まぶね日誌「感動を分かち合う自由」

人間の感動を分かち合う自由、そして表現の自由ということについて、考えさせられる出来事が11月のはじめに続きました。

ひとつは、教会が後援したゲルンスハイム・デユオのコンサート。19世紀末に活躍したユダヤ人の作曲家ゲルンスハイムの歌曲演奏でした。ロマンチックな当時の詩人たちの詩に、感情の陰影を伝えるメロデイ-が、色とりどりの宝石のようにあふれてくる作品でした。これらの音楽が、ヒトラーの時代にユダヤ人の作品であるという理由で演奏を禁じられ、忘れられてしまったのです。それを掘り起こして、図書館などにかろうじて保存されていた楽譜を見つけ出して、現代によみがえらせて演奏活動をはじためたのが、2016年に結成されたゲルンスハイム・デユオ(ソプラノ:アナ・ガン、ピアノ:クリスト加藤尚子)です。

11/2のコンサートは、珠玉のような作品が清らかなアナさんのソプラノと、明快で表情豊かな尚子さんのピアノで演奏されました。心が洗われるような演奏でした。同時に、一度抹殺されたものが、いのちを吹き返したということの大きな意味、人間が文化を創造し、継承してゆく力に、心から感動を覚えたのです。美しいもの、素晴らしいものを創造し、それを他の人にも伝えたい、分かち合いたいという思いは、どんな暴力をもってしても、決して奪うことはできないものです。そのことの証しが、目の前にある、ということに心が震えました。美しい演奏とそれを生み出す美しい心が、同時に心に刻まれた演奏会でした。


もう一つは、地元のしんゆり映画祭で、従軍慰安婦をめぐる問題で多様な人々にインタビューしたドキュメンタリー映画『主戦場』が、川崎市による懸念を受けて、主催者側が中止を決めた出来事です。


たまたま是枝監督と井浦新が舞台挨拶にくると聞いて、二人のファンである私は映画祭に行ったのですが、この出来事に抗議を表明するためにこのお二人は舞台挨拶に来たのでした。川崎市が、映画『主戦場』を上映するのは裁判で訴訟になっていることを考えると、上映妨害の懸念がある、と主催者側に伝え、観客への暴力事件などが起った場合対処仕切れないと主催者側が過剰な反応をして、上映を中止してしまったのです。是枝監督は、「それは表現の自由の萎縮だ、映画の死だ」と訴えました。


その後、これに抗議する緊急トーク集会が行われ、上映を望む声が相次ぎ、最終日の11/4には、市民の警備ボランテイアも出て、映画『主戦場』が上映されたのです。監督のミキ・デサキさんは「表現の自由の勝利だ」と語っていました。ここにも、人間の文化を継承する力、純粋に感動を分かち合うという自由が、どれほど尊いものかが現れていました。そしてそれが脅かされる時代になってきていることに危惧を覚え、しかしそれを覆す市民の力が大きかったことに希望をつないだ出来事でした。(2019・11・17 週報掲載)


*ゲルンスハイム・デユオのCD「Verborgenne Schaetze (隠された宝)」が、10月にリリースされています。関心のある方は是非お聞きください。
石井智恵美