて、イエス様のように人を愛する人間へと成長させていただくのです。イエス様が私たちに教えてくれるのは、いつも私たちを見守ってくれている神様への信頼です。弱くはかない命である野の花でさえ、こんな美しく装ってくださる方への信頼です。この花のように、私たちも神様を信頼しよう、そうすれば大丈夫だよ、と。そして人の成長を助け、つながり合おうとしている人への信頼です。何よりも神様が人をそのように支え、導いてくれています。

お花は言葉をしゃべらないけれど、だれよりもその神様への信頼を示してくれています。今日、この花かごを、普段礼拝に来られない方々に贈ります。みんなの愛がきっと伝わるでしょう。