Yさんが、1月16日(火)肺炎のため天に召されました。享年70歳。Yさんは1984年37歳で別の教会の宣教師より受洗されましたが、宣教師の先生の帰国に伴い教会が解散し、2004年にまぶね教会に転入されました。しかし2005年頃より要介護状態となり、礼拝に出席することは困難な状態となりました。2010年に私がまぶね教会に赴任してからは、同じ教会の仲間だったMさんに連れられて、Yさんを年に1,2回、訪問していました。またクリスマスには、キャロリングでご自宅に伺いました。2014年には、視力が衰え、聴力も衰えてきたので、施設に移ることになりました。60代のお若さで高齢者の施設に入られるのは、お辛かったろうと思いますが、決断をした後のYさんは明るくさわやかでした。また、昨年12月にご自宅に帰られた時は、心臓の手術を控えたお連れ合いのために、静かな環境を整えてあげたいという配慮からでしょう、キャロリングを今年はお断りしますと連絡がありました。自分が病の中にあっても、家族を思いやる気持ちを忘れない、優しい、強い方でした。また、音声変換のパソコンのやり方を覚えて、ご家族とメールのやり取りをされる努力家でした。おかげで、私も毎週の使信もメールに張り付ける形で送ることができ、Yさんから感想や質問が返されて「使信に励まされている」と言われることが、私自身の大きな励みにもなっていました。
Yさんの半生は病との戦いの中にありました。しかし、病が悪化する前年に洗礼を受けて信仰生活に入られていたことは、神様の不思議な導きと思わざるを得ません。誰にもわからない苦しみや困難を、Yさんは同伴者であるイエスと共に乗り越えてゆかれたのだと思います。「丈夫な人に医者はいらない。いるのは、病人である」とのイエスの言葉がきかっけで、Yさんは、洗礼を受ける決心をした、と今残されている「洗礼誓約書」に書かれています。自分の心の中にある黒い固まりがいつも心の主人になろうとすきをねらっている、こんな自分に洗礼を受ける資格などないと思っていたと告白しています。しかし、そのようなYさんをそのままで受けいれているイエスの言葉に信頼して、Yさんは洗礼を受け信仰の道に入られました。そして、闘病生活の中で何度も何度も、このイエスと出会われたのだと思います。Yさんの優しさ、強さ、は、十字架上にあって敵を赦したイエスの限界のない愛を模範として、深まっていったのだと思います。Yさん、重荷をおろして、どうぞ安らかに眠ってください。また、再びあなたに見える日まで、私達も信仰の道を走りぬきます。(石井智恵美)