まぶね日誌No.177 3・11の体験を聞き合う


3/10は、東日本大震災祈念礼拝でした。礼拝の中で、「東日本大震災を覚える祈り」を、司会者と会衆で交読をしましたが、あの時の緊迫感が蘇ってきました。地震、津波、そして原発事故…。あまりにも多くの犠牲者を出した大震災。あれから8年がたとうとしていますが、被災者の方々の心の傷の癒しの作業は、まだ端緒についたばかりです。

礼拝後の「聖書を学ぶ会」では、7名が参加されましたが、せっかくなのでそれぞれが体験した311を短く分かち合う時間を持ちました。まぶね教会に来られてから長い人も、ここ23年の人も、来たばかりの人も出席されていました。そのうちのお一人は、故郷が石巻で多くの親せきを津波でなくされている方でした。「ご無理でなかったら、話してください。でも無理はしないでください」と声をかけると、短く話せるところを話してくださいました。8年たった今でも、震災の特集番組など画面を見ることができないこと、海岸沿いの防風林の松林が、根こそぎなくなってしまって、美しい故郷の風景がすっかり変わってしまったことが、いまだに大きなショックであること、などを話してくれました。また、その他の方も、ママ友とランチの最中に地震に出会った方。お母さまの介護のために地方に行っていた時に、311を経験した方。お連れ合いが、会社で被災地にある支社の立て直しを担当することになり、被災直後の東北へ派遣されて、ご苦労をなさった話など、一人一人が大変な思いをしたことが分かち合われました。「そういえば、あの時は半年くらい、駅も電車もスーパーも薄暗かった」「原発事故の時、放射性物質が風にのってどのように飛散するか、システムはあったのに情報が知らされなかったわね。誰が情報を出さなかったの?」と当時の記憶も思い出しました。聖書を学ぶ会で知り合ってまもない顔ぶれの方々でしたが、3・11の体験を分かち合うことで、ぐっと関係が近しくなりました。私たちが、あの震災を体験し、大自然の驚異の前に、なすすべもなかったこと。そして原発事故の恐怖にさらされていたこと、その中で必死に生き延びようと、皆が懸命の努力を続けていたことを分かち合うことができたからです。また、被災者の今なお続くご苦労もぐっと身近に感じることにできた分かち合いの時でした。