使信 2016.11.06
<2016年11月6日降誕前第7主日礼拝使信「神の民の選び」>
聖書:創世記13章1節―18節 石井智恵美
主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷/父の家を離れて/私が示す地に
行きなさい。/私はあなたを大いなる国民にし/あなたを祝福し、あなたの名を高
める/祝福の源となるように。/あなたを祝福する人をわたしは祝福し/あなたを呪
う者をわたしは呪う。/地上のすべての氏族はすべて/あなたによって祝福に入る。」
アブラムは、主の言葉に従って旅立った。ロトも共に行った。(創世記12:1-4)
【永眠者記念礼拝の写真】
■かけがえのない人からの励まし
本日は永眠者記念礼拝です。
天に召された兄弟姉妹のことを思い起こす時は、一つ一つの具体的な出来事を思い起こします。私たちがその人々との関わりの中で、豊かにされ、助けられ、教えられたことを思い出し、心が温かくなり、また悲しみに満たされます。
それはその人を心から愛していたしるしです。その人のかけがえのなさは、何によっても埋めることができないのですから。心から愛していたその人々のその生き方から、今いのちを与えられている私たちは、よりよく生きることへと励ましを受けます。そのことを思い起こすために、私たちは今日、ここに集まりました。
それぞれの人生の中で、神がその人に呼び掛けた出来事が必ずあったはずです。信仰の父・アブラハムに神が呼び掛けたように、その人その人に固有の呼びかけがあったはずです。アブラハムの生き方を思う時に、聖なるもの、真実なるもの、混じりけのない純粋なもの、と私たちはどれほど出会っているか、そして、それに従って生きているか、また、神から与えられた命を、十分に輝かせて生きているか、自分と隣人を生かすために本当に用いているかどうか、あらためて問われます。逆に、与えられた神の命をゆがめたり、嘘をついたり、曲がった方へと進んでいないか、問われています。
■亡き人と出会い直す
天に送った兄弟姉妹との様々な思い出を携えて、皆さまはここに集まったことでしょう。後悔の思いをも持たれている方もいるかもしれません。あの時なぜもっと優しい言葉をかけられなかったのか、どうして、傷つけてしまったのだろうか、と。でも幸せな思い出、美しい思い出も多々あることでしょう。後悔の思いは、神様に託して、赦してくださいと祈り、また、幸せな思い出にはそれが与えられたことに感謝をして祈りましょう。
そのような故人との対話の中で、私たちは与えられた人生の時をよりよく生きてゆくように成熟させられてゆきます。折々の故人との対話の中で、ああ、あの時の出来事はこういうことだったのか、と故人と出会い直します。そこにまた、人生のだいご味があります。そして、今、私たちに与えられているいのちが、奇跡のようなものだと知らされます。
神がアブラハムを選び、祝福したように、私たち一人一人に神の選びがあり、祝福がある。一人一人に託された神からの使命があります。生きている限り、それが一体何かと問い続け、自分の思いではなく、神の御旨がなるように、とそこへ向かって一歩一歩、歩んでゆきます、すると、その人だけの美しい軌跡が、記されているのが私たちの人生ではないでしょうか。人生はわたしたちの思いを越えています。そこにこそ神の恵みがある。
そのことを信じることができる人は、苦難の中にあっても強くなれます。
■亡き人のまなざしが導く
いのちは「意味」を越えています。人間の側からの意味付けなどを越えて、私たちに与えられているものです。人生を生きることは決してきれいごとではありませんが、醜さ、
弱さ、みじめさをもすべて含めて、いのちです。
時にきらめくような美しさも輝かせるいのちです。
イエス・キリストはすべての人のために死なれました。それはすべての人を生かすために死んだということです。そして復活なさった。信仰者の歩みは、すべての人を愛されたイエスの生き方に従ってゆくものです。今日、永眠者記念礼拝の時、天に召された兄弟姉妹のまなざしが、生きているわたしたちに注がれています。そのまなざしがまた、わたしたちをより良い生へと導いてくれています。生前の交わりを心より感謝し、その思いを祈りと共に神へ捧げましょう。
使信 2016.10.16
<2016年10月16日使信「目標をめざしてひたすらに」>
聖書:フィリピの信徒への手紙 3章7-21節 石井智恵美
「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけ
でもありません。なんとかして捉えようとして努めているのです」(フィリピ3:12)
【寄贈された最後の晩餐の木彫り像】
わたしは、洗礼を受けた高校生の時に、「救われた私たちは」という牧師の言葉が嫌いでした。洗礼を受けていない人も、やはり神様の愛されている一人であり、洗礼を受けた私と何も変わらないではないか、と思っていたからです。そのような時にパウロの言葉「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけでもありません。なんとかして捉えようとして努めているのです」に出会い、心底ほっとしました。パウロですらそうでした。信仰を持たない人々と同じように、不完全な人間である、ということを良しとしているのです。そのうえで「なんとか捉えようとして努めている」と、常に途上にある人間であることを、パウロは告白しています。そして、その理由は「キリストに捕らえられているから」なのです。当時のフィリピの教会の中にいたパウロの反対者たちのスローガンは、「わたしたちは既に完全な者になっている」というものでした。パウロの反対者たちは、ユダヤ主義的キリスト者たちで、律法を守ることによって自分たちは完全な者になっており、既にキリストの栄光に与っている、と主張していたようです。十字架の苦しみと恥には思いをいたさなかったのです。そこが、パウロの理解とは正反対でした。パウロにとっては十字架の苦しみと恥のただ中にこそ、神の恵みが満ち溢れていたからです。
先日、ノーベル文学賞を受けたアメリカのシンガー・ソング・ライター、ボブ・デイランが、一躍有名になった曲「風に吹かれて」の一節を紹介します。
「どれだけ道を歩けばいいのか?一人前の男と呼ばれるまで。/ いくつの海を白い鳩はわたらなければならないのか?砂浜で安らぐまで。/ 何回砲弾が飛ばねばならないのか?武器が永久に禁じられるまで。
その答えは友よ、風に舞っている、答えは風に舞っている」
三番では「何回見あげれば、空は見えるのか?/いくつ耳を持てば民の嘆きは聞こえるのか?/何人死ねば、あまりに多くの人が死にすぎたとわかるのか?」と歌われる。「その答えは友よ、風に舞っている、答えは風に舞っている」
われわれには、耳に心よい平和ソングに聞こえますが、1960年代から70年の学生変革の時代、特にアメリカの激しい公民権運動の中で盛んに歌われたプロテストソングです。デイランが歌った、時代を超えた人々のやるせない嘆き、変えたいと人々が願いながら変わらない壁のような現実に向き合いながら、デイランは安直な答えを拒否しています。「その答えは友よ、風に舞っている、答えは風に舞っている」と。
パウロが語った「わたしは既にそれを得ているのではない、何とかして捉えようとして努めているのです」という言葉と重なっているように思います。パウロは、人々に問いかけて、それぞれが苦しみながら答えを出すように促しています。既成の誰かが考えた耳に心地よい安直な答えにとびつくな、と呼び掛けているようです。
世界的に右傾化が進んでいる今だからこそノーベル賞委員会はボブ・デイランの詩が与えた影響をあえて評価したのだろうか、と思えてきます。
歴史の中で、パウロの語るように多くの人たちが、「すでに完全な者になっているわけはない、捕らえようと努めている」とまだ見ぬ結果を求め、信仰の道を走ってきました。途上にあるということは、まだ見ぬより完全なものを求めるということであり、生きる限り私たちは途上にある、と言えます。私たちもまたその道に連なり、最善を尽くして、結果は神にゆだねてまいりたい。神の御旨は人の志によって媒介されます。そのような神の御旨の道具となれれば幸いです。
聖書:フィリピの信徒への手紙 3章7-21節 石井智恵美
「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけ
でもありません。なんとかして捉えようとして努めているのです」(フィリピ3:12)
【寄贈された最後の晩餐の木彫り像】
わたしは、洗礼を受けた高校生の時に、「救われた私たちは」という牧師の言葉が嫌いでした。洗礼を受けていない人も、やはり神様の愛されている一人であり、洗礼を受けた私と何も変わらないではないか、と思っていたからです。そのような時にパウロの言葉「わたしは既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者になっているわけでもありません。なんとかして捉えようとして努めているのです」に出会い、心底ほっとしました。パウロですらそうでした。信仰を持たない人々と同じように、不完全な人間である、ということを良しとしているのです。そのうえで「なんとか捉えようとして努めている」と、常に途上にある人間であることを、パウロは告白しています。そして、その理由は「キリストに捕らえられているから」なのです。当時のフィリピの教会の中にいたパウロの反対者たちのスローガンは、「わたしたちは既に完全な者になっている」というものでした。パウロの反対者たちは、ユダヤ主義的キリスト者たちで、律法を守ることによって自分たちは完全な者になっており、既にキリストの栄光に与っている、と主張していたようです。十字架の苦しみと恥には思いをいたさなかったのです。そこが、パウロの理解とは正反対でした。パウロにとっては十字架の苦しみと恥のただ中にこそ、神の恵みが満ち溢れていたからです。
先日、ノーベル文学賞を受けたアメリカのシンガー・ソング・ライター、ボブ・デイランが、一躍有名になった曲「風に吹かれて」の一節を紹介します。
「どれだけ道を歩けばいいのか?一人前の男と呼ばれるまで。/ いくつの海を白い鳩はわたらなければならないのか?砂浜で安らぐまで。/ 何回砲弾が飛ばねばならないのか?武器が永久に禁じられるまで。
その答えは友よ、風に舞っている、答えは風に舞っている」
三番では「何回見あげれば、空は見えるのか?/いくつ耳を持てば民の嘆きは聞こえるのか?/何人死ねば、あまりに多くの人が死にすぎたとわかるのか?」と歌われる。「その答えは友よ、風に舞っている、答えは風に舞っている」
われわれには、耳に心よい平和ソングに聞こえますが、1960年代から70年の学生変革の時代、特にアメリカの激しい公民権運動の中で盛んに歌われたプロテストソングです。デイランが歌った、時代を超えた人々のやるせない嘆き、変えたいと人々が願いながら変わらない壁のような現実に向き合いながら、デイランは安直な答えを拒否しています。「その答えは友よ、風に舞っている、答えは風に舞っている」と。
パウロが語った「わたしは既にそれを得ているのではない、何とかして捉えようとして努めているのです」という言葉と重なっているように思います。パウロは、人々に問いかけて、それぞれが苦しみながら答えを出すように促しています。既成の誰かが考えた耳に心地よい安直な答えにとびつくな、と呼び掛けているようです。
世界的に右傾化が進んでいる今だからこそノーベル賞委員会はボブ・デイランの詩が与えた影響をあえて評価したのだろうか、と思えてきます。
歴史の中で、パウロの語るように多くの人たちが、「すでに完全な者になっているわけはない、捕らえようと努めている」とまだ見ぬ結果を求め、信仰の道を走ってきました。途上にあるということは、まだ見ぬより完全なものを求めるということであり、生きる限り私たちは途上にある、と言えます。私たちもまたその道に連なり、最善を尽くして、結果は神にゆだねてまいりたい。神の御旨は人の志によって媒介されます。そのような神の御旨の道具となれれば幸いです。
使信 2016.09.04
<2016年9月4日使信「神の僕として生きる」>
聖書:ペテロの手紙1 2章11-25節 石井智恵美
■13節 主のために、すべての人間の立てた制度に従いなさい。
それが統治者としての皇帝であろうと、あるいは悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために皇帝が派遣した総督であろうと服従しなさい。 今日の聖書の箇所は、現代のわれわれには難しい箇所です。たとえどのような権威でも、政治的な権威にしたがいなさい、というペテロの手紙です。これを、どう読んでゆくかが信仰者に問われています。
政治的な権威には従いなさい、という勧めを私たちはどう読めばいいのでしょうか。この時代、多くの人々は終末がすぐにもやってくることを信じていました。ペテロは、私たちはこの世においては「仮住まい」の者、「旅人」である、と記しています。
ペテロも、この世のことは仮の出来事、という理解の上で、政治的な権威には従え、と勧めているのです。しかし、悪法に従う必要があるのだろうか、と現代人の私たちはやはり考えます。政治的な支配者の判断が必ずしも正しいとは限りません。だからこそ民意を示すことが重要なのです。もちろん民意が正しいとも限らない。しかし権力は必ず腐敗するから、権威は疑ってかかれ、ということを、2000年の歴史の中で人類は学んだのではないのでしょうか。多く血が流され、その結果、現在、個人の信教の自由が憲法で保障されています。だから私たちは13節のすべての人間の立てた制度に従いなさいという言葉を、聖書の言葉だからと絶対化することはできません。しかし、ここは日常的な迫害の状態にあったキリスト教徒たちに語り掛けている言葉であるという文脈を忘れてはならない、と思います。当時の教会の指導者たちは、決して安楽な場所にいて、つまり迫害をする者たちを肯定してこの言葉を発しているのではない、ということなのです。同じ苦しみを味わいながら、汗を流しながら、涙を流しながら、この言葉を書き送っていると推定できるのです。
私は夏期休暇に熊本大分の旅をし、大分県立の殉教記念公園を訪ねることができました。1619年にキリシタン禁教令が出され、その後1659年に豊後崩れというキリシタンの迫害が起こり、一説では約1000人ものキリシタンが殺され、この殉教記念公園の周辺の葛木では、約200人の老若男女が殉教したといわれています。日本という土地で、実際にキリスト教の迫害が起こった場に立つことで、「私もその中の一人だったかもしれない」と思い、犠牲になった方々の無念の思い、迫害の中で信仰を全うした強さなどなど、さまざまなことを感じることができました。
政治的な権威と信仰が対立する場合が、歴史の中でしばしば起こりました。その時に、私たちはどうするのでしょうか。聖書の中には、旧約に伝えられる預言者の存在があり、彼らは神に命じられて、腐敗した権力を批判する活動をつづけました。イエスの活動もここに連なっています。(しかし、)このペテロの手紙の言葉も、当時迫害を耐え忍んでいたキリスト教徒たちへ書かれた具体的な勧告です。彼(手紙の著者)もまた迫害に直面しながら、苦しみを共にしながら、この言葉を悲痛な思いで書き送っているのです。志を同じくする仲間たちに、悔しい思いを共有しながら、いたずらに権威に歯向かって死に急いではいけないといさめているのかもしれません。いのちを大事にしなさいといっているのかもしれません。殉教するにもときがあるといっているのかもしれません。
私たちにも、具体的な苦しみに直面するとき、この言葉の意味が開かれてくるのではないでしょうか。その時、今日の聖書の箇所が示すように、「旅人」「仮住まいの者」として生きているということ、であるからこそ、私たちは、永遠なるものに目をとめて生きること、神によって自由にされたものとして、神の僕として生きることを、心に刻みたいと思います。
聖書:ペテロの手紙1 2章11-25節 石井智恵美
■13節 主のために、すべての人間の立てた制度に従いなさい。
それが統治者としての皇帝であろうと、あるいは悪を行う者を処罰し、善を行う者をほめるために皇帝が派遣した総督であろうと服従しなさい。 今日の聖書の箇所は、現代のわれわれには難しい箇所です。たとえどのような権威でも、政治的な権威にしたがいなさい、というペテロの手紙です。これを、どう読んでゆくかが信仰者に問われています。
政治的な権威には従いなさい、という勧めを私たちはどう読めばいいのでしょうか。この時代、多くの人々は終末がすぐにもやってくることを信じていました。ペテロは、私たちはこの世においては「仮住まい」の者、「旅人」である、と記しています。
ペテロも、この世のことは仮の出来事、という理解の上で、政治的な権威には従え、と勧めているのです。しかし、悪法に従う必要があるのだろうか、と現代人の私たちはやはり考えます。政治的な支配者の判断が必ずしも正しいとは限りません。だからこそ民意を示すことが重要なのです。もちろん民意が正しいとも限らない。しかし権力は必ず腐敗するから、権威は疑ってかかれ、ということを、2000年の歴史の中で人類は学んだのではないのでしょうか。多く血が流され、その結果、現在、個人の信教の自由が憲法で保障されています。だから私たちは13節のすべての人間の立てた制度に従いなさいという言葉を、聖書の言葉だからと絶対化することはできません。しかし、ここは日常的な迫害の状態にあったキリスト教徒たちに語り掛けている言葉であるという文脈を忘れてはならない、と思います。当時の教会の指導者たちは、決して安楽な場所にいて、つまり迫害をする者たちを肯定してこの言葉を発しているのではない、ということなのです。同じ苦しみを味わいながら、汗を流しながら、涙を流しながら、この言葉を書き送っていると推定できるのです。
私は夏期休暇に熊本大分の旅をし、大分県立の殉教記念公園を訪ねることができました。1619年にキリシタン禁教令が出され、その後1659年に豊後崩れというキリシタンの迫害が起こり、一説では約1000人ものキリシタンが殺され、この殉教記念公園の周辺の葛木では、約200人の老若男女が殉教したといわれています。日本という土地で、実際にキリスト教の迫害が起こった場に立つことで、「私もその中の一人だったかもしれない」と思い、犠牲になった方々の無念の思い、迫害の中で信仰を全うした強さなどなど、さまざまなことを感じることができました。
政治的な権威と信仰が対立する場合が、歴史の中でしばしば起こりました。その時に、私たちはどうするのでしょうか。聖書の中には、旧約に伝えられる預言者の存在があり、彼らは神に命じられて、腐敗した権力を批判する活動をつづけました。イエスの活動もここに連なっています。(しかし、)このペテロの手紙の言葉も、当時迫害を耐え忍んでいたキリスト教徒たちへ書かれた具体的な勧告です。彼(手紙の著者)もまた迫害に直面しながら、苦しみを共にしながら、この言葉を悲痛な思いで書き送っているのです。志を同じくする仲間たちに、悔しい思いを共有しながら、いたずらに権威に歯向かって死に急いではいけないといさめているのかもしれません。いのちを大事にしなさいといっているのかもしれません。殉教するにもときがあるといっているのかもしれません。
私たちにも、具体的な苦しみに直面するとき、この言葉の意味が開かれてくるのではないでしょうか。その時、今日の聖書の箇所が示すように、「旅人」「仮住まいの者」として生きているということ、であるからこそ、私たちは、永遠なるものに目をとめて生きること、神によって自由にされたものとして、神の僕として生きることを、心に刻みたいと思います。
使信 2016.08.14
<2016年8月14日使信「わたしもあなたを罪に定めない」>
聖書:ヨハネ福音書8章3節-11節- 石井智恵美
今日の聖書の中に出てくる「姦淫の女」は、いわばアウト・サイダーの女です。
古代ユダヤの父権制社会の中、彼女は、家父長によってコントロールされている性的秩序を乱す者として、
社会の外側に位置づけられています。彼女は石打ちの刑に処せられてもおかしくない者として、
イエスの前に引き出されてきます。

■ 姦淫の女が引き出されてくる
この場面を想像してみましょう。早朝のすがすがしい空気に満ちた神殿の境内で、イエスを慕って集ってきた民衆に
イエスが神の言葉を語り伝えています。そこに、あられもない姿をした女が連れてこられます。
姦通の現場でとらえられたというのですから、ろくに服も身に着けていなかったはずです。一緒にいたはずの男は罪に
問われることもなくいなくなっています。女は人妻ではなかったでしょう。もしそうならその夫によって殺されていたはずです。守ってくれるべき男のいない寡婦あるいは、身を売らざるえない女であったかもしれません。いずれにしても金持ちの貴婦人などではなく、家父長制の社会の中で、生きてゆくのが過酷な女であったはずです。
女は言葉もなく引き出されてきます。そのような女の状況は一切描写されることなく、ただ訴えるファイリサイ派と律法学者の男たちの声が響くのです。
「先生、この女は姦通しているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せ、とモーセは律法の中で命じています。ところであなたはどうお考えになりますか。」(4-5節)
イエスを試して訴える口実を得るためにこう言ったのである。
■ファリサイ派のたくらみ
ファリサイ派の人々が義憤にかられてこのような行為をしたのならまだ許せますが、ここでやりきれないのは、イエスを陥れる口実としてこの女を使ったことです。イエスが石打ちの刑を肯定するならば、民衆は愛を説くイエスの生き方はなんだったのか、と失望するでしょう。しかし、石打ちの刑を否定するなら、律法、しかも十戒の中に入った戒めを否定することになり、イエス自身が石打ちの刑となります。イエスは窮地に陥れられます。そのように仕組まれた問答でした。そこのことに、正当化もできない弁明もできない女が利用されるのです。人間のこの底意地の悪さ、罪の深さをまざまざと、彼らの姿からみせつけられます。
■イエスの奇妙な態度は?
イエスはかがみ込み、指で地面に何かを書き始められた。(6節b)
このイエスの行為も不思議です。窮地に落ち込んで、どう答えるかを考える時間を取ったのでしょうか。困ってしまった子どもが、しゃがみこんで、どうしていいかわからないようなときにする行為を思い出しもします。
しかし、ここは、イエスの優しさではないでしょうか。あられもない姿をした女が真ん中に立たされて、ファイリサイ派はイエスに問答をふっかけています。みんなの注目は女に集まっていたことでしょう。イエスはしゃがみこみ、その女から目をそらしました。
また、民衆たちの視線をもイエスにひきつけて、女を見ないように促したのではないでしょうか。イエスは地面にものを書きつけながら、ファイリサイ派の人々が、自分たちの非を悟るのを待っていたのかもしれません。こんな恥ずかしいことを、神の前にこんな恥ずかしいことをどうしてできるのか、この女を憐れに思わないのか、地面を見つめながら怒りと悲しみでイエスはいっぱいだったはずです
しかし、彼らがしつこく問続けるので、イエスは身を起こして言われた。「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」そしてまた身をかがめて地面に書き続けられた。(7-8節)
■イエスの返答
イエスは、決定的な発言をします。しかし、これは彼らの問答への答えではないのです。さあ、どうだ、お前たちはどうするのだ、と答えを迫っているのではりません。そうだとしたら、仁王立ちになって、ファリサイ派の人々をにらみつけていたかもしれません。しかし、そうではありません。イエスは、また、身をかがめて地面に書き続けられた、とあります。「私はこの女に石を投げ打たない」とその姿で示しました。そして、皆の注目を女からそらし続けました。これはあなたがたの問題だ、私のあずかり知らないことだ、と彼らに問いを投げ返したのです。ファイリサイ派の周到に張られた罠を、イエスは見事に抜け出しました。それは、ただこの女を一人の人間として尊重する、との姿勢から生まれたものでした。ファリサイ派の人々の最後の誠意を信じたといえるかもしれません。
あなたもまた神に愛されている一人だ、ということが、このイエスの行為から伝わってくるではありませんか。そして、イエスの発言から、わたしたちもまた気づきます。神にゆるされていなければ存在しえないのが、私たち人間であることを。そのように神にゆるされていながら、どうして隣人を裁けるのか、ましてや人を陥れるために人を道具として使うことができるのか、神の深い憐みを思うなら、そんなことはできないはずだ、とイエスは無言のうちにその行為によって示したのです。
これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と、立ち去ってしまい、イエスひとりと真ん中にいた女が残った。(9節)
イエスを訴える口実を造ろうとたくらんでいた人々にも良心があったのです。一人、また一人と去っていた。年長者から立ち去って、とあります。家父長制社会では年長の男性が敬われます。彼らが立ち去っては意気盛んな若い者たちも従わずにはおれなかったでしょう。たとえ若気の至りで自分には罪などないと思ったとしても
。
■姦淫の女とイエス
イエスは身を起こして言われた。婦人よ、あの人たちはどこにいるのか。だれもあなたを罪に定めなかったのか」(10節)
イエスがこのような場面に行き着かねばならなかった女の苦しみの深さを十分に受け止めたからこそ、このような言葉を発することができたのでしょう。
女が「主よ、だれも」と言うと、イエスは言われた。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」(11節)
女が「主よ、だれも」と答えた時、女の世界は一変していました。恥ずかしさと絶望と死の恐怖からいっぺんに解放され、彼女はもう一度生かされました。死をくぐって命を与えられました。それは、イエスという一人の人が女の苦しみを受け止め、極みまで大切にすることによってでした。ファリサイ派という敵は立ち去り、女はただ、イエスの慈しみを通じて、自分もまた神に愛されている神の子であることに立ち返っていました。生きることの意味を取り戻していました。愛し愛される存在として生きることにこそ、人間の生きる意味があることを彼女はイエスを通して体験したのでした。「主よ」と女はイエスに呼びかけます。自分の命の恩人として。肉体の命だけでなく、魂を救ってくれた恩人として。これほどの決定的な至福の瞬間を味わう人はそう多くないでしょう。だからこそこの物語は語り継がれてきたのでしょう。
■神の赦しのもとにある私たち
彼女が姦淫の罪を犯したことを、ないことにする、とイエスは語っていません。有罪とはしない、裁くことができるのは神のみ、とイエスは語りかけます。「これからはもう罪を犯してはならない」ということも同時に女に告げます。イエスはもちろん、姦淫を肯定しているわけではありません。しかし何を一番大切にするか、それをイエスは示したのです。今、ここに生きている命をこそ、一切の差別を越えて大切したのです。もしかしたら、石打ちの刑にあって殺されていたかもしれない場面で、イエスは人として何が一番大切なことを示しました。そして、それは女に確実に伝わったのです。女の世界は一変しました。曇りのない目で人を見、曇りのない目に人を判断する。これはなかなかできることではありません。罪ではなく、その人の苦しみに悲しみに目をとめる。これもまた難しいことです。そして、共に生きてゆく道を探ってゆく。これも同じく難しいことです。しかし、イエスが私たちに示しているのはそのような態度です。神の慈しみの留まるならば、そのことは可能である、と今日の聖書の箇所は、私たちに語りかけています。
使信 2016.07.31
<2016年7月31日使信「愛―神から生まれた者の掟」>
聖書:ヨハネの手紙Ⅰ5章1節-5節石井智恵美
このことから明らかなように、私たちが神を愛し、その掟を守る
ときはいつも、神の子供たちを愛します。(ヨハネの手紙Ⅰ 5章2節)
先週、衝撃的な事件、相模原での重度障がい者施設で障がいを持った 19人が犠牲となった事件が起こりました。多くの人が受け止めかねています。障がいを持った人への憎悪、あるいは「優性思想」-優れたものは生き残り、劣ったものは淘汰されるべきという思想―による殺人の正当化、これが実際に私たちの生きる場所で起こってしまいました。このような悪に対して、私たちはどのように立ち向かい、何を基準に判断をしてゆけばよいでしょうか。本日の聖書個所には「悪の世に打ち勝つ信仰」との小見出しがあります。「悪の世に打ち勝つ信仰」を、共に聖書の言葉から考えてみたいと思います。
■格差社会の生んだ歪み
相模原の事件の容疑者は「重度障がい者は安楽死させた方がいい」と語ったといいます。誰が生きる価値があり、誰にないか、そんなことを決めることができるのは誰なのですか。すべての命に尊厳があります、だからこそ、社会福祉の働きが障がいを負った人、病を負った人々を援助する、そのことを現代に生きる私たちは選んできています。だいいち、誰がいつそのような立場になるかわからないのですから、これらの制度は私たち自身を守るものです。しかし、競争社会の中で、すべての命が尊いという価値観は、持ちにくくなっているのかもしれません。業績をあげ実力を示せる優秀な者だけが尊重され、そうでない人は、価値の低い人に位置づけられるという、格差社会は古代からあります。現在では。人の価値はみな等しいという価値観は共有されています。しかし、真の意味でこの価値観を共有することは骨が折れます。難しいのです。むしろ、これを否定する方が、正義のように思える、そんな歪みをもった時代の中で起こったのが、今回の事件であると思えるのです。その代表は、ヒトラーですが、自分とは異なる世界にいると信じる他者の抹殺、ユダヤ人、障がい者、社会主義者、同性愛者などのホロコースト(大量虐殺)を彼は実行しました。「抹殺してよい命だから抹殺する」それは、2重の意味での人間の否定です。その人のかけがえのない価値を否定するだけではなく、自分中心の価値観によって他者の生物としての命をも奪ってしまうのです。
■ホロコーストにつながる闇
しかし、その犯罪の原因を、犯人の特殊な心のゆがみにだけ求めてよいのでしょうか。ナチスのホロコーストにつながる人間の中に巣くう恐ろしい闇であると思います。人間はそういうことができてしまうのです。私の尊敬する恩師がアウシュビッツを訪れた時に、そのあまりの惨状にショックを受けながら、心の最も深い所で「あ、私ならやるな」と思ったそうです。自分が他者をガス室送りにする、というのではなく、他者のガス室送りを命じられたら、いやいやながらでもその状況の中では、命令にしたがってしまうだろう、という意味です。私たちはそのことを普段どこまで自覚しているでしょうか。心の奥底にそのような深い悪を抱えているのが人間という存在であることにどこまで自覚的であるでしょうか。そのことを今回の事件であらためて突きつけられた気がしています。他者の抹殺という根源悪が私たちの中に巣くっている。そのことを自覚している人は、たやすく悪の暴走には巻き込まれないでしょう。そのことがまた、問われていると感じました。
■最首悟さんのインタビュー
最首悟さん(和光大学名誉教授)のインタビューを東京新聞の特集記事で読みました。かつて東大全共闘時代に助手として真摯に全共闘運動を担った人です。現在は重度の障がいを持つ娘の星子さんの親として、障がいを持った人たちの居場所つくりをしています。星子さんは「あー」と発声しますが、言葉を話せず、8歳で視力も失ったそうです。食事も自分では噛むことができずに丸のみで、もちろん排せつの始末も一人ではできません。「植木鉢の花と同じで2日も世話をしないと死んでしまう。夫婦で旅行もできない」「この子が死んだら、どんなに楽になるかと思うことがある。だが、命のついて考えを深めてこられたのは、この子のおかげだと感謝している自分もいる。その両方は離せない。」「ただ、この子がいなければと思っても、殺すという一線は越えられない。それは『命は地球より重い』からではない。命には、他の命を食べる残酷さもある。結局、命はわからないし、手に負えないもの。『いのちはいのち』でしかない。そんな事実がうめき続ける自分をとどめている」と語っておられました。
■「いのちはわからないし、手に負えないもの」
「結局、命はわからないし、手に負えないもの」このいのちへの示唆、表現には、障がいを持った星子さんに向き合う中で生まれてきたかけがえいのない重さがあります。この自覚が、私たちにどれだけ実感としてあるでしょうか。遺伝子操作や、代理母出産などの出現で、現代人はどこかで、命はわかりえる、操作しえるもの、という傲慢を育てていないでしょうか。あるいは、ゲームの仮想現実と現実の区別がつかなくなっている恐ろしさと私たちは隣合わせです。いのちはわからないし、手に負えない、だからこそ、かけがえがない、という畏怖の感覚を、私たちは知らずに生きているのではないでしょうか。いのちをわからないままに受け止めて、共に生きてゆく、神から与えられたものとして。イエスの中にあったのは、そのような命への連帯ではなかったでしょうか。同時代の、特に病んだ人、貧しい人、疎外された人々のところにおもむいて共に生きようとしたイエス。インマヌエルー神はわれらと共にいますーこのことを、伝え続けたそのイエスを、キリストと信じる人は、「神から生まれた者」である、と今日の聖書は告げているのです。そしてその神から生まれた者の掟は、愛なのです。
■「悪の世に勝つ信仰」
悪の世に打ち勝つ信仰―信仰は、イエスをキリストとして信じる、ということだけを言っているのではありません。私たちが今、神から与えられているいのちを、わからないままにも受け止めて、それを精一杯生きているか、という信仰の内実のことです。そのシン
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プルな生きる姿勢こそが、私たちの中に巣くう根源悪を食い止めるものではないでしょうか。ご飯を食べ、からだを動かし、自然の恵みを感じ、家族や友人と親しく交わり、疲れたら眠るーそのシンプルな繰り返しの中に、宿っている神の働き。そのことに感謝するときに、わたしたちは無限の力に包まれます。神の愛が私たちに注がれて、わたしたちを生かし続けていることが分かるからです。神が共にいますことを、具体的な生き方で示し続けたイエスをキリスト(救い主)として生きてゆくなら、私たちは愛の業を行うようにうながされます。神の掟は難しいものではない、と今日の聖書が語っているように、イエス・キリストの生き方を見習ってゆけばよいのです。キリストはすでにこの世に打ち勝たれた。だから、わたしたちも安心して、キリストにおいて愛の業を行ってゆけばよいのです。
■愛という力に立ち帰る
あまりにも痛ましい事件に、犠牲者を思う悲しみは消えませんが、このような出来事を二度と許さない、そのためには、憎しみではなく、キリストが示した愛に立ち帰ること、私たちの中に神様から与えられた愛という力があること、そこに立ち帰ること、そこから始めたいと願います。悪の世に打ち勝つ信仰を与えたまえ、と祈りながら。犠牲となった方々のため、悲しみの内にあるご家族、関係者の方々のために祈りを捧げます。また、容疑者の回心のためにも心から祈ります。
使信 2016.05.15
2016年5月15日聖霊降臨節第1主日まぶね教会創立50周年記念礼拝Ⅰ
使信「聖霊の息吹を受けて」聖書:使徒言行録2章1-11節
石井智恵美
ペンテコステおめでとうございます。
そしてまぶね教会創立50周年おめでとうございます。
■一枚の写真
先週、Uさんの転入受け入れのために、現住陪餐会員名簿を整理していたら、表紙の次のページに掲げられた写真が目に留まりました。この写真は、撮影者が誰なのか、いつ撮影されたかもわかりません。これは初代牧師の善野先生が並々ならぬ決意をもって、ここに掲げたのだろう、と想像しました。今日、創立50周年の記念礼拝で皆様に紹介するのがふさわしいと考えました。林を背にした会堂の十字架の正面に、若竹が高い空に向かってすっくと伸びており、まるで、これからのまぶね教会の前途を象徴するかのような若々しい希望に満ちた写真です。この若竹のように地域に根差して、のびのびと枝を張る教会。その最初の貴重な若い枝が、今、この地で育っているのだ、とも読み取れる写真です。そしてこの若竹は、教会の会堂ではなく、天を指しています。天こそが、主人公。教会とは、イエス・キリストがそうであったように、神の国を指し示すもの、そのような者たちの集まりという心意気が伝わってくるような写真です。写真の下に善野先生の文字で、「日本基督教団まぶね教会 創立1961・1・17 城南ヨハネ伝道所と称す、献堂 1966・6・12 まぶね伝道所と改名」とあります。これが、まぶね教会の原点なのだ、と心が熱くなりました。善野先生の開拓伝道にかける希望と夢と覚悟が伝わってくる写真です。
■まぶね教会の歩みの中で
私がまぶね教会に赴任して6年がすぎましたが、教会創立50周年の節目に、こうして牧師としてメッセージを語る栄誉と責任を与えられたことを、光栄に思うと同時に、大きな責任もまた感じている。もうすぐ出来上がる記念誌の原稿を読んでも、まぶね教会の50年の歩みが、どれだけ恵みに満ちたものだったか、皆が真剣に神の前に自分の生き方を探り、イエスに従ってゆく歩みを歩んでこられたかを実感することができました。また、教会の中で困難が多々あっても、ひとつひとつ乗り越えることのできる助けと力をいかに与えられてきたか、を知ることができ、まぶね教会に与えられた神の導きと祝福にまず、感謝したいと思います。教会の見える歩みも、また、隠された見えない歩みも含めて、すべてが祝福されてきたことを感謝したいと思います。その歩みの中で過ちも、誤解もあったかもしれません。それらを神の前に許しを乞い、傷ついた人々の心が癒されるように祈りつつ、イエス・キリストに従って神の国を指し召す群れとして、これからも歩み続ける覚悟の内に、今日の記念礼拝を共に祝いたいと思います。
■聖霊降臨の出来事
今日、ペンテコステ・聖霊降臨の出来事は、教会の誕生の時、と言われます。
教会の原点はこのペンテコステの出来事にありました。キリストの昇天の後も、キリストの約束を信じ、ひとつとなって共同体を形成していた群れ。一つとなって祈っていた群れが聖霊の息吹を受けて、聖霊に満たされて、驚くべき奇跡が行われました。それが初代教会の始まりだったのです。まぶね教会の決して平坦でなかった50年の歩みは、常に、この聖霊の息吹に導かれたからこそ、今日まで歩んでこれたのではないでしょうか。聖霊は常に新たに物事を造り替えます。そこには、神の創造の業が常に働いているからです。この聖霊を受けて、私たちもまた50周年という節目の年にさらに新たにされて、新たな50年をさらに歩んでゆく力と勇気が与えられることを願う。それは「まぶね」の名に示されるように、この世の中で「居場所」のなかったマリアとヨセフと赤子のイエスを受け入れたように、私たちの教会が常にイエス・キリストの生き方にならい、居場所のない人々の居場所となる教会であることを通して、そして、聖霊の息吹を受けるために、自分の独りよがりな思いを手放して、神の前に空っぽになることを通して、神の御業が働く教会となってゆくでしょう。そして異なっているからこそ、対話を深めて互いに受け入れあう群れとなること。その原点に立ち返ることを、今日、ペンテコステの記念の日に、心に刻みたいと思います。さらなる50年を目指して、今日この日から、歩みだしましょう。
二つの世界祈祷日礼拝
3月4日は世界全体で、女性たちが中心となって世界祈祷日が行われる日。川崎鶴見地区婦人委員会主催の世界祈祷日に、今年も参加してきました。まぶね教会からは地区婦人会担当役員のKさんが実行委員会に出て準備を進めてくれていました。今年のテーマは「こどもたちを受け入れなさい、そしてわたしも」、テーマの国はキューバでした。あらかじめ、キューバの国花であるマリポーサの花の形に切り抜いた白い紙に、各教会ができることを書いてくることになっていました。その紙をボードに張って各教会の決意が、紹介されました。各教会の女性たちが、プログラムの朗読を受け持ち、キューバという国の豊かさと、直面している問題の大きさとに思いをはせました。今年のテーマにそって、T牧師が大変わかりやすく考えさせられるメッセージを語ってくださいました。日本社会の中の見えにくい世代間差別や、母親を取り巻く状況の変化の中でイエスの使信をどう聞くのかについて。12教会74名の参加で地区の女性たちが共に集うことで大いに励まされました。
夕方は、五反田にあるドイツ語福音教会で行われた世界祈祷日の集まりに初めて参加してきました。平日でないとなかなか他の教会は訪ねられないので、良い機会と思い参加しました。ドイツ語福音教会は静かな住宅地にあり、会堂は和のテイストを生かした障子のような和紙と木を組み合わせた正面の壁に十字架が掲げられていました。入口をはいるとまず係の方が胡蝶蘭の花を胸元にかざってくれました。家族的な雰囲気で、全体で14名の参加でした。半円形に置かれた椅子の中央の床に木の十字架を置き、たくさんの丸いろうそくが平置きにされて、受難の象徴である赤い布が置かれていました。そこに、聖書、ろうそく、マリンバなどが、朗読と共に順番に置かれてゆきました。式文の内容は日本語のものとほぼ同じですが、プラスして中南米の讃美歌が多くはいっていました。また伴奏のCDが準備されていて讃美歌を歌う度にかけられました。ドイツ教会の世界祈祷日の準備の周到さに改めて驚きました。主任牧師は女性で親しみやすい雰囲気の方でした。牧師がキューバの現状を詳しく伝えてくれ、その後一人ひとりが決意のメッセージを書きました。
終わって別室で皆が持ち寄ってきたキューバの料理をいただきました。様々な種類のお豆の入ったスパイスのきいたリゾット、鶏肉と野菜のスパイシーな煮物、野菜スープ、サラダにフルーツにケーキ。全部食べきれませんでした。このドイツ語教会は30家族がメンバーだとのこと。規模としては100-120名位になるのでしょうか。カトリックのシスターも参加しておられ、普段からエキュメニカル(超教派)活動を大切にしていることが伝わってきました。親密でオープンな雰囲気での女性たちの祈りの集いもまた良いものでした。
夕方は、五反田にあるドイツ語福音教会で行われた世界祈祷日の集まりに初めて参加してきました。平日でないとなかなか他の教会は訪ねられないので、良い機会と思い参加しました。ドイツ語福音教会は静かな住宅地にあり、会堂は和のテイストを生かした障子のような和紙と木を組み合わせた正面の壁に十字架が掲げられていました。入口をはいるとまず係の方が胡蝶蘭の花を胸元にかざってくれました。家族的な雰囲気で、全体で14名の参加でした。半円形に置かれた椅子の中央の床に木の十字架を置き、たくさんの丸いろうそくが平置きにされて、受難の象徴である赤い布が置かれていました。そこに、聖書、ろうそく、マリンバなどが、朗読と共に順番に置かれてゆきました。式文の内容は日本語のものとほぼ同じですが、プラスして中南米の讃美歌が多くはいっていました。また伴奏のCDが準備されていて讃美歌を歌う度にかけられました。ドイツ教会の世界祈祷日の準備の周到さに改めて驚きました。主任牧師は女性で親しみやすい雰囲気の方でした。牧師がキューバの現状を詳しく伝えてくれ、その後一人ひとりが決意のメッセージを書きました。
終わって別室で皆が持ち寄ってきたキューバの料理をいただきました。様々な種類のお豆の入ったスパイスのきいたリゾット、鶏肉と野菜のスパイシーな煮物、野菜スープ、サラダにフルーツにケーキ。全部食べきれませんでした。このドイツ語教会は30家族がメンバーだとのこと。規模としては100-120名位になるのでしょうか。カトリックのシスターも参加しておられ、普段からエキュメニカル(超教派)活動を大切にしていることが伝わってきました。親密でオープンな雰囲気での女性たちの祈りの集いもまた良いものでした。
追悼:Y・Sさん「生きるにも死ぬにも」
2月3日に私たちの愛する姉妹であるY・Sさんが入院先の病院で肝硬変のため天に召されました。享年87歳でした。「さて、わたしの人生も大詰めに近づいてきました。最後はあまりみっともないことにならないように(孫の手前もあり)と願うことですが、こればかりは自分の思い通りになるものでもなく、ただただ恵みによることなので、祈るよりほかありません。「これまでのように今も生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストが公然とあがめられるようにと切に願い、希望しています」(フィリピ1:20)と心から祈れるものでありたいと思います」(Y・S「クリスチャンらしく?」『まぶね便り』第4号 2010年10月発行 )
ここから、今日の聖書の言葉を選ばせていただきました。Sさんが、心からの祈りとして願った言葉。これは、使徒パウロが迫害によって捉えられ獄中にあった時に、書き送った手紙にある言葉です。「生きるにも死ぬにも」という言葉、裁判の判決によっては死ぬこともありえる、そのような状況の中で、私の身によってキリストがあがめられるように、と願っているのです。キリストはその十字架と復活によって、すべての人を神の恵みのもとに呼び集めてくれるお方。その方こそがあがめられるように、と。
2010年のまぶね便りで、今から6年前のSさんの言葉です。Sさんの最後の胸の中には、この祈りはあったでしょうか。この祈りが祈られていたでしょうか。人は生きたように死んでゆく、と言われます。Sさんが、自分を欠点も認めつつ、それらすべてを含めてクリスチャンらしくない自分を反省しつつ、でもこのように私は生きていますよ、とちゃめっけたっぷりに記しておられるまぶね便りでの文章を読むと、大らかに喜びを持って信仰生活を送っておられたSさんが浮かび上がってきます。そう、そのままでいいよ、神様はすべての人を恵みの内へと、キリストを通じて呼んでおられるのだから、しゃちほこばってクリスチャンらしくあろうとしてなくてもいいですよと、呼びかけておられるような気がします。あなたの中にキリストの愛があれば、それでいい、と呼びかけてくださっている気がします。素晴らしい信仰の先達をまた一人天に送りました。地上での別れは悲しいことですが、天国への凱旋を果たしたSさんを、今日心からほめたたえたいと思います。また、そのようにSさんの生涯を導いてくださった神に心から感謝を捧げます。
ここから、今日の聖書の言葉を選ばせていただきました。Sさんが、心からの祈りとして願った言葉。これは、使徒パウロが迫害によって捉えられ獄中にあった時に、書き送った手紙にある言葉です。「生きるにも死ぬにも」という言葉、裁判の判決によっては死ぬこともありえる、そのような状況の中で、私の身によってキリストがあがめられるように、と願っているのです。キリストはその十字架と復活によって、すべての人を神の恵みのもとに呼び集めてくれるお方。その方こそがあがめられるように、と。
2010年のまぶね便りで、今から6年前のSさんの言葉です。Sさんの最後の胸の中には、この祈りはあったでしょうか。この祈りが祈られていたでしょうか。人は生きたように死んでゆく、と言われます。Sさんが、自分を欠点も認めつつ、それらすべてを含めてクリスチャンらしくない自分を反省しつつ、でもこのように私は生きていますよ、とちゃめっけたっぷりに記しておられるまぶね便りでの文章を読むと、大らかに喜びを持って信仰生活を送っておられたSさんが浮かび上がってきます。そう、そのままでいいよ、神様はすべての人を恵みの内へと、キリストを通じて呼んでおられるのだから、しゃちほこばってクリスチャンらしくあろうとしてなくてもいいですよと、呼びかけておられるような気がします。あなたの中にキリストの愛があれば、それでいい、と呼びかけてくださっている気がします。素晴らしい信仰の先達をまた一人天に送りました。地上での別れは悲しいことですが、天国への凱旋を果たしたSさんを、今日心からほめたたえたいと思います。また、そのようにSさんの生涯を導いてくださった神に心から感謝を捧げます。
映画『グローリー』
「グローリー」は、マルチン・ルーサー・キング牧師を描いた映画です。非暴力運動で、黒人の公民権を勝ち取ったキング牧師とその仲間たちを描いています。1965年ノーベル平和賞を受賞し、アラバマ州セルマを拠点にした運動を始めるところから映画は始まっています。当時のFBIが盗聴した電話の記録に基づいて、映画は構成されています。自由と民主主義の国アメリカという表向きのイメージとは正反対の暴力と差別の実態が描かれます。アラバマ州セルマでは、黒人と白人の割合は50%づつ。しかし、有権者に黒人は2%しかいません。黒人が選挙権を行使するには、有権者登録をしなければならず、有権者登録のためには、一定の所得と白人の推薦人が必要でした。また、登録時に警官からあれこれ質問をされ、それに答えられないと有権者登録は却下されます。しかも有権者登録をした後、新聞に名前と住所が公開されるために、人種差別主義者たちの標的となって襲撃されるなど、不利益なことが起こるのです。このように選挙権がないために、黒人たちは自分たちの意見を反映させることができない。キング牧師たちは、これを変えよう、とするのです。アメリカの憲法の下、すべての人は平等であり、なん人も肌の色や性別、宗教の違いで差別されない、この権利を貫こうとするのです。当時の大統領であったジョンソンに、何度もキング牧師は訴えかけます。憲法で保障されている「平等」に違反している、という点をついて、キング牧師は、大統領を動かして法律をかえさせ、州や地方に任されていた選挙権を黒人にも付与することを実現させたのです。しかし、その背景には、非暴力の行進の際に、警官や軍隊に殴られ、蹴散らされ、時には殺される人々が続出したのです。死の恐怖や不安にも覚えながら、それでも、決して行進をやめない、暴力には非暴力で抵抗する勇気ある人々が、グローリー(栄光)を勝ち取ったのです。現在、日本の首相が自らの解釈によって憲法を破って平然としています。憲法は権力者をこそ縛る国の根幹であることを、この映画で改めて教えられました。立憲主義に立つことの大切さを今こそ覚えたいと思いました。最後に流れる讃美歌「グローリー」が圧巻でした。
「映画『アラヤシキの住人たち』を見て」
先日、『アラヤシキの住人たち』というドキュメンタイリー映画を観てきました。新聞の映画評で、現代社会のま逆をゆく自給自足の共同体が、山奥の地で成立していることの驚きと感嘆が記されていたからです。よくよく見るとそこは「真木共働学舎」。私がかつて通っていた川崎戸手教会で地域のH青年をそこに送りだしたこともあって「あ、H君の暮らしていたところだ!」と驚きました。H君は、ご両親をすでに亡くしていたので、川崎戸手教会の何家族かが里親を引き受けて、夏冬の長期の休みを戸手の家族とともに過ごしていました。「あー帰りたくないな」(複雑な思いがそこには垣間見えました)と言いながら、共働学舎に帰って行ったH君の姿が思い起こされました。“H君、素敵なところで暮らしていたね”と今は北海道の共働学舎にいる彼に言ってあげたくなりました。
真木共働学舎は、長野県北安曇野郡小谷村の山間にあり、ふもとから車が入れない道を1時間半歩いたところにある新屋敷(あらやしき)という集落にあります。北アルプスの雄大な姿を背にした茅葺の大きな家で、農作業をしながらほぼ自給自足の生活を営んでいます。この映画のみどころは、なんといってもここに流れる時間を体感することです。大自然のふところに抱かれながら、土を耕し、田植えをし、収穫をして、食事を作り、風呂をわかし、ミ―テングをする。(毎朝の集いでは聖書が読まれます)そして、知的ハンデイをもった個性的な面々とのやり取り。忙しい田植えの間「はー、まったく俺は役立たずだよー」とぼやく青年。「猫かゴジラになりたいよー」と言うと、宮嶋ミサキさんは苗をバケツに入れながら「寝ていたいんだね」と彼のぼやきを受け止ます。そしてすかさず「役に立ってるよ。こうやって苗を待ってて働きもんだねえ」と彼に言葉をかけます。そんなやり取りの中に、一人一人をかけがえのない存在として大切にしているさりげない心使いが、現れていてじーんとしました。
「あなたという人はこの地球始まって以来絶対いなかったはずなんです。あなたという人は地球が滅びるまで出てこないはずなんです。わたしくしはそう思っています。」(宮嶋真一郎:共働学舎創立者)映画の冒頭にこの言葉が出てくるのですが、読んだとたんにぐっと来てしまいました。これが生活の中でどう実践されているのか、美しい風景の中で、ぼやきもしんどさもいさかいも、すべて包み込んで垣間見ることができます。今の日本でこのような共同体があることは希望です。けれども冒頭の言葉が受肉するために、どれだけの徒労とも思える努力が積み重ねされているか。祈りたくなりました。人間って素晴らしい。人間をこんな風に創った神様も素晴らしい。
真木共働学舎は、長野県北安曇野郡小谷村の山間にあり、ふもとから車が入れない道を1時間半歩いたところにある新屋敷(あらやしき)という集落にあります。北アルプスの雄大な姿を背にした茅葺の大きな家で、農作業をしながらほぼ自給自足の生活を営んでいます。この映画のみどころは、なんといってもここに流れる時間を体感することです。大自然のふところに抱かれながら、土を耕し、田植えをし、収穫をして、食事を作り、風呂をわかし、ミ―テングをする。(毎朝の集いでは聖書が読まれます)そして、知的ハンデイをもった個性的な面々とのやり取り。忙しい田植えの間「はー、まったく俺は役立たずだよー」とぼやく青年。「猫かゴジラになりたいよー」と言うと、宮嶋ミサキさんは苗をバケツに入れながら「寝ていたいんだね」と彼のぼやきを受け止ます。そしてすかさず「役に立ってるよ。こうやって苗を待ってて働きもんだねえ」と彼に言葉をかけます。そんなやり取りの中に、一人一人をかけがえのない存在として大切にしているさりげない心使いが、現れていてじーんとしました。
「あなたという人はこの地球始まって以来絶対いなかったはずなんです。あなたという人は地球が滅びるまで出てこないはずなんです。わたしくしはそう思っています。」(宮嶋真一郎:共働学舎創立者)映画の冒頭にこの言葉が出てくるのですが、読んだとたんにぐっと来てしまいました。これが生活の中でどう実践されているのか、美しい風景の中で、ぼやきもしんどさもいさかいも、すべて包み込んで垣間見ることができます。今の日本でこのような共同体があることは希望です。けれども冒頭の言葉が受肉するために、どれだけの徒労とも思える努力が積み重ねされているか。祈りたくなりました。人間って素晴らしい。人間をこんな風に創った神様も素晴らしい。
映画『神々と男たち』を見て
先日、王禅寺家庭集会で『神々と男たち』という映画を見ました。1996年にアルジェリアで実際に起きた、イスラム過激派によるフランス人修道士誘拐事件を題材にして、2010年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した秀作です。戦前からアルジェリアの小さな村に移住し、医療活動や農作業などでイスラムである村人と共に生きて来た修道院ですが、イスラム過激派が外国人を殺害する事件が周辺で起こり始めます。身の危険が迫り、苦悩する修道士たちのところへフランス政府からも帰国命令が出され、村の警察署長からも「君達を尊敬している。頼むから帰国してくれ」と言われます。修道院長のクリスチャンは、コーランを熟読し、地道な宗教対話に努めて来た人でした。人道的な活動をしている彼らに対しても、身の危険が迫って来たのです。「生きるためにここに来た。死ぬためではない」という議論も交わされる中、彼らは苦渋の決断を下します。村人と共に生きること、この村にとどまることを決断するのです。圧巻は、ミサの後、無言で食事をしながら、食事当番の修道士がかけた音楽「白鳥の湖」を聴く場面。無言で目と目とを見かわしあいながら、来るべき悲劇を予感しつつ、人々への愛、神への愛に満たされて、涙ながらに互いの決意を確認するシーンに胸がつまりました。人は究極の決断を何によって行うのでしょうか。信仰者は当然、信仰においてと答えるでしょう。しかし、実際に身の危険が迫り、理不尽な死が迫っている時に、動揺しないはずがありません。彼らは大きく揺れながらも、知性を精一杯働かせ、信仰において熟慮し決断してゆくのです。そのプロセスこそがこの映画の見どころです。その後、修道院はイスラム過激派に襲撃され、修道士たちは誘拐され、フランス政府に身代金を要求する人質として使われ、最後に殺害されます。修道院長の遺書が実際に残されていて、その言葉がまた胸を打ちました。「私はこの国の人々に注がれる軽蔑を知っている」と、植民地支配の過酷な歴史を知るゆえに、この地の人々と共に生きることを選んだ思いがつづられていました。そして「イエスの死も、また死後すぐに忘れられた。他の暴力的な死と一緒だ」と、まるで自分たちの死を暗示するかのように。このイスラム教の村人とも共に生きようとした彼らの軌跡は、人間の対話の可能性を示していてくれています。人はここまで寛容に優しく、しかも強くなれるのだと。悲劇ではありますが希望が残る生き方を示してくれたのです。同様の暴力による日本人人質事件がいまだに解決しないままですが、後藤さんの無事を祈るばかりです。(このエッセイを書いた時点で、後藤進二さんの殺害の情報は入っていませんでした。後藤さん、湯川さんの魂が神の御元で安らかに憩わんことを祈ります。)
No.158<被災地の現在―佐藤真史牧師の集中講義を聞いて>
先週の火曜日、水曜日の午後、農村伝道神学校で開かれた集中講義「3・11を生きるキリスト教」に行ってきました。佐藤真史牧師(11月に按手礼を受けて牧師になられたそうです。おめでとうございます!)は、2013年の夏期集会にも講師としてきてくれ、被災地の現状を話してくれたので、記憶に新しい方も多い方も多いと思います。現在は、初期の緊急支援(援助物資の提供、瓦礫撤去作業、家の泥かき等々)から、中長期支援(仮設住宅に住む人々への支援、農家の自立のための支援、こども広場等)に内容が変わってきており、その困難さも様々に出てきていることを語られました。 特に、震災から年月が立つにつれて、人々から忘れられ、孤立化してしまう人々が出てきている。仮設住宅の中で、また引っ越しをした復興住宅の中で。それゆえ人々を「孤独死」をさせない、ということを現在は大きな目標として掲げているそうです。 エマオが支援活動の初期の頃から、非常に丁寧に人と人をつなぐ仕事をしていること、効率よりも、人とのつながり、出会いを大切にする「スローワーク」の原則で活動を続けてきたことに、改めて感銘を受けました。その中で、地域の人たちとボランテイアとの信頼が育ち、震災でばらばらになった家族、大人、こどもが再びつながり、被災者の御苦労に寄り添うことによって、若者が育っていっています。しかしこれは数値化したり、結果が明らかに見えるものではなく、伝わりにくいことなので、現地を知らない人たちとのギャップを覚えることも多々あるそうで、伝える努力をしてゆきたいと真史さんは、語っていました。
東北教区では、仮設住宅に最後の人がいなくなるまでエマオの活動は存続させる、と決定したということ。この意義は大きいと真史さんも話していました。まぶねにつながる若い牧師のひたむきな活動から、また多くのことを学ばされました。
東北教区では、仮設住宅に最後の人がいなくなるまでエマオの活動は存続させる、と決定したということ。この意義は大きいと真史さんも話していました。まぶねにつながる若い牧師のひたむきな活動から、また多くのことを学ばされました。
No.157「映画『大いなる沈黙へ』を見て」
8月の始めに岩波ホールで上映していた映画『大いなる沈黙へ』を見に行ってきました。映画は大変な人気で上映40分前にいったにもかかわらず、一階下の会議室の奥まで長蛇の列でした。この映画はフランスの片田舎にあるカルトジオ会修道院のドキュメンタリーです。沈黙の中で生涯を過ごす観想修道会の生活が映し出されています。沈黙の修道生活ですから、当然、セリフも音楽も筋書きもありません。それでも見終わって満たされる至福の思い。光の陰影、風の音、修道士服の衣擦れの音、その慎ましやかな美しさ。是非多くの方に見ていただきたい映画だと思いました。監督が4ヶ月修道士と同じ生活をしながら、一日2時間だけカメラを回して撮影した映画です。真夜中に起きて祈り、また、短い睡眠時間にかかわらず労働し、また個室で祈るという生活。おのずと修道士たちの息遣いまでも伝わってくる画面から、見る私たちも自然と修道士たちの内面世界へ引きこまれてゆきます。私は「ああ、私はこの心象風景を知っている」と懐かしい温かいものに、次第に満たされてゆきました。沈黙の持つ創造的な力、癒しの力、その底知れない力に満ちた沈黙の時間と空間に、私はどれだけ助けられてきたでしょうか。沈黙とはただ言葉をしゃべらないという消極的な意味だけではありません。言葉を絶ったところから、私たちを根源で支えている源と一致するための旅路が始まります。言葉を超えた言葉、意味を超えた意味がそこに現れます。言葉を超えた言葉を聴くー意味を超えた意味が開示されるのを待つーそれこそが祈りの態度であり、信仰者の姿勢ではないでしょうか。最後に目の見えない修道者が至福に満ちて語る言葉「みんなはどれほど神様が恵み深いかを知らない」。宗教の価値を誰もが顧みなくなっているような現代。多くの人はこの修道士の言葉を信じられない思いで聴くかもしれません。でも簡素で厳しい修道生活の中で、修道士たちが沈黙の中で神と一致しているその至福をうらやましいと思う人も多いことでしょう。あまりにも忙しすぎる現代生活の中で、忘れ去られてしまったもの、この映画はその大切さを訴えかけています。
オープン・カフェードイツ風ニョッキを作りました!
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| 【ドイツ風ニョッキの夏野菜ソースがけ つけあわせのサラダとNさんの手作り厚揚げに鶏挽き肉を入れた一品 Mさんの手作りふきの煮物】 |
昨日のオープン・カフェではみんなでドイツ風ニョッキの夏野菜ソースがけ、を作りました。
私がドイツ留学中、「コレギウム・エキュメニクム」という教会が運営している寮にいたのですが
ドイツ人学生と外国人学生が半々。女性と男性も半々。神学専攻とその他の専攻の学生も半々という
構成でした。
フロアごとに共同の台所があって、いつも誰かが料理をしています。そしてそこでは、しょっちゅう持ち寄りパーテイーを開いていました。
そんな中で、ドイツ人の学生ヨハネスに教わったニョッキを、今回は作りました。
彼は調理師学校の教師になる過程を専攻。しょっちゅう、おいしいものを作って
私達にふるまってくれました。お返しに、私も日本食をごちそうしていました。
当時は、すしがブームになっていましたから、「寿司職人の皆様、ごめんなさい」
と心のなかで言いながら、お寿司を作ってはごちそうしていました。
さて、今回のレシピを紹介します。
1.じゃがいむを皮ごと蒸して、皮をむき、つぶしてふるった小麦粉と溶き卵を混ぜて
耳たぶくらいの柔らかさに練ります。
2.それを棒状にのばして、包丁で7,8ミリに切り手でコイン状にまるめ、フォークで表面に模様をつけます。
3.沸騰したお湯にニョッキを入れて、浮き上がってきたら、お湯から取り出します。
夏野菜のソースは、人参、玉ねぎ、アスパラガス、ズッキーニ、今回は鶏ささみを使いましたが
ハムやベーコン、ソーセージでもOK。食べやすく刻み、にんにくとオリーブオールで炒め、最後に
生クリーム、塩、ハーブ(今回はローズマリー)で仕上げます。
ソースは、何でもよいのです。定番のミートソースでも美味しいです。
出来上がりは、じゃがいもの甘さがほんのりと効いて、夏野菜の旨味がからまったおいしい一品となりました。
みんなで作って、みんなで食べる。
あたりまえのことですが、なんて豊かな時間なのだろうと思いました。
心のこもった栄養のバランスのあるものを、みんなで分かち合う。
食を分かち合うとは、心を分かち合うことです。
これは人間の基本の営みではないでしょうか。
でも、このあたりまえのことが成立してなくなっている人が
この日本でも大勢いることを思います。
一人ぐらしの皆さん、贅沢なものでなくていいからこころをこめて料理をして
「食」の時間をゆっくり取ってみませんか。
心と体が養われると、明日への活力も湧いてきます。
料理の仕方がわからないという方ー「まぶねランチのレシピ集」(100円)をお分けしています。
皆さん、身近な人と是非、ゆっくり「食」を分かち合う時間を持ちませんか。
まぶね教会のオープンカフェは第3火曜日の10時ー15時。
いつでも、お待ちしています。
<懇談礼拝-尊厳死をめぐって>
5月の懇談礼拝は、K・Sさんのお話で尊厳死をめぐってでした。終末期と
言われる数日から約3週間の間をどのようにすごすのか。
現在は「胃ろう」をつけ「点滴」をして延命するケースがほとんどですが、それによってさまざまな問題が生じます。「そのとき」が来る前に、余裕をもって考える時間が必要だ、というお話でした。
懇談の時間では、家族を看取った遺族の方々からの重い発言が次々とありました。その方々の発言を聞きながら、私自身も10年前に家で看取った父の最後を思い出していました。「断末魔の苦しみ」という言葉がありますが、父を最後の瞬間まで「見守る」ことは家族3人でいくらエネルギーを注いでも足りない、と思われるほどの大仕事でした。終わりがいつなのかわかっているのなら、気持の張りを持たせることができます。しかし、その時がいつ訪れるのかわかりません。日常のさまざまな悩みとは別に、家族は死と向き合うことに耐え抜かねばならないのです。
懇談での皆さんの発言を聞きながら、その記憶が蘇ってきました。また一人一人の発言から、あの時の決断は、本当にあれでよかったのだろうか、という人にはなかなか語れない後悔の思いも抱えながら、遺族は生きてゆくのだ、ということを実感しました。天国へ召された方の人生の重さ、それをまた抱えながら生きてゆく遺族の方々の人生の重さ。
「まっすぐに生きたいと思っていた。
間違っていた。
人は曲がった木のように生きる。
きみはそのことに気づいていたか」 (長田弘「イツカ向コウデ」『死者の贈り物Ⅱ』)
という詩を思い出しました。
また、その人生の重さをこうやって分かちあえる教会という場はいいな、とここに集えることに感謝しました。
言われる数日から約3週間の間をどのようにすごすのか。
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| 【教会の花壇の春の花々】 |
現在は「胃ろう」をつけ「点滴」をして延命するケースがほとんどですが、それによってさまざまな問題が生じます。「そのとき」が来る前に、余裕をもって考える時間が必要だ、というお話でした。
懇談の時間では、家族を看取った遺族の方々からの重い発言が次々とありました。その方々の発言を聞きながら、私自身も10年前に家で看取った父の最後を思い出していました。「断末魔の苦しみ」という言葉がありますが、父を最後の瞬間まで「見守る」ことは家族3人でいくらエネルギーを注いでも足りない、と思われるほどの大仕事でした。終わりがいつなのかわかっているのなら、気持の張りを持たせることができます。しかし、その時がいつ訪れるのかわかりません。日常のさまざまな悩みとは別に、家族は死と向き合うことに耐え抜かねばならないのです。
懇談での皆さんの発言を聞きながら、その記憶が蘇ってきました。また一人一人の発言から、あの時の決断は、本当にあれでよかったのだろうか、という人にはなかなか語れない後悔の思いも抱えながら、遺族は生きてゆくのだ、ということを実感しました。天国へ召された方の人生の重さ、それをまた抱えながら生きてゆく遺族の方々の人生の重さ。
「まっすぐに生きたいと思っていた。
間違っていた。
人は曲がった木のように生きる。
きみはそのことに気づいていたか」 (長田弘「イツカ向コウデ」『死者の贈り物Ⅱ』)
という詩を思い出しました。
また、その人生の重さをこうやって分かちあえる教会という場はいいな、とここに集えることに感謝しました。
<2014年受難節第1主日3・11東日本大震災祈念礼拝使信「誘惑を受けるイエス」>
聖書:マルコによる福音書1章12-15節
それから“霊”はイエスを荒野に送りだした。イエスは40日間そこにとどまり、サタン
から誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
2011年3月11日東日本大震災。あれから3年がたとうとしています。
山浦玄嗣(はるつぐ)『何故と問わない』(教団出版局、2012)を読みました。その中で次のような言葉があります。
「今回のような震災が起きたことを『不条理』と捉える向きもありましたが、そもそも生そのものが不条理とも言えます。魚は人間に食べられるために、ある日巨大な網にからめ捕えられて殺されます。家畜の豚は、今日もえさがもらえると思って飼育員に走り寄ったら、屠られてしまう。人間だけそうした不条理にまったく遭わないという道理は通用しません。」「この地方の独特のスタイルに津波もあるのです。40年に一回は大津波が来て、人口の1割か2割がさらっていかれるのです。これは当たり前のことなのです。必ずこうなるのです。この世界はそういうふうにできているのです。それに文句を言っても始まりません。言うだけ無駄です。『何故』と問うこと自体に意味がないと私は思います」
これは山浦氏の信仰告白だと私は思いました。
我々の生は「不条理」です。イエスが神からの大いなる祝福の後にこの荒野の試みを受けたことは、この視点からわかる気がします。イエスもまた「不条理」を被る運命にある人間として生まれたのです。宣教活動を開始する前に、そのことをあえて凝縮して味わう必要がイエスにはあったのではないでしょうか。何故と問うこと自体意味がない、と山浦氏の言う厳然とした地球の秩序、神の秩序、その一部としての人間を、イエスは荒野で獣たちと共に体験したのではないでしょうか。
「誘惑」=「試み」は、しかし結果がわかりません。それを体験しくぐりぬけたことで初めて克服できるものであって、自分が破滅するかもしれない危機と隣り合わせです。イエスが「霊」にあえて導かれて荒野に行き、試みを受けたことーそこには限りのない神の人間への愛があります。何故「試み」に導かれたのかはわかりません。しかし「試み」の中でこそ、実践的な知恵は磨かれます。主の祈りで「試みにあわせないでください」と私達は祈ります。時に「試み」にあっても乗り越えて行く勇気と力を私達に与え下さい、とこの受難節の時、祈ってもいいのではないでしょうか。しかしそれは「私」が中心になるのではなく、神が中心となる事です。神のことばを中心にすることによって、イエスも富、権力、奇跡を起こす超人的な力への誘惑を乗り越えることができたのです。
3・11大震災の犠牲になられた人々、被災して立ち上がった人々、まだ、再建の見通しの立っていない人々、今、受難のただ中にある人々を覚えたいと思います。どんなに小さな歩みでも、受難の中にある人々と連帯しながら歩んでまいりたいと思います。試みを受けたイエスが、まず私達に先だって歩んでおられるのですから。
それから“霊”はイエスを荒野に送りだした。イエスは40日間そこにとどまり、サタン
から誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。
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| 【湖水の照り返し】 |
山浦玄嗣(はるつぐ)『何故と問わない』(教団出版局、2012)を読みました。その中で次のような言葉があります。
「今回のような震災が起きたことを『不条理』と捉える向きもありましたが、そもそも生そのものが不条理とも言えます。魚は人間に食べられるために、ある日巨大な網にからめ捕えられて殺されます。家畜の豚は、今日もえさがもらえると思って飼育員に走り寄ったら、屠られてしまう。人間だけそうした不条理にまったく遭わないという道理は通用しません。」「この地方の独特のスタイルに津波もあるのです。40年に一回は大津波が来て、人口の1割か2割がさらっていかれるのです。これは当たり前のことなのです。必ずこうなるのです。この世界はそういうふうにできているのです。それに文句を言っても始まりません。言うだけ無駄です。『何故』と問うこと自体に意味がないと私は思います」
これは山浦氏の信仰告白だと私は思いました。
我々の生は「不条理」です。イエスが神からの大いなる祝福の後にこの荒野の試みを受けたことは、この視点からわかる気がします。イエスもまた「不条理」を被る運命にある人間として生まれたのです。宣教活動を開始する前に、そのことをあえて凝縮して味わう必要がイエスにはあったのではないでしょうか。何故と問うこと自体意味がない、と山浦氏の言う厳然とした地球の秩序、神の秩序、その一部としての人間を、イエスは荒野で獣たちと共に体験したのではないでしょうか。
「誘惑」=「試み」は、しかし結果がわかりません。それを体験しくぐりぬけたことで初めて克服できるものであって、自分が破滅するかもしれない危機と隣り合わせです。イエスが「霊」にあえて導かれて荒野に行き、試みを受けたことーそこには限りのない神の人間への愛があります。何故「試み」に導かれたのかはわかりません。しかし「試み」の中でこそ、実践的な知恵は磨かれます。主の祈りで「試みにあわせないでください」と私達は祈ります。時に「試み」にあっても乗り越えて行く勇気と力を私達に与え下さい、とこの受難節の時、祈ってもいいのではないでしょうか。しかしそれは「私」が中心になるのではなく、神が中心となる事です。神のことばを中心にすることによって、イエスも富、権力、奇跡を起こす超人的な力への誘惑を乗り越えることができたのです。
3・11大震災の犠牲になられた人々、被災して立ち上がった人々、まだ、再建の見通しの立っていない人々、今、受難のただ中にある人々を覚えたいと思います。どんなに小さな歩みでも、受難の中にある人々と連帯しながら歩んでまいりたいと思います。試みを受けたイエスが、まず私達に先だって歩んでおられるのですから。
東日本大震災を覚える祈り
3月11日に一番近い日曜日の3月9日。
まぶね教会では、「3・11東日本大震災祈念礼拝」を共に守りました。
詩篇46
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、湧き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも」
を司会者が読み、次の祈りを唱えました。
<東日本大震災を覚える祈り>
司 会:主よ、2011年3月11日東日本大震災を覚えて祈ります。
津波や地震によって亡くなった方々、行方不明の方々の魂が、
あなたの御元で安らかに憩うことができますように。
会 衆: 主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 津波や地震で一瞬のうちに、家族や友人、大切な人々、
家や財産、土地を失った方々の心の痛みと悲しみ、喪失感に、
どうぞあなたが寄り添ってくださいますように。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 仮設住宅や避難先で暮らしている人々の心身の健康が守られますように。
そして地域の復興への希望を灯し続けることができますように。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:原発事故によって避難を余儀なくされた人々、福島で放射能に不安を覚えながら
暮らしている人々を、特に子どもたちをお守りください。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:この大震災によって露わになった日本社会の不正義、格差、脆弱な姿を、
私達は目をそむけることなく見据えることができますように。
そしてあなたの愛と平和が、この社会に実現するよう働くことができますように。
特に被災した方々の尊厳が、大切にされる社会となりますように。
合 同:主よ、わたしたちをあなたの平和の道具としてください。
主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
まぶね教会では、「3・11東日本大震災祈念礼拝」を共に守りました。
詩篇46
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
わたしたちは決して恐れない
地が姿を変え
山々が揺らいで海の中に移るとも
海の水が騒ぎ、湧き返り
その高ぶるさまに山々が震えるとも」
を司会者が読み、次の祈りを唱えました。
<東日本大震災を覚える祈り>
司 会:主よ、2011年3月11日東日本大震災を覚えて祈ります。
津波や地震によって亡くなった方々、行方不明の方々の魂が、
あなたの御元で安らかに憩うことができますように。
会 衆: 主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 津波や地震で一瞬のうちに、家族や友人、大切な人々、
家や財産、土地を失った方々の心の痛みと悲しみ、喪失感に、
どうぞあなたが寄り添ってくださいますように。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 仮設住宅や避難先で暮らしている人々の心身の健康が守られますように。
そして地域の復興への希望を灯し続けることができますように。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:原発事故によって避難を余儀なくされた人々、福島で放射能に不安を覚えながら
暮らしている人々を、特に子どもたちをお守りください。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:この大震災によって露わになった日本社会の不正義、格差、脆弱な姿を、
私達は目をそむけることなく見据えることができますように。
そしてあなたの愛と平和が、この社会に実現するよう働くことができますように。
特に被災した方々の尊厳が、大切にされる社会となりますように。
合 同:主よ、わたしたちをあなたの平和の道具としてください。
主イエスの御名によって祈ります。アーメン。
<2014年1月12日新成人祝福式礼拝・使信「あなたはわたしの愛する子」>
石井 智恵美
マルコによる福音書1:9-11
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受け
られた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊“が鳩のようにご自分に降ってく
るのを御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者」と
いう声が、天から聞こえた。
今日は新成人祝福式です。日本では成人が20歳になっていますが、成人となった人々への祝福の礼拝です。先週は、通過儀礼という話をしました。今までの自分の限界を超えるような出来事を体験することで、自分への自信を深め新しい人生の段階へ踏み出してゆく大切さについて。成人と言うのは、大人として認められることです。しかし、何度も言われていることですが、そこには責任が伴います。だからこそ成人になるまでに実力を蓄えることが求められるのです。
友人の結婚式でお父様が話された話しを思い出します。成人式を迎えた友人が、目の不自由な人のボランテイアを継続していて、成人式が終わると振袖姿のままでそのボランテイアへ向かって行った姿を見たお父様がその感想を話されました。他者のために働くことを当たり前のように行っている娘を見て、よい娘に育ってくれた、その姿こそ本当に成人式だ、と語ってくれました。
他者と共に生き、他者の重荷を担い、また時には自分の重荷を担ってもらう、それが成人になることです。「自立」ということが言われますが、「自立」とは決して人との関わりを断つことではありません。関わりの中で、互いに責任を負いあうこと、ではないでしょうか。
今日の聖書の言葉「あなたは私の愛する子。私の心に適う者」これは神のイエスに対する承認の言葉です。神との深いかかわりがあって、イエスは宣教の業を始められました。新しい宣教の行為を始めるにあたって、イエスはこの承認を神から頂いています。自分だけで宣教の業を始めたのではありません。
わたしたちもまた、多くの人々の無数の関わりによって育てられ、養われて来ました。「自立」ということは、何よりも自分の人生を生き抜くことです。自分の課題、自分の使命を知り、それを担うことです。それは誰かが代わってやってくれるものではないのです。その重さ、厳しさはあります。しかしその重さ、厳しさを知っている人は、だからこそ、その人がより良い人生を歩み行けるよう、互い助け合い、支え合うのではないでしょうか。またその恩を、人を育てることによって返してゆくのではないでしょうか。そこに限りのない神の祝福があることを、私は信じます。
マルコによる福音書1:9-11
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受け
られた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊“が鳩のようにご自分に降ってく
るのを御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者」と
いう声が、天から聞こえた。
今日は新成人祝福式です。日本では成人が20歳になっていますが、成人となった人々への祝福の礼拝です。先週は、通過儀礼という話をしました。今までの自分の限界を超えるような出来事を体験することで、自分への自信を深め新しい人生の段階へ踏み出してゆく大切さについて。成人と言うのは、大人として認められることです。しかし、何度も言われていることですが、そこには責任が伴います。だからこそ成人になるまでに実力を蓄えることが求められるのです。
友人の結婚式でお父様が話された話しを思い出します。成人式を迎えた友人が、目の不自由な人のボランテイアを継続していて、成人式が終わると振袖姿のままでそのボランテイアへ向かって行った姿を見たお父様がその感想を話されました。他者のために働くことを当たり前のように行っている娘を見て、よい娘に育ってくれた、その姿こそ本当に成人式だ、と語ってくれました。
他者と共に生き、他者の重荷を担い、また時には自分の重荷を担ってもらう、それが成人になることです。「自立」ということが言われますが、「自立」とは決して人との関わりを断つことではありません。関わりの中で、互いに責任を負いあうこと、ではないでしょうか。
今日の聖書の言葉「あなたは私の愛する子。私の心に適う者」これは神のイエスに対する承認の言葉です。神との深いかかわりがあって、イエスは宣教の業を始められました。新しい宣教の行為を始めるにあたって、イエスはこの承認を神から頂いています。自分だけで宣教の業を始めたのではありません。
わたしたちもまた、多くの人々の無数の関わりによって育てられ、養われて来ました。「自立」ということは、何よりも自分の人生を生き抜くことです。自分の課題、自分の使命を知り、それを担うことです。それは誰かが代わってやってくれるものではないのです。その重さ、厳しさはあります。しかしその重さ、厳しさを知っている人は、だからこそ、その人がより良い人生を歩み行けるよう、互い助け合い、支え合うのではないでしょうか。またその恩を、人を育てることによって返してゆくのではないでしょうか。そこに限りのない神の祝福があることを、私は信じます。
2014年1月6日故Kさん告別式メッセージ「愛がなければ」
聖書:コリント信徒への手紙Ⅰ 13章1-13節
● Kさんとまぶね教会
わたしたちの敬愛するKさんが、2014年1月1日天に召されました。享年78歳でした。入院先の病院で、死因は肺炎であった、そうです。元旦の朝、教会員のYさんより、電話でKさんの訃報を知らされました。
Kさんは、このまぶね教会の前身である城南ヨハネ伝道所の時からのメンバーで、いわば教会の草創期を支えた大切なメンバーのお一人でありました。1962年、キリスト教信者のTさんと船水牧師(東京神学大学教授)の司式で結婚されてから、城南ヨハネ伝道所、その後はまぶね伝道所の立ち上げへつながり、1966年には船水牧師より受洗された、と略歴にあります。現在、教会の小礼拝堂には若き日のKさん・Tさん夫妻とYさん夫妻が、「城南ヨハネ伝道所」の看板を前にした写真が掲げてあります。Kさんはすらーっとした好青年で、すてきにコートを着こなしています。
Kさんは「受洗はうれしい思い出」として、『まぶね便り』2003年4月27日号に以下のような文章を載せています。「教会生活で得たこと――教会生活では数え切れないほど多くのものを得たと思う。まず、キリスト教に出会うことなく人生を送っていたとしたら、私の人生は社会的にも家庭的にも決してよいものではなかっただろうと思う。キリスト教との出会いは、40年前、つれあいのTからYさん夫妻を紹介されたときからである。T、Yさんには多くのことを学び教えていただいた。」そして、うれしかったこと、として、1966年6月5日に船水先生より受けた洗礼をあげています。
私は2010年の2月にまぶね教会に牧師として赴任し、Kさんにお目にかかったのは確か3月。パーキンソン病が進んで車椅子でおつれあいのTさんと礼拝に来られていた。そして4月にあった座間での展覧会に、Yさん夫妻に連れられてまいりました。その時の感想を教会の週報に「絵の力」としてエッセイに書きました。Kさんの絵には人を動かす力がある、と心から感動しました。病のためあまり話をすることができないKさんに代わって、Tさんが絵の制作過程や題材について等、丁寧な説明をしてくださり、Kさんの作品を一人でも多くの人に理解してほしという情熱が伝わってきてKさんへの愛情に裏打ちされていることが伝わってきました。本当に素敵な御夫妻だな、というのは、お二人に出会ったときの第一印象でした。
●Kさんと油絵
それから、入退院を繰り返すKさんを、何度かお見舞いし、2012年銀座のギャラリーで開かれた「自画像100点展」も伺うことができ、病の中でも創作意欲の衰えないKさんの生命力に圧倒される思いがしました。教会で開かれる秋の「まぶね芸術展」にも毎回出展をしてくださっていました。Kさんの絵は大作でしたから、いつもこの礼拝堂の正面の壁に掲げられました。
しかし、意外なことにKさんが油絵を書き始めたのは略歴によると2002年。比較的最近です。もちろん、武蔵野美術大学で学ばれたKさんですから、絵の才能は豊かにおありになったのでしょうけれども、油絵を本格的に始めたのがそんなに遅かったとは本当に意外でした。Kさんが『まぶね40年誌』(2007)に掲載されている文章によると、以下のようです。
「私が本格的に油絵を描き始めたきっかけは、第一回まぶね芸術展(2004年)に出品したのが、始まりである。油絵を描いて見たい、という下地はあった。当時Nさんが週一回我が家に来て、Tと三人で水彩絵の具で描いていた。Nさんの勧めで地元の絵画サークルに入会した。サークルの合評会に作品を出したら、僕の絵には何か訴える力がある、大和市の一般公募展に応募するようにと勧められて応募した。結果的に審査委員長賞を貰った。私の生活が一変した。家にいるのが多かった以前とは違って地元の文化祭にも積極的に参加し、多くの人と声を掛け合うようになった。体調もよくなり歩く足取りも軽くなったように思う。会う人ごとに『元気になって良かったね』といわれる。」
私が読んではっとしたは、Kさんの絵を描く姿勢があらわれている次の箇所です。
「絵を描くにに上手い下手はないと思う。技法は未熟でも見る人の心を打つような表現はあると思う。それは無心になって書いた時で、少しぐらい拙い技法でも願いが叶う。一方知らず知らずのうちに高慢になり、上手くきれいに描こうなどと考え出すと、とたんに絵は描けなくなる。筆は動かず、勢いがなくなる。秘められた潜在能力は力を失う、と言われる。願いを叶える制作は固定観念や既成概念から解放されなければならない。」 今日のお話しを準備する私を、Kさんが励ましてくれているような気がしました。大勢の人の前で、特に悲しみの内にあるご家族の前で、良いお話しをしなければ、という自分の願いに縛られると、やはり、自由に話を組み立てることはできなくなって、つまらないものになってしまうのです。そういう自分の変な気負いを捨てて、自由にやりなさい、とKさんから励まされた気がいたしました。
●「愛の賛歌」
さて、今日選んだ聖書の箇所コリントの信徒への手紙13章は、有名な「愛の賛歌」と言われる箇所で、良く結婚式などでも読まれるところです。Kさんが、私の愛唱讃美歌、愛唱聖句として教会に残しておいてくれた箇所です。
元旦の晩に、Kさんのお宅を訪ねて祈りを捧げた後に、つれあいのTさんが「おとうさんは、“ふれあい”が好きだったね」というお話しをなさいました。カラオケでも中村雅俊の「ふれあい」をよく歌っていたそうです。また、Mさんからは、教会の壮年会の飲み会でエデイット・ピアフの「愛の賛歌」を朗々と歌って、Tさんに捧げたとのお話しもうかがいました。そんなKさんらしい箇所を愛唱聖句として選ばれたのだな、と思います。「愛がなければ」と今日のお話しのタイトルにつけさせていただきました。特に1-3節にその言葉が繰り返されています。
「たとえ人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰をもっていようとも愛がなければ無に等しい。」
ここでいう「異言」というのは、聖なる霊が降りてきて普通には理解できないようないわば聖なる言葉のことです。そのような常人を超えた卓越した能力をもっていても、山を動かすような奇跡を行う力をもっていても、愛がなければ無に等しい、とパウロは言うのです。
また「全財産を貧しい人のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければわたしに何の益もない。」
貧しい人々に、全財産を施すという大きな慈善を行っても、また、次の言葉は、信仰に殉じて命を落とすことをさしていると思われますが、人々が賞賛するような立派な行いをしたとしても、そこに愛がなければ意味がない、とパウロは言うのです。
愛がなければ、そのような立派な行いはできないのでなないか、と私達は考えてしまいますが、使徒パウロはやはり長年自分の良心を吟味し信仰を培ってきた人であるゆえに、人間の心の奥深いあやを良く見ています。たとえ人から見てどれほど立派な行為をしていても、そこに愛がない場合がある、自分の名誉心や功名心が動機となっている場合があるのだ、とその事実をつきつけているのです。
● 愛の力
私はKさんが何故、この個所を選ばれたのか、と思い巡らしました。Kさんもまた芸術家として人の心のあやを深く見つめていた方ではなかったでしょうか。私はKさんの自画像の作品群を見た時に、なにか、こちらが普段隠している奥深い次元にまで触れてくるような不思議な感覚を覚えました。
そこには、「顔」として現されている形以上のものが、人の心の奥底にうごめいているものが表現されていると思いました。そのようなKさんだからこそ「愛がなければ」無に等しい、ということを普通の人以上に感じておられたのかもしれません。
今日のこの聖書箇所を素直に朗読してみてください。ただただ心を打たれます。
「愛は忍耐強い、情け深い、ねたまない、自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを偲び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
わたしたちの内にこのような素晴らしい力があるのです。愛という力がある。もちろん、このようなことを完全に行うことのできる人はほとんどいないでしょう。しかし、私たちの信じるイエス・キリストはまさにこの愛を実践した人です。この世界で、ただ愛に突き動かされ、神と人を愛し生きたイエス・キリストいう方がいた。
そのイエス・キリストに従おうという人々が、クリスチャンですから、たとえどんなに小さくても不完全でも、この愛の力を発揮しようとすること、そこにこそ、大きな意味があることを、又、Kさんも知っていたのではないでしょうか。
「たとえ、どれほどの素晴らしい芸術作品を作り上げたとしても、愛がなければ無に等しい」とKさんは信じていたのではないでしょうか。Kさんは次のような文章も残しています。「絵を描くのは楽しい。制作過程で苦しい時があるが、描き進んでいると夢中になる。私は油絵を描き始めた時から『顔」を描いている。自分を見つめているといろんな自分が出てくる。私は心が偉大なことを信じる。考え方を明確にして祈れば(願えば)神様は必ず力を下さる。求めよ、そうすれば与えられます。探しなさい、見つかります。叩きなさい、門は開かれます。(マタイ7:7)私は神様を信じます。」
●「愛がなければ」
絵を描きながらいろんな自分が出てくる、そして心が偉大なことを信じるとKさんは記しています。Kさんが、絵を描きながら究極的に見出したのは、心が偉大なこと、すなわち私達には無限の愛が宿っていること、そしてそのように人を造られた神への感謝と敬意ではなかったでしょうか。
「わたしは神様を信じます」の一言にその思いがこめられていると思います。今日の聖書の箇所にあります「愛がなければ」の言葉。このことを残された私達は、この地上の旅路を終えるその時まで、旅路の杖として歩んでまいりたいと思います。復活の希望をもって眠りについた兄弟姉妹たちと相まみえるその時まで。神が残されたご遺族の上に、特に豊かな慰めと癒しの御手を差し伸べてくださいますように、切に祈り願います。
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| 【Kさんの作品「自画像」2012年まぶね芸術展出展作品】 |
● Kさんとまぶね教会
わたしたちの敬愛するKさんが、2014年1月1日天に召されました。享年78歳でした。入院先の病院で、死因は肺炎であった、そうです。元旦の朝、教会員のYさんより、電話でKさんの訃報を知らされました。
Kさんは、このまぶね教会の前身である城南ヨハネ伝道所の時からのメンバーで、いわば教会の草創期を支えた大切なメンバーのお一人でありました。1962年、キリスト教信者のTさんと船水牧師(東京神学大学教授)の司式で結婚されてから、城南ヨハネ伝道所、その後はまぶね伝道所の立ち上げへつながり、1966年には船水牧師より受洗された、と略歴にあります。現在、教会の小礼拝堂には若き日のKさん・Tさん夫妻とYさん夫妻が、「城南ヨハネ伝道所」の看板を前にした写真が掲げてあります。Kさんはすらーっとした好青年で、すてきにコートを着こなしています。
Kさんは「受洗はうれしい思い出」として、『まぶね便り』2003年4月27日号に以下のような文章を載せています。「教会生活で得たこと――教会生活では数え切れないほど多くのものを得たと思う。まず、キリスト教に出会うことなく人生を送っていたとしたら、私の人生は社会的にも家庭的にも決してよいものではなかっただろうと思う。キリスト教との出会いは、40年前、つれあいのTからYさん夫妻を紹介されたときからである。T、Yさんには多くのことを学び教えていただいた。」そして、うれしかったこと、として、1966年6月5日に船水先生より受けた洗礼をあげています。
私は2010年の2月にまぶね教会に牧師として赴任し、Kさんにお目にかかったのは確か3月。パーキンソン病が進んで車椅子でおつれあいのTさんと礼拝に来られていた。そして4月にあった座間での展覧会に、Yさん夫妻に連れられてまいりました。その時の感想を教会の週報に「絵の力」としてエッセイに書きました。Kさんの絵には人を動かす力がある、と心から感動しました。病のためあまり話をすることができないKさんに代わって、Tさんが絵の制作過程や題材について等、丁寧な説明をしてくださり、Kさんの作品を一人でも多くの人に理解してほしという情熱が伝わってきてKさんへの愛情に裏打ちされていることが伝わってきました。本当に素敵な御夫妻だな、というのは、お二人に出会ったときの第一印象でした。
●Kさんと油絵
それから、入退院を繰り返すKさんを、何度かお見舞いし、2012年銀座のギャラリーで開かれた「自画像100点展」も伺うことができ、病の中でも創作意欲の衰えないKさんの生命力に圧倒される思いがしました。教会で開かれる秋の「まぶね芸術展」にも毎回出展をしてくださっていました。Kさんの絵は大作でしたから、いつもこの礼拝堂の正面の壁に掲げられました。
しかし、意外なことにKさんが油絵を書き始めたのは略歴によると2002年。比較的最近です。もちろん、武蔵野美術大学で学ばれたKさんですから、絵の才能は豊かにおありになったのでしょうけれども、油絵を本格的に始めたのがそんなに遅かったとは本当に意外でした。Kさんが『まぶね40年誌』(2007)に掲載されている文章によると、以下のようです。
「私が本格的に油絵を描き始めたきっかけは、第一回まぶね芸術展(2004年)に出品したのが、始まりである。油絵を描いて見たい、という下地はあった。当時Nさんが週一回我が家に来て、Tと三人で水彩絵の具で描いていた。Nさんの勧めで地元の絵画サークルに入会した。サークルの合評会に作品を出したら、僕の絵には何か訴える力がある、大和市の一般公募展に応募するようにと勧められて応募した。結果的に審査委員長賞を貰った。私の生活が一変した。家にいるのが多かった以前とは違って地元の文化祭にも積極的に参加し、多くの人と声を掛け合うようになった。体調もよくなり歩く足取りも軽くなったように思う。会う人ごとに『元気になって良かったね』といわれる。」
私が読んではっとしたは、Kさんの絵を描く姿勢があらわれている次の箇所です。
「絵を描くにに上手い下手はないと思う。技法は未熟でも見る人の心を打つような表現はあると思う。それは無心になって書いた時で、少しぐらい拙い技法でも願いが叶う。一方知らず知らずのうちに高慢になり、上手くきれいに描こうなどと考え出すと、とたんに絵は描けなくなる。筆は動かず、勢いがなくなる。秘められた潜在能力は力を失う、と言われる。願いを叶える制作は固定観念や既成概念から解放されなければならない。」 今日のお話しを準備する私を、Kさんが励ましてくれているような気がしました。大勢の人の前で、特に悲しみの内にあるご家族の前で、良いお話しをしなければ、という自分の願いに縛られると、やはり、自由に話を組み立てることはできなくなって、つまらないものになってしまうのです。そういう自分の変な気負いを捨てて、自由にやりなさい、とKさんから励まされた気がいたしました。
●「愛の賛歌」
さて、今日選んだ聖書の箇所コリントの信徒への手紙13章は、有名な「愛の賛歌」と言われる箇所で、良く結婚式などでも読まれるところです。Kさんが、私の愛唱讃美歌、愛唱聖句として教会に残しておいてくれた箇所です。
元旦の晩に、Kさんのお宅を訪ねて祈りを捧げた後に、つれあいのTさんが「おとうさんは、“ふれあい”が好きだったね」というお話しをなさいました。カラオケでも中村雅俊の「ふれあい」をよく歌っていたそうです。また、Mさんからは、教会の壮年会の飲み会でエデイット・ピアフの「愛の賛歌」を朗々と歌って、Tさんに捧げたとのお話しもうかがいました。そんなKさんらしい箇所を愛唱聖句として選ばれたのだな、と思います。「愛がなければ」と今日のお話しのタイトルにつけさせていただきました。特に1-3節にその言葉が繰り返されています。
「たとえ人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰をもっていようとも愛がなければ無に等しい。」
ここでいう「異言」というのは、聖なる霊が降りてきて普通には理解できないようないわば聖なる言葉のことです。そのような常人を超えた卓越した能力をもっていても、山を動かすような奇跡を行う力をもっていても、愛がなければ無に等しい、とパウロは言うのです。
また「全財産を貧しい人のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければわたしに何の益もない。」
貧しい人々に、全財産を施すという大きな慈善を行っても、また、次の言葉は、信仰に殉じて命を落とすことをさしていると思われますが、人々が賞賛するような立派な行いをしたとしても、そこに愛がなければ意味がない、とパウロは言うのです。
愛がなければ、そのような立派な行いはできないのでなないか、と私達は考えてしまいますが、使徒パウロはやはり長年自分の良心を吟味し信仰を培ってきた人であるゆえに、人間の心の奥深いあやを良く見ています。たとえ人から見てどれほど立派な行為をしていても、そこに愛がない場合がある、自分の名誉心や功名心が動機となっている場合があるのだ、とその事実をつきつけているのです。
● 愛の力
私はKさんが何故、この個所を選ばれたのか、と思い巡らしました。Kさんもまた芸術家として人の心のあやを深く見つめていた方ではなかったでしょうか。私はKさんの自画像の作品群を見た時に、なにか、こちらが普段隠している奥深い次元にまで触れてくるような不思議な感覚を覚えました。
そこには、「顔」として現されている形以上のものが、人の心の奥底にうごめいているものが表現されていると思いました。そのようなKさんだからこそ「愛がなければ」無に等しい、ということを普通の人以上に感じておられたのかもしれません。
今日のこの聖書箇所を素直に朗読してみてください。ただただ心を打たれます。
「愛は忍耐強い、情け深い、ねたまない、自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを偲び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
わたしたちの内にこのような素晴らしい力があるのです。愛という力がある。もちろん、このようなことを完全に行うことのできる人はほとんどいないでしょう。しかし、私たちの信じるイエス・キリストはまさにこの愛を実践した人です。この世界で、ただ愛に突き動かされ、神と人を愛し生きたイエス・キリストいう方がいた。
そのイエス・キリストに従おうという人々が、クリスチャンですから、たとえどんなに小さくても不完全でも、この愛の力を発揮しようとすること、そこにこそ、大きな意味があることを、又、Kさんも知っていたのではないでしょうか。
「たとえ、どれほどの素晴らしい芸術作品を作り上げたとしても、愛がなければ無に等しい」とKさんは信じていたのではないでしょうか。Kさんは次のような文章も残しています。「絵を描くのは楽しい。制作過程で苦しい時があるが、描き進んでいると夢中になる。私は油絵を描き始めた時から『顔」を描いている。自分を見つめているといろんな自分が出てくる。私は心が偉大なことを信じる。考え方を明確にして祈れば(願えば)神様は必ず力を下さる。求めよ、そうすれば与えられます。探しなさい、見つかります。叩きなさい、門は開かれます。(マタイ7:7)私は神様を信じます。」
●「愛がなければ」
絵を描きながらいろんな自分が出てくる、そして心が偉大なことを信じるとKさんは記しています。Kさんが、絵を描きながら究極的に見出したのは、心が偉大なこと、すなわち私達には無限の愛が宿っていること、そしてそのように人を造られた神への感謝と敬意ではなかったでしょうか。
「わたしは神様を信じます」の一言にその思いがこめられていると思います。今日の聖書の箇所にあります「愛がなければ」の言葉。このことを残された私達は、この地上の旅路を終えるその時まで、旅路の杖として歩んでまいりたいと思います。復活の希望をもって眠りについた兄弟姉妹たちと相まみえるその時まで。神が残されたご遺族の上に、特に豊かな慰めと癒しの御手を差し伸べてくださいますように、切に祈り願います。
クリスマス礼拝での秘かな出来事
クリスマス礼拝で、使信を語っている真っ最中のことです。いよいよお話しも佳境に入るというその時に、ピンポンというチャイムの音が牧師館の方から聞こえました。反射的に体が動きそうになりました。「今、クリスマス礼拝のしかも説教の真っ最中何ですから、出られません」と心の中で叫びながら、それでも、ピンポン、ピンポンと鳴り続けます。きっと礼拝に参加されている皆様はつゆほども気がつかなかったことでしょう。誰か気がついてくれないだろうか、いや、この位置では無理であろう…一番、チャイムの音が聞こえる位置にいるのは、使信者である私です。すると礼拝堂横の教会の事務室のドアをたたく音がして、「すいませーん、宅急便です。」との声が2,3度ありました。「お願いです。今日はよりにもよってクリスマス礼拝なんです。集中して話をさせてください」と心の中で叫びながら、話を続けていました。またも、牧師館の方で、ピンポン、ピンポンとチャイムを鳴らす音。多分、宅急便の方は、何か物音はするし、人がいるはずなのに、なぜ出てくれないのだろう、と思っていたことでしょう。礼拝の真っ最中にいる牧師が心の中で、そのような戦いをしているとは、つゆ知らずに。その方が去って静かになった後、多分、ストレスからでしょう、きーんと耳鳴りがしましたが、なんとか持ち直して最後まで、話を続けました。今思い出すと笑い話ですが、その時は必死でした。礼拝、愛餐会が終わって牧師館へ戻ると、不在表は入っていず、いったいあの宅急便は何だったのだろう、ときつねにつままれたような気になりました。きっとこの間、クリスマスの様々な行事を忙しい中こなす皆様の中にも、人知れずこんな笑い話が生まれていたかもしれませんね。
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| 【4本のろうそくがすべて灯ったクリスマス礼拝でのアドヴェント・クランツ】 |
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