No.118 <世界聖餐日にナガランドを覚える>

 先週、私達の教会へ来てくれたC・Sさん。Cさんに実際に出会った人は、みな何かしら引き付けられるものを感じたようで、私もその一人でした。厳しい状況の中で、絶望するのではなく、大きな夢をもって着実にそれを叶えようと努力している姿には大きな感動を覚えました。3年前ここに来てくれたAさんもそうでした。このお二人、そして、現在奨学金を支援しているSさんの故郷であるナガランドの歴史を短く紹介したいと思います。
 
 ナガランドは、16世紀から20世紀初頭の全世界的な植民地主義の時代に、大英帝国に果敢に抵抗し、1832年から1947年の115年間の間、イギリスに支配を許したのは、全体のわずか30%だった、といいます。インドを支配下に置いていたイギリスは、アッサム州に隣接するナガ丘陵地帯を支配下におさめようとしたのです。2000M級の山々が続く丘陵地帯のナガランドは、ビルマとインドの山岳地帯に広がっています。1947年にイギリスが南インドの独立を認めた時から、皮肉なことに、ナガ民族は、インドとビルマの二つの国に分割されてしまうのです。インド独立の前日に、ナガ民族評議会は独立を宣言しましたが、国連、イギリス、インド政府にまったく黙殺されてしまいました。1951年住民投票を行い、その結果は99%が独立を支持しましたが、当時のインド首相ネルーは、「独立はナガの崩壊につながる」「ナガが独立を与えられることはない」と取り合おうとしなかったそうです。そして1954年にアッサム警察や治安維持部隊や軍隊によるナガの独立運動家や民間人への拷問や暗殺がはじまります。これ以降、ナガ地域の860の村の内645の村が穀物倉まで焼き尽くされる焼き討ちに会い多くの人々がジャングルへ逃げ込みました。そして、老人、女、こどもが犠牲となったそうです。インド・ナガ戦争で20万人が犠牲になったと言いますが、それは1954年―64年の10年間に70%の人々が亡くなったといいます。その後、和平のプロセスはなかなか進まず現在に至っています。

 Cさん、Aさん、Sさんの故郷は、なんという悲劇と苦難の歴史を持っているのでしょうか。その中で、キリストの平和を心に据えて、人々の希望を耕そうとしているこの兄弟姉妹のことを深く覚えたいと思います。

参考文献:カカ・D・ライル著、木村真希子・南風島渡る訳『血と涙のナガランド』、コモンズ、2011