映画『神々と男たち』を見て

 先日、王禅寺家庭集会で『神々と男たち』という映画を見ました。1996年にアルジェリアで実際に起きた、イスラム過激派によるフランス人修道士誘拐事件を題材にして、2010年カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した秀作です。戦前からアルジェリアの小さな村に移住し、医療活動や農作業などでイスラムである村人と共に生きて来た修道院ですが、イスラム過激派が外国人を殺害する事件が周辺で起こり始めます。身の危険が迫り、苦悩する修道士たちのところへフランス政府からも帰国命令が出され、村の警察署長からも「君達を尊敬している。頼むから帰国してくれ」と言われます。修道院長のクリスチャンは、コーランを熟読し、地道な宗教対話に努めて来た人でした。人道的な活動をしている彼らに対しても、身の危険が迫って来たのです。「生きるためにここに来た。死ぬためではない」という議論も交わされる中、彼らは苦渋の決断を下します。村人と共に生きること、この村にとどまることを決断するのです。圧巻は、ミサの後、無言で食事をしながら、食事当番の修道士がかけた音楽「白鳥の湖」を聴く場面。無言で目と目とを見かわしあいながら、来るべき悲劇を予感しつつ、人々への愛、神への愛に満たされて、涙ながらに互いの決意を確認するシーンに胸がつまりました。人は究極の決断を何によって行うのでしょうか。信仰者は当然、信仰においてと答えるでしょう。しかし、実際に身の危険が迫り、理不尽な死が迫っている時に、動揺しないはずがありません。彼らは大きく揺れながらも、知性を精一杯働かせ、信仰において熟慮し決断してゆくのです。そのプロセスこそがこの映画の見どころです。その後、修道院はイスラム過激派に襲撃され、修道士たちは誘拐され、フランス政府に身代金を要求する人質として使われ、最後に殺害されます。修道院長の遺書が実際に残されていて、その言葉がまた胸を打ちました。「私はこの国の人々に注がれる軽蔑を知っている」と、植民地支配の過酷な歴史を知るゆえに、この地の人々と共に生きることを選んだ思いがつづられていました。そして「イエスの死も、また死後すぐに忘れられた。他の暴力的な死と一緒だ」と、まるで自分たちの死を暗示するかのように。このイスラム教の村人とも共に生きようとした彼らの軌跡は、人間の対話の可能性を示していてくれています。人はここまで寛容に優しく、しかも強くなれるのだと。悲劇ではありますが希望が残る生き方を示してくれたのです。同様の暴力による日本人人質事件がいまだに解決しないままですが、後藤さんの無事を祈るばかりです。(このエッセイを書いた時点で、後藤進二さんの殺害の情報は入っていませんでした。後藤さん、湯川さんの魂が神の御元で安らかに憩わんことを祈ります。)

No.158<被災地の現在―佐藤真史牧師の集中講義を聞いて>

  先週の火曜日、水曜日の午後、農村伝道神学校で開かれた集中講義「3・11を生きるキリスト教」に行ってきました。佐藤真史牧師(11月に按手礼を受けて牧師になられたそうです。おめでとうございます!)は、2013年の夏期集会にも講師としてきてくれ、被災地の現状を話してくれたので、記憶に新しい方も多い方も多いと思います。現在は、初期の緊急支援(援助物資の提供、瓦礫撤去作業、家の泥かき等々)から、中長期支援(仮設住宅に住む人々への支援、農家の自立のための支援、こども広場等)に内容が変わってきており、その困難さも様々に出てきていることを語られました。 特に、震災から年月が立つにつれて、人々から忘れられ、孤立化してしまう人々が出てきている。仮設住宅の中で、また引っ越しをした復興住宅の中で。それゆえ人々を「孤独死」をさせない、ということを現在は大きな目標として掲げているそうです。 エマオが支援活動の初期の頃から、非常に丁寧に人と人をつなぐ仕事をしていること、効率よりも、人とのつながり、出会いを大切にする「スローワーク」の原則で活動を続けてきたことに、改めて感銘を受けました。その中で、地域の人たちとボランテイアとの信頼が育ち、震災でばらばらになった家族、大人、こどもが再びつながり、被災者の御苦労に寄り添うことによって、若者が育っていっています。しかしこれは数値化したり、結果が明らかに見えるものではなく、伝わりにくいことなので、現地を知らない人たちとのギャップを覚えることも多々あるそうで、伝える努力をしてゆきたいと真史さんは、語っていました。
 東北教区では、仮設住宅に最後の人がいなくなるまでエマオの活動は存続させる、と決定したということ。この意義は大きいと真史さんも話していました。まぶねにつながる若い牧師のひたむきな活動から、また多くのことを学ばされました。 

No.157「映画『大いなる沈黙へ』を見て」

  8月の始めに岩波ホールで上映していた映画『大いなる沈黙へ』を見に行ってきました。映画は大変な人気で上映40分前にいったにもかかわらず、一階下の会議室の奥まで長蛇の列でした。この映画はフランスの片田舎にあるカルトジオ会修道院のドキュメンタリーです。沈黙の中で生涯を過ごす観想修道会の生活が映し出されています。沈黙の修道生活ですから、当然、セリフも音楽も筋書きもありません。それでも見終わって満たされる至福の思い。光の陰影、風の音、修道士服の衣擦れの音、その慎ましやかな美しさ。是非多くの方に見ていただきたい映画だと思いました。監督が4ヶ月修道士と同じ生活をしながら、一日2時間だけカメラを回して撮影した映画です。真夜中に起きて祈り、また、短い睡眠時間にかかわらず労働し、また個室で祈るという生活。おのずと修道士たちの息遣いまでも伝わってくる画面から、見る私たちも自然と修道士たちの内面世界へ引きこまれてゆきます。私は「ああ、私はこの心象風景を知っている」と懐かしい温かいものに、次第に満たされてゆきました。沈黙の持つ創造的な力、癒しの力、その底知れない力に満ちた沈黙の時間と空間に、私はどれだけ助けられてきたでしょうか。沈黙とはただ言葉をしゃべらないという消極的な意味だけではありません。言葉を絶ったところから、私たちを根源で支えている源と一致するための旅路が始まります。言葉を超えた言葉、意味を超えた意味がそこに現れます。言葉を超えた言葉を聴くー意味を超えた意味が開示されるのを待つーそれこそが祈りの態度であり、信仰者の姿勢ではないでしょうか。最後に目の見えない修道者が至福に満ちて語る言葉「みんなはどれほど神様が恵み深いかを知らない」。宗教の価値を誰もが顧みなくなっているような現代。多くの人はこの修道士の言葉を信じられない思いで聴くかもしれません。でも簡素で厳しい修道生活の中で、修道士たちが沈黙の中で神と一致しているその至福をうらやましいと思う人も多いことでしょう。あまりにも忙しすぎる現代生活の中で、忘れ去られてしまったもの、この映画はその大切さを訴えかけています。 

オープン・カフェードイツ風ニョッキを作りました!

【ドイツ風ニョッキの夏野菜ソースがけ つけあわせのサラダとNさんの手作り厚揚げに鶏挽き肉を入れた一品 Mさんの手作りふきの煮物】


 昨日のオープン・カフェではみんなでドイツ風ニョッキの夏野菜ソースがけ、を作りました。
私がドイツ留学中、「コレギウム・エキュメニクム」という教会が運営している寮にいたのですが
ドイツ人学生と外国人学生が半々。女性と男性も半々。神学専攻とその他の専攻の学生も半々という
構成でした。
フロアごとに共同の台所があって、いつも誰かが料理をしています。そしてそこでは、しょっちゅう持ち寄りパーテイーを開いていました。

そんな中で、ドイツ人の学生ヨハネスに教わったニョッキを、今回は作りました。
彼は調理師学校の教師になる過程を専攻。しょっちゅう、おいしいものを作って
私達にふるまってくれました。お返しに、私も日本食をごちそうしていました。
当時は、すしがブームになっていましたから、「寿司職人の皆様、ごめんなさい」
と心のなかで言いながら、お寿司を作ってはごちそうしていました。

さて、今回のレシピを紹介します。

1.じゃがいむを皮ごと蒸して、皮をむき、つぶしてふるった小麦粉と溶き卵を混ぜて
耳たぶくらいの柔らかさに練ります。
2.それを棒状にのばして、包丁で7,8ミリに切り手でコイン状にまるめ、フォークで表面に模様をつけます。
3.沸騰したお湯にニョッキを入れて、浮き上がってきたら、お湯から取り出します。

夏野菜のソースは、人参、玉ねぎ、アスパラガス、ズッキーニ、今回は鶏ささみを使いましたが
ハムやベーコン、ソーセージでもOK。食べやすく刻み、にんにくとオリーブオールで炒め、最後に
生クリーム、塩、ハーブ(今回はローズマリー)で仕上げます。

ソースは、何でもよいのです。定番のミートソースでも美味しいです。

出来上がりは、じゃがいもの甘さがほんのりと効いて、夏野菜の旨味がからまったおいしい一品となりました。

みんなで作って、みんなで食べる。
あたりまえのことですが、なんて豊かな時間なのだろうと思いました。

心のこもった栄養のバランスのあるものを、みんなで分かち合う。
食を分かち合うとは、心を分かち合うことです。

これは人間の基本の営みではないでしょうか。
でも、このあたりまえのことが成立してなくなっている人が
この日本でも大勢いることを思います。

一人ぐらしの皆さん、贅沢なものでなくていいからこころをこめて料理をして
「食」の時間をゆっくり取ってみませんか。
心と体が養われると、明日への活力も湧いてきます。

料理の仕方がわからないという方ー「まぶねランチのレシピ集」(100円)をお分けしています。

皆さん、身近な人と是非、ゆっくり「食」を分かち合う時間を持ちませんか。

まぶね教会のオープンカフェは第3火曜日の10時ー15時。
いつでも、お待ちしています。 

<懇談礼拝-尊厳死をめぐって>

 5月の懇談礼拝は、K・Sさんのお話で尊厳死をめぐってでした。終末期と
言われる数日から約3週間の間をどのようにすごすのか。

【教会の花壇の春の花々】

 現在は「胃ろう」をつけ「点滴」をして延命するケースがほとんどですが、それによってさまざまな問題が生じます。「そのとき」が来る前に、余裕をもって考える時間が必要だ、というお話でした。
懇談の時間では、家族を看取った遺族の方々からの重い発言が次々とありました。その方々の発言を聞きながら、私自身も10年前に家で看取った父の最後を思い出していました。「断末魔の苦しみ」という言葉がありますが、父を最後の瞬間まで「見守る」ことは家族3人でいくらエネルギーを注いでも足りない、と思われるほどの大仕事でした。終わりがいつなのかわかっているのなら、気持の張りを持たせることができます。しかし、その時がいつ訪れるのかわかりません。日常のさまざまな悩みとは別に、家族は死と向き合うことに耐え抜かねばならないのです。
 懇談での皆さんの発言を聞きながら、その記憶が蘇ってきました。また一人一人の発言から、あの時の決断は、本当にあれでよかったのだろうか、という人にはなかなか語れない後悔の思いも抱えながら、遺族は生きてゆくのだ、ということを実感しました。天国へ召された方の人生の重さ、それをまた抱えながら生きてゆく遺族の方々の人生の重さ。

「まっすぐに生きたいと思っていた。
 間違っていた。
 人は曲がった木のように生きる。
 きみはそのことに気づいていたか」 (長田弘「イツカ向コウデ」『死者の贈り物Ⅱ』)

という詩を思い出しました。
また、その人生の重さをこうやって分かちあえる教会という場はいいな、とここに集えることに感謝しました。 

<2014年受難節第1主日3・11東日本大震災祈念礼拝使信「誘惑を受けるイエス」>

聖書:マルコによる福音書1章12-15節
 それから“霊”はイエスを荒野に送りだした。イエスは40日間そこにとどまり、サタン
から誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。


【湖水の照り返し】
2011年3月11日東日本大震災。あれから3年がたとうとしています。
山浦玄嗣(はるつぐ)『何故と問わない』(教団出版局、2012)を読みました。その中で次のような言葉があります。

「今回のような震災が起きたことを『不条理』と捉える向きもありましたが、そもそも生そのものが不条理とも言えます。魚は人間に食べられるために、ある日巨大な網にからめ捕えられて殺されます。家畜の豚は、今日もえさがもらえると思って飼育員に走り寄ったら、屠られてしまう。人間だけそうした不条理にまったく遭わないという道理は通用しません。」「この地方の独特のスタイルに津波もあるのです。40年に一回は大津波が来て、人口の1割か2割がさらっていかれるのです。これは当たり前のことなのです。必ずこうなるのです。この世界はそういうふうにできているのです。それに文句を言っても始まりません。言うだけ無駄です。『何故』と問うこと自体に意味がないと私は思います」 
これは山浦氏の信仰告白だと私は思いました。

 我々の生は「不条理」です。イエスが神からの大いなる祝福の後にこの荒野の試みを受けたことは、この視点からわかる気がします。イエスもまた「不条理」を被る運命にある人間として生まれたのです。宣教活動を開始する前に、そのことをあえて凝縮して味わう必要がイエスにはあったのではないでしょうか。何故と問うこと自体意味がない、と山浦氏の言う厳然とした地球の秩序、神の秩序、その一部としての人間を、イエスは荒野で獣たちと共に体験したのではないでしょうか。

 「誘惑」=「試み」は、しかし結果がわかりません。それを体験しくぐりぬけたことで初めて克服できるものであって、自分が破滅するかもしれない危機と隣り合わせです。イエスが「霊」にあえて導かれて荒野に行き、試みを受けたことーそこには限りのない神の人間への愛があります。何故「試み」に導かれたのかはわかりません。しかし「試み」の中でこそ、実践的な知恵は磨かれます。主の祈りで「試みにあわせないでください」と私達は祈ります。時に「試み」にあっても乗り越えて行く勇気と力を私達に与え下さい、とこの受難節の時、祈ってもいいのではないでしょうか。しかしそれは「私」が中心になるのではなく、神が中心となる事です。神のことばを中心にすることによって、イエスも富、権力、奇跡を起こす超人的な力への誘惑を乗り越えることができたのです。
 3・11大震災の犠牲になられた人々、被災して立ち上がった人々、まだ、再建の見通しの立っていない人々、今、受難のただ中にある人々を覚えたいと思います。どんなに小さな歩みでも、受難の中にある人々と連帯しながら歩んでまいりたいと思います。試みを受けたイエスが、まず私達に先だって歩んでおられるのですから。 

東日本大震災を覚える祈り

3月11日に一番近い日曜日の3月9日。
まぶね教会では、「3・11東日本大震災祈念礼拝」を共に守りました。

詩篇46
「神はわたしたちの避けどころ、わたしたちの砦。
 苦難のとき、必ずそこにいまして助けてくださる。
 わたしたちは決して恐れない
 地が姿を変え
 山々が揺らいで海の中に移るとも
 海の水が騒ぎ、湧き返り
 その高ぶるさまに山々が震えるとも」

を司会者が読み、次の祈りを唱えました。

      <東日本大震災を覚える祈り>
司 会:主よ、2011年3月11日東日本大震災を覚えて祈ります。
    津波や地震によって亡くなった方々、行方不明の方々の魂が、
    あなたの御元で安らかに憩うことができますように。
会 衆: 主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 津波や地震で一瞬のうちに、家族や友人、大切な人々、
      家や財産、土地を失った方々の心の痛みと悲しみ、喪失感に、
      どうぞあなたが寄り添ってくださいますように。                           
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会: 仮設住宅や避難先で暮らしている人々の心身の健康が守られますように。
      そして地域の復興への希望を灯し続けることができますように。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:原発事故によって避難を余儀なくされた人々、福島で放射能に不安を覚えながら
     暮らしている人々を、特に子どもたちをお守りください。
会 衆:主よ、私達の祈りを聞き入れてください。
司 会:この大震災によって露わになった日本社会の不正義、格差、脆弱な姿を、   
     私達は目をそむけることなく見据えることができますように。
     そしてあなたの愛と平和が、この社会に実現するよう働くことができますように。
     特に被災した方々の尊厳が、大切にされる社会となりますように。
合 同:主よ、わたしたちをあなたの平和の道具としてください。
主イエスの御名によって祈ります。アーメン。 

<2014年1月12日新成人祝福式礼拝・使信「あなたはわたしの愛する子」>

石井 智恵美

マルコによる福音書1:9-11
そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受け
られた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて“霊“が鳩のようにご自分に降ってく
るのを御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に敵う者」と
いう声が、天から聞こえた。


 今日は新成人祝福式です。日本では成人が20歳になっていますが、成人となった人々への祝福の礼拝です。先週は、通過儀礼という話をしました。今までの自分の限界を超えるような出来事を体験することで、自分への自信を深め新しい人生の段階へ踏み出してゆく大切さについて。成人と言うのは、大人として認められることです。しかし、何度も言われていることですが、そこには責任が伴います。だからこそ成人になるまでに実力を蓄えることが求められるのです。

友人の結婚式でお父様が話された話しを思い出します。成人式を迎えた友人が、目の不自由な人のボランテイアを継続していて、成人式が終わると振袖姿のままでそのボランテイアへ向かって行った姿を見たお父様がその感想を話されました。他者のために働くことを当たり前のように行っている娘を見て、よい娘に育ってくれた、その姿こそ本当に成人式だ、と語ってくれました。

他者と共に生き、他者の重荷を担い、また時には自分の重荷を担ってもらう、それが成人になることです。「自立」ということが言われますが、「自立」とは決して人との関わりを断つことではありません。関わりの中で、互いに責任を負いあうこと、ではないでしょうか。

今日の聖書の言葉「あなたは私の愛する子。私の心に適う者」これは神のイエスに対する承認の言葉です。神との深いかかわりがあって、イエスは宣教の業を始められました。新しい宣教の行為を始めるにあたって、イエスはこの承認を神から頂いています。自分だけで宣教の業を始めたのではありません。

わたしたちもまた、多くの人々の無数の関わりによって育てられ、養われて来ました。「自立」ということは、何よりも自分の人生を生き抜くことです。自分の課題、自分の使命を知り、それを担うことです。それは誰かが代わってやってくれるものではないのです。その重さ、厳しさはあります。しかしその重さ、厳しさを知っている人は、だからこそ、その人がより良い人生を歩み行けるよう、互い助け合い、支え合うのではないでしょうか。またその恩を、人を育てることによって返してゆくのではないでしょうか。そこに限りのない神の祝福があることを、私は信じます。 

2014年1月6日故Kさん告別式メッセージ「愛がなければ」

聖書:コリント信徒への手紙Ⅰ 13章1-13節

【Kさんの作品「自画像」2012年まぶね芸術展出展作品】


● Kさんとまぶね教会                             
 わたしたちの敬愛するKさんが、2014年1月1日天に召されました。享年78歳でした。入院先の病院で、死因は肺炎であった、そうです。元旦の朝、教会員のYさんより、電話でKさんの訃報を知らされました。
Kさんは、このまぶね教会の前身である城南ヨハネ伝道所の時からのメンバーで、いわば教会の草創期を支えた大切なメンバーのお一人でありました。1962年、キリスト教信者のTさんと船水牧師(東京神学大学教授)の司式で結婚されてから、城南ヨハネ伝道所、その後はまぶね伝道所の立ち上げへつながり、1966年には船水牧師より受洗された、と略歴にあります。現在、教会の小礼拝堂には若き日のKさん・Tさん夫妻とYさん夫妻が、「城南ヨハネ伝道所」の看板を前にした写真が掲げてあります。Kさんはすらーっとした好青年で、すてきにコートを着こなしています。
 Kさんは「受洗はうれしい思い出」として、『まぶね便り』2003年4月27日号に以下のような文章を載せています。「教会生活で得たこと――教会生活では数え切れないほど多くのものを得たと思う。まず、キリスト教に出会うことなく人生を送っていたとしたら、私の人生は社会的にも家庭的にも決してよいものではなかっただろうと思う。キリスト教との出会いは、40年前、つれあいのTからYさん夫妻を紹介されたときからである。T、Yさんには多くのことを学び教えていただいた。」そして、うれしかったこと、として、1966年6月5日に船水先生より受けた洗礼をあげています。
 私は2010年の2月にまぶね教会に牧師として赴任し、Kさんにお目にかかったのは確か3月。パーキンソン病が進んで車椅子でおつれあいのTさんと礼拝に来られていた。そして4月にあった座間での展覧会に、Yさん夫妻に連れられてまいりました。その時の感想を教会の週報に「絵の力」としてエッセイに書きました。Kさんの絵には人を動かす力がある、と心から感動しました。病のためあまり話をすることができないKさんに代わって、Tさんが絵の制作過程や題材について等、丁寧な説明をしてくださり、Kさんの作品を一人でも多くの人に理解してほしという情熱が伝わってきてKさんへの愛情に裏打ちされていることが伝わってきました。本当に素敵な御夫妻だな、というのは、お二人に出会ったときの第一印象でした。

●Kさんと油絵
 それから、入退院を繰り返すKさんを、何度かお見舞いし、2012年銀座のギャラリーで開かれた「自画像100点展」も伺うことができ、病の中でも創作意欲の衰えないKさんの生命力に圧倒される思いがしました。教会で開かれる秋の「まぶね芸術展」にも毎回出展をしてくださっていました。Kさんの絵は大作でしたから、いつもこの礼拝堂の正面の壁に掲げられました。
 しかし、意外なことにKさんが油絵を書き始めたのは略歴によると2002年。比較的最近です。もちろん、武蔵野美術大学で学ばれたKさんですから、絵の才能は豊かにおありになったのでしょうけれども、油絵を本格的に始めたのがそんなに遅かったとは本当に意外でした。Kさんが『まぶね40年誌』(2007)に掲載されている文章によると、以下のようです。
「私が本格的に油絵を描き始めたきっかけは、第一回まぶね芸術展(2004年)に出品したのが、始まりである。油絵を描いて見たい、という下地はあった。当時Nさんが週一回我が家に来て、Tと三人で水彩絵の具で描いていた。Nさんの勧めで地元の絵画サークルに入会した。サークルの合評会に作品を出したら、僕の絵には何か訴える力がある、大和市の一般公募展に応募するようにと勧められて応募した。結果的に審査委員長賞を貰った。私の生活が一変した。家にいるのが多かった以前とは違って地元の文化祭にも積極的に参加し、多くの人と声を掛け合うようになった。体調もよくなり歩く足取りも軽くなったように思う。会う人ごとに『元気になって良かったね』といわれる。」
私が読んではっとしたは、Kさんの絵を描く姿勢があらわれている次の箇所です。
「絵を描くにに上手い下手はないと思う。技法は未熟でも見る人の心を打つような表現はあると思う。それは無心になって書いた時で、少しぐらい拙い技法でも願いが叶う。一方知らず知らずのうちに高慢になり、上手くきれいに描こうなどと考え出すと、とたんに絵は描けなくなる。筆は動かず、勢いがなくなる。秘められた潜在能力は力を失う、と言われる。願いを叶える制作は固定観念や既成概念から解放されなければならない。」 今日のお話しを準備する私を、Kさんが励ましてくれているような気がしました。大勢の人の前で、特に悲しみの内にあるご家族の前で、良いお話しをしなければ、という自分の願いに縛られると、やはり、自由に話を組み立てることはできなくなって、つまらないものになってしまうのです。そういう自分の変な気負いを捨てて、自由にやりなさい、とKさんから励まされた気がいたしました。

●「愛の賛歌」
さて、今日選んだ聖書の箇所コリントの信徒への手紙13章は、有名な「愛の賛歌」と言われる箇所で、良く結婚式などでも読まれるところです。Kさんが、私の愛唱讃美歌、愛唱聖句として教会に残しておいてくれた箇所です。
元旦の晩に、Kさんのお宅を訪ねて祈りを捧げた後に、つれあいのTさんが「おとうさんは、“ふれあい”が好きだったね」というお話しをなさいました。カラオケでも中村雅俊の「ふれあい」をよく歌っていたそうです。また、Mさんからは、教会の壮年会の飲み会でエデイット・ピアフの「愛の賛歌」を朗々と歌って、Tさんに捧げたとのお話しもうかがいました。そんなKさんらしい箇所を愛唱聖句として選ばれたのだな、と思います。「愛がなければ」と今日のお話しのタイトルにつけさせていただきました。特に1-3節にその言葉が繰り返されています。
 「たとえ人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰をもっていようとも愛がなければ無に等しい。」
ここでいう「異言」というのは、聖なる霊が降りてきて普通には理解できないようないわば聖なる言葉のことです。そのような常人を超えた卓越した能力をもっていても、山を動かすような奇跡を行う力をもっていても、愛がなければ無に等しい、とパウロは言うのです。
また「全財産を貧しい人のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければわたしに何の益もない。」
貧しい人々に、全財産を施すという大きな慈善を行っても、また、次の言葉は、信仰に殉じて命を落とすことをさしていると思われますが、人々が賞賛するような立派な行いをしたとしても、そこに愛がなければ意味がない、とパウロは言うのです。
愛がなければ、そのような立派な行いはできないのでなないか、と私達は考えてしまいますが、使徒パウロはやはり長年自分の良心を吟味し信仰を培ってきた人であるゆえに、人間の心の奥深いあやを良く見ています。たとえ人から見てどれほど立派な行為をしていても、そこに愛がない場合がある、自分の名誉心や功名心が動機となっている場合があるのだ、とその事実をつきつけているのです。

● 愛の力
私はKさんが何故、この個所を選ばれたのか、と思い巡らしました。Kさんもまた芸術家として人の心のあやを深く見つめていた方ではなかったでしょうか。私はKさんの自画像の作品群を見た時に、なにか、こちらが普段隠している奥深い次元にまで触れてくるような不思議な感覚を覚えました。
そこには、「顔」として現されている形以上のものが、人の心の奥底にうごめいているものが表現されていると思いました。そのようなKさんだからこそ「愛がなければ」無に等しい、ということを普通の人以上に感じておられたのかもしれません。
今日のこの聖書箇所を素直に朗読してみてください。ただただ心を打たれます。
「愛は忍耐強い、情け深い、ねたまない、自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、苛立たず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを偲び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
わたしたちの内にこのような素晴らしい力があるのです。愛という力がある。もちろん、このようなことを完全に行うことのできる人はほとんどいないでしょう。しかし、私たちの信じるイエス・キリストはまさにこの愛を実践した人です。この世界で、ただ愛に突き動かされ、神と人を愛し生きたイエス・キリストいう方がいた。
そのイエス・キリストに従おうという人々が、クリスチャンですから、たとえどんなに小さくても不完全でも、この愛の力を発揮しようとすること、そこにこそ、大きな意味があることを、又、Kさんも知っていたのではないでしょうか。
「たとえ、どれほどの素晴らしい芸術作品を作り上げたとしても、愛がなければ無に等しい」とKさんは信じていたのではないでしょうか。Kさんは次のような文章も残しています。「絵を描くのは楽しい。制作過程で苦しい時があるが、描き進んでいると夢中になる。私は油絵を描き始めた時から『顔」を描いている。自分を見つめているといろんな自分が出てくる。私は心が偉大なことを信じる。考え方を明確にして祈れば(願えば)神様は必ず力を下さる。求めよ、そうすれば与えられます。探しなさい、見つかります。叩きなさい、門は開かれます。(マタイ7:7)私は神様を信じます。」

●「愛がなければ」
絵を描きながらいろんな自分が出てくる、そして心が偉大なことを信じるとKさんは記しています。Kさんが、絵を描きながら究極的に見出したのは、心が偉大なこと、すなわち私達には無限の愛が宿っていること、そしてそのように人を造られた神への感謝と敬意ではなかったでしょうか。
「わたしは神様を信じます」の一言にその思いがこめられていると思います。今日の聖書の箇所にあります「愛がなければ」の言葉。このことを残された私達は、この地上の旅路を終えるその時まで、旅路の杖として歩んでまいりたいと思います。復活の希望をもって眠りについた兄弟姉妹たちと相まみえるその時まで。神が残されたご遺族の上に、特に豊かな慰めと癒しの御手を差し伸べてくださいますように、切に祈り願います。 

クリスマス礼拝での秘かな出来事

 クリスマス礼拝で、使信を語っている真っ最中のことです。いよいよお話しも佳境に入るというその時に、ピンポンというチャイムの音が牧師館の方から聞こえました。反射的に体が動きそうになりました。「今、クリスマス礼拝のしかも説教の真っ最中何ですから、出られません」と心の中で叫びながら、それでも、ピンポン、ピンポンと鳴り続けます。きっと礼拝に参加されている皆様はつゆほども気がつかなかったことでしょう。誰か気がついてくれないだろうか、いや、この位置では無理であろう…一番、チャイムの音が聞こえる位置にいるのは、使信者である私です。すると礼拝堂横の教会の事務室のドアをたたく音がして、「すいませーん、宅急便です。」との声が2,3度ありました。「お願いです。今日はよりにもよってクリスマス礼拝なんです。集中して話をさせてください」と心の中で叫びながら、話を続けていました。またも、牧師館の方で、ピンポン、ピンポンとチャイムを鳴らす音。多分、宅急便の方は、何か物音はするし、人がいるはずなのに、なぜ出てくれないのだろう、と思っていたことでしょう。礼拝の真っ最中にいる牧師が心の中で、そのような戦いをしているとは、つゆ知らずに。その方が去って静かになった後、多分、ストレスからでしょう、きーんと耳鳴りがしましたが、なんとか持ち直して最後まで、話を続けました。今思い出すと笑い話ですが、その時は必死でした。礼拝、愛餐会が終わって牧師館へ戻ると、不在表は入っていず、いったいあの宅急便は何だったのだろう、ときつねにつままれたような気になりました。きっとこの間、クリスマスの様々な行事を忙しい中こなす皆様の中にも、人知れずこんな笑い話が生まれていたかもしれませんね。

【4本のろうそくがすべて灯ったクリスマス礼拝でのアドヴェント・クランツ】 

映画『楽園からの旅人』を見て②

 先々週に書いたまぶね日誌No.147のエッセイの最後の一文について「これは不用意な表現だから削除してほしい」とのコメントが教会員の方から寄せられました。「これは『まぶね』の映画です」という一文です。確かに字数が限られている中で展開不足の言葉でしたので、最後の一文を削除することに同意しホームページの牧師のブログからも削除しました。
そこで「これは『まぶね』の映画です」以下、字数があったら展開したかったことをここで書かせてください。「まぶね」教会が、泊まる場所のなかったヨセフとマリアの子・赤子のイエスを受け入れた飼葉桶(まぶね)にちなんで、この世の最も小さくされた人々を受け入れる教会で在りたい、と願って命名されたとのこと、まぶね教会の教会誌で初めて読んだ時に心から感動しました。教会はそういう場所でありたい、と。そして映画『楽園からの旅人』で老司祭は教会が閉鎖されたその晩にやってきたアフリカからの難民たちを受け入れ、まさにこの世で最も小さくされている人々を受け入れ、「まぶね」となった新しい教会が生まれるのです。そのような心ある人々の群れになるよう、私達の原点を指し示してくれる映画でした。
 この映画は司祭の物語でもあります。難民たちを通報せずに、こっそり町の医者を呼び診療してもらう老司祭。「あなたには初めて会うが…」というと、「ええ、私は無神論者ですから教会に来たことはありません」この医者はユダヤ人で強制収容所で信仰は捨てた、と告白します。2度目にこの医者が体調を崩した老司祭を訪れた時に、老司祭は若い頃の話を始めます。自分の内に熱い恋の思いがあったこと、それを何とかくぐり抜けたその苦しさをまるで告白のように語るのです、無神論者の医者の前に。そのような体験をくぐり抜けて司祭たることを、神の前に守り抜いてきたのに、晩年は教会を閉鎖され、病と孤独の中にいる老司祭。医者は黙って聞いている。その傾聴によって誰からも見捨てられているような老司祭の孤独につかのま安らぎが与えられます。難民の子供たちの天使のような瞳。赤子の誕生。まったく思いがけないところから神の恵みが与えられる。オルミ監督のこれも信仰理解でしょう。孤独に見捨てられた十字架上のイエスと老司祭の孤独が重なります。まさにその見捨てられたような孤独の中にこそ、神の恵みが働くのだ、と。今週、イタリアを目指していたアフリカからの難民の船が難破して300人以上の犠牲者が出たことが大きく報道されていました。世界の苦しみは終わらない。だからこそ神の深い慈しみも終わらない。そのことを信じ、祈り、行動したいと思います。 

映画『楽園からの旅人』を見て

前から見たかった映画『楽園からの旅人』をなんとか時間を作って見てきました。これは教会に通う方は必見の映画です。イタリアの片田舎の教会が閉鎖される所から映画は始まります。老司祭が「主よあわれみたまえ」と隣室で必死に祈りを捧げる中、礼拝堂からは十字架や祭壇、絵画、マリア像などが次々に撤去されていきます。特に天井から木製の十字架像が撤去される時、クレーンに吊るされてキリスト像がぐるぐると回り、まるで受難のキリストがもう一度愚弄されているようでいたたまれなくなりました。老司祭も耐えられなくなり教会の鐘を鳴らします。教会管理人はあわてて窓を割って電気室に入り電源を止めて「教会にはもう誰もこない、あなたにもわかっているはずです」と老司祭をたしなめます。教会に通う者にとっては過酷な現実ですが、これがヨーロッパのキリスト教が直面している状況です。教会の礼拝に来る人がいなくなり、売りに出される教会がたくさん出ています。しかし、この教会が教会でなくなった晩に「お客」がやってきます。夜中に「助けてください!」と戸をたたく女の声。けが人がいるらしい。外にはパトカーのサイレンが響いている。アフリカからの不法入国者達らしい一群が、空になった礼拝堂に無断で入りこみ、板や布や段ボールで寝床を作り身を横たえます。出エジプトのイスラエルの民のように。あるいは宿屋に泊る場所のなかったマリアとヨセフのように。聖書の物語を彷彿させる場面が次々に登場します。夜中に父親なしで赤子を産み落とす少女。それを親身に世話しその命を捨て身で守る売買春の女性。老司祭は赤子を見て夜中の祭壇の前で「来たりて拝め」の讃美歌を涙ながらに歌います。老司祭の孤独と難民達の孤独そして赤子のイエスの孤独が響き合うのです。翌日やってきた警察に老司祭は「ここには不法侵入者はいない。いるのは客だけだ」と答えて彼らを追い返します。教会が教会でなくなったその時に教会は教会となるのです。助けを求める放浪の人々の仮の安息の場に。老司祭は「教会は信者のためだけではない。すべての人のためにある」と宣言し「善行は信仰にまさる」と語ります。それに呼応するかのような「この世の秘宝は心ある人々だ」との難民の男の言葉に、監督の現代における信仰理解が現れているようでした。打ち寄せる大波が映画の最初と最後に映し出されますが、今ぎりぎりの命の危機に直面している人類というひとつの命の去来を暗示しているような映画でした。 

『静まりから生まれるもの』

 ヘンリ・ナウエン著『静まりから生まれるもの信仰生活における三つの霊想』、このテキストを新しく始まった王禅寺家庭集会で読み合いました。ヘンリ・ナウエンはもう亡くなりましたが、イエール大学やハーバード大学の神学部で教えていたカトリックの神学者です。晩年の10年は、そのような輝かしい業績の一切を捨てて、知的ハンデイを持った仲間達との共同体「ラルシュ」のカナダの共同体に入り、周囲を驚かせました。ナウエンの著作は、現代に生きる私達の孤独や苦悩に深く触れてくるものがあり、そこでこそ神は呼びかけていてくれることを平易な文章で語りかけてくれます。原題の「out of solitude」は直訳すれば、孤独の外側とでもなるでしょうか。日本語では孤独と訳されますが、“静まり”とこの本では意訳しています。人が独りであること―そこには寂しさという負の面と、煩わしさから解放され静まるポジテイブな意味での「独り」があります。Solitudeは積極的な意味での「独り」を現します。その「独り」は、自分自身との対話の時。そこで自分であることを取り戻し、自分でしかできない発見をし、神との対話に至るのです。私達が現代社会の成果主義、業績主義に振り回されている間は、たとえ物理的に独りになっても、真の意味で「独り」ではありません。また、他者の期待や要望に振り回されているのも同様です。人は「独り」になることを恐れます。しかし、静まること、自分自身であろうと欲する勇気を持つこと、そこにこそ神は語りかけてこられる、とナウエンは語ります。繊細な洞察に満ちた信仰生活に関するエッセイです。

【大雨と竜巻が去った後の青空。雲の形がいつもと違う。雲と空の青が輝いています。】 

<夏期集会報告ースローワークー寄り添いはゆっくり進む>

 今年の夏期集会のテーマは「スローワークー寄り添いはゆっくり進む」として、東北教区被災者支援センター「エマオ」の専従者であるM.Sさんを講師にお招きしました。M.Sさんはまぶね教会の元会員で、神学生として御奉仕を戴いた方ですので、この機会を皆さん心待ちにしていたと思います。全体で31名の参加でした。午前中の講演では、まず20分の動画を見て、ボランテイアやスタッフ、被災者の生の声を聞き、具体的な活動とその想いを聴くことができました。震災初期は、全国から集まった支援物資を配ったり、津波で流されて来た瓦礫の撤去、「泥かき」などの緊急支援に力がと注がれました。しかし、今は、中長期的な支援の時期になっていて、傾聴等の心のケアが必要とされていますが、ボランテイアが集まりにくくなっている、といいます。震災初期は、だまっていても人が集まったが、今は、いかにこちらから情報発信をしてゆくかが問われていると、M.Sさんは語っていました。被災地のことが報道されることも少なくなり、多くの支援団体が縮小・撤退してゆく中で、自分多たちは忘れられているのではないか、と孤独な思いを深める被災者が増えている、と言います。しかし、何よりも印象に残ったのは、避難所で出会ったSさんという方によって、現在、エマオが拠点にしている七郷・笹屋敷の地域に、ボランテイアを受け入れてもらうことができ、エマオの活動が軌道に乗って行ったということです。JOCS派遣のN医師が、地域のリーダーであるSさんに「若者を育ててくれませんか、希望を育ててくれませんか」と依頼し、それが心に響いたSさんが動いてくれたからです。「スローワーク」と「お祈り」を大切にするというエマオの基本方針は、取りも直さず自分と他者という人間を大切するということ、また人間を超えた大きな力の中で生きていることを自覚するということではなでしょうか。自分と他者と神(自然)。この交わりの調和の中で私達も生かされています。

 当日の献金は、「エマオ」と毎年献金をしている「道北センター」へ捧げられました。また、終わっての懇親会には19名の参加。M.Sさんを囲んで楽しい時をすごしました。

【東北教区被災者支援センター「エマオ」の2年間の活動報告。読み応えがあります。1冊200円。残部在り】 

こども夏期キャンプーみんなで祈ろう③

キャンプ二日目。朝の祈りを石坂さんが担当。それから皆で朝食。石坂さんが焼いた食パンとサラダ、ゆで卵。みんなきれいにいただきました。部屋の片づけを大体おえて、「みんなで祈ろう」のプログラムⅡ。みんなでもう一回、静かに姿勢を正して沈黙のうちに坐ってみました。今度は5分と思ったけれど、女の子たちのクスクス笑いが始まって3分で終了。今の世の中で、沈黙することの豊かさをどれだけの人が感じているでしょうか。いつか子どもたちもちゃんと知る時が来ると思います。今、ここに在ることを単純に喜ぶことが、本当の幸せだということを。いえ、こどもたちはすでにわかっているのです。でも、学校の成績や人と比べられる競争を通じて、そのことがわからなくなってしまう時がある。そんな時この体験を、安心と安らぎをこどもたちが思い出してくれるように、と祈りつつ前半を終えました。後半は、「祈りのぶどうの実」をみんなで作りました。三角の紙に、丸く切ったぶどうの実に見立てた紫の紙を張ってゆきます。そしてぶどうの葉っぱは、緑の紙に自分でデザインをし、切り抜いてもらい、そこに「聖フランチェスコの平和の祈り」の一節を、それぞれに書いてもらいました。そして、白い紙には、神様への願い事を一つかいてもらいました。1時間位の作業だったでしょうか。これは結構みんな集中してやりました。具体的なものがあるとやはり違うなあ、と思いました。

【町田リス園のリス】
農伝を出発してからは、「町田りす園」を見学。可愛いリスやうさぎ、カブトムシ、亀等、こどもたちは大喜びでした。お昼をいただいて、お隣の薬師池公園の大賀ハス(古代ハス)の群生を見学しました。お昼過ぎには龍野さんもお迎えに来ていただき合流。3時に教会に到着。そして閉会礼拝をしました。ここで、さっき作った祈りのぶどうの実をそれぞれが持ち寄って、「平和の祈り」を読み上げる中、「祈りのぶどうの木」に張ってゆきました。ひとつひとつのぶどうの実が、紙に書いた木に張られてゆくたびに、豊かになって行きます。最後にそれが完成した時の達成感。こどもたちにとってキャンプのひとつの成果が見えてよかったと思いました。



迎えに来たお母さんたちとすいかを一緒に食べて解散。
5歳の男の子は本当によくがんばりました。
協力して下さった皆様に本当に感謝です!


こども夏期キャンプーみんなで祈ろう②


【バーべーキュー。皆で切った野菜。一番人気はウインナー。みんなおいしく頂きました】

 キャンプの午後は、みんなで農伝の探検。学生や近所の幼稚園に貸し出している畑を見ました。さといも、かぼちゃ、きゅうり、トマト、とうもろこし、じゃがいも、バジル、等々、様々な野菜を作っていました。農伝の寮長に畑を案内してもらい「バジルはいくらでも生えてくるから、採ってもいいですよ」と言われ、早速摘んでみました。よい香りです。こどもたちにも、翌日おみやげにTさんが包んでくれました。こどもたちと農伝の道を散策すると、オレンジ色のきのこや、こぶのついたイチョウの木、セミやカマキリ、バッタなど発見の連続です。男の子たちは、虫取り網とかごをもって虫取りに夢中。女の子たちは固まっておしゃべりに夢中。ぐるっと回って寮の入り口まで戻ると、男のたちはハチの巣を発見。「危ないからハチの巣にはちかづかないでね」と注意しましたが、後から「ハチの巣をゆすって、ハチをみんなで追い出したんだよ」と報告にくる男の子が。大人がやってはいけないということをあえてやってしまうのが子どもなんだな、とため息。こういう冒険がこどもたちを成長させるとわかっていても、何か事故があったらと心配で、親御さんたちの気持ちが少しわかりました。
 夕方はバーべキュー。皆で野菜切りをしました。昨年、玉ねぎを切りながら涙を流していた男の子たち。「もう玉ねぎ切りはやらない。こんなのは女にやらせる」と女性差別発言が飛びたしたのにはびっくりしましたが、その男の子たちが今年は進んで玉ねぎ切りをやる、と言ってくれてとても嬉しかったです。一年の進歩を感じました。こどもは成長してゆくものですね。だからこそ、大人は良い種をまかなければ、と思わされました。炭おこしがなかなかうまくゆかなくて、苦労しましたが、焼き上がった野菜やお肉は最高においしかったです。豚肉と鶏肉と1キロづつ用意しましたがすべてなくなりました。山の中の澄んだ空気の中でゆったりと暮れてゆく時を楽しみながらのバーベキューは最高でした。終わっての花火大会。Aさんの差し入れです。「私もこどものキャンプが楽しかったから」と。子どもたちは花火を心ゆくまで楽しみました。終わってキャンドル・サービスを研修棟で。切った竹の中に水を入れそこにキャンドルを浮かべます。電気を消すと「きれーい!」と声があがりました。そしてスタッフのIさんのお祈りのお話。暗闇の中、温かい優しい声がこどもたちの心身に沁み入ってゆくようでした。

【竹のキャンドル。水の上にキャンドルを浮かべています。幻想的な美しさです。】

こども夏期キャンプーみんなで祈ろう ①

【農村伝道神学校敷地内で見つけたいちょうの実】

 毎年この時期に開いている夏期キャンプですが、今年は近場の農村伝道神学校をお借りして行いました。5歳から10歳までの男の子4名、女の子3名の参加でした。車で30分もかからないところですが、山の中で気持ちの良い場所。民家がないので遠慮なく子供達も遊ぶことができました。
 さて、曇りがちの天気の中出発。農伝に着くころには晴れ間が出て、嬉しくて、林のグリーン・チャペルで開会礼拝を始めたのはいいのですが、あっという間にヤブ蚊がやってきて、礼拝の間みんなそわそわ。子どもたちはまったく集中できていませんでした。私も自分の足に食われた跡を数えたら、両足合わせて60か所ほど。これでは子どもたちも集中できなかったはずでした。蚊取り線香をつける、虫さされスプレーをするのをすっかり忘れていたのです。
 気を取り直して研修棟へ。「みんなで祈ろう」のプログラム。5歳から10歳までの子供が飽きずについてこれるプログラムを考え「からだで祈ろう」としました。5歳のこどもに聖書の言葉を説明しても無理なので、とにかくリラックスして安心することを体験する、自分の体を感じてもらうというところから始めました。歌とゲームで自分のからだをほぐして、「きゅううりもみ」でお互いのからだをほぐすことをしました。そして3分だけ姿勢を正して沈黙の内に坐ることを体験しました。「お祈りをすることは、内へ内へ集中することだよ。それから、また内側から神様へ向かって出てゆくことだよ」と話しました。そして「お祈りは神様との対話だよ。そして人と人をつなぐものだよ」と。それを3分間だけ体験してもらうことをしたのです。やっぱり3分もすると、こどもたちはそわそわ。でも、いいんです。このリーンとした感じが、からだのどこかに残ってくれれば。いつか大人になって思いだす時が来れば。

「宗教の名のもとに―映画『汚れなき祈り』を見て」




「この世界には宗教の名のもとに行われた大きな過ちがあまりにも多い。しかも、それは正当な根拠に基づいて行われていると絶対的な確信をもって信じられている」(クリステイアン・ムンジウ監督)今週は、このテーマについて大いに考えさせられました。火曜日に神奈川教区の「セクシャルハラスメント・パワーハラスメント・モラルハラスメント」の学習会がありました。教会の中であってはならないことが起こり、それが正当な根拠に基づいて行われていると信じられている。その事例の数々を考えると、気持ちが重たくなります。しかし、それがあたかもないかのごとくに目を閉ざしてしまうことが一番いけないこと。まず、そのような事実がある現実を受け止め、そこからどのように変えてゆけるのか心を開いて話し合える場を作ってゆくこと、そのような地道な努力を続けてゆくしかないのでしょう。
 ムンジウ監督の映画は、ルーマニアの修道院で実際に起こった事件に基づいています。孤児院で育った二人の若い女性が主人公で、ヴォイキツァは修道院に入り信仰生活に満足しているが、アリーナは俗世で孤独な自分の方へ彼女を取り戻したい。その愛と信仰の葛藤の中、アリーナは精神を病み、常軌を逸した行動を度々起こします。病院に行き緊急の手当てを受け、かなりの重症であることを告げられますが、病院には空きのベットがなく、修道院の静かな環境で静養するのがいい、とていよく病院を追い出されてしまいます。修道院に帰ったアリーナに、責任者の神父は、ここは世俗のすべてを捨てて神との交わりに生きるところだから、急がなくてもいいが決断をしなさい、と告げる。ここにいる限り私有財産は放棄するか、それとも里親のところへ帰るかだと。アリーナは一端、里親のところに帰りますが、里親はすでに新しい養女を取ってアリーナの部屋を使わせていて、アリーナは衝動的に修道院へ入る、と決断してしまいます。しかし、修道院に帰ると、彼女の症状はますます悪化。女子修道院長は神父に悪魔払いの儀式を願い、引くに引けなくなった神父はそれを彼女の兄の同意のもとに行い、結局は死なせてしまうのです。ヴォイキツアは1週間に渡る悪魔祓いの儀式の間、神父に「おまえの信仰には動揺がみられるから、はずれていなさい」と言われます。事実、その後ヴォイキツアは、アリーナが縛られていた縄と鍵をほどいて「逃げて。ここにいたら死んじゃうわ」とアリーナに告げます。しかし、アリーナにはもう逃げる力さえ残されていませんでした。翌朝、アリーナが正気に戻ったという知らせを受け、飛んでいったヴォイキツアに、アリーナは晴れやかな笑顔を見せます。しかし、そこでこと切れてしまうのです。救急車が呼ばれ、病院で死亡が確認されます。そして警察が修道院にやってきます。神父や修道女たちと同行したヴォイキツアは、修道女の黒いベールをはずし、アリーナの残したセーターを着て、決意を秘めたまなざしで警察の車に乗り込みます。その強いまなざしは、神父のマインド・コントロールの外へ出たことを物語っていました。ルーマニアのギリシャ正教会という家父長制の強い性格のキリスト教、また呪いや奇跡が信じられている宗教風土もその背景にはあります。しかし、どの宗教の中にも、宗教者が集団の中の暴君になってしまう危険が秘められています。一度、悪い方向へ暴走を始めた時に、どこで歯止めがかけられるのか、その兆候をどこで見分けて、適切な判断を下すか、本当にどきどきしながら、この映画を見ました。最後の場面で、警察の車のフロント・ガラスに雪まじりの泥が、バシャっとかかり前がまったく見えなくなります。ワイパーでそれを拭きとりながら「春はまだ遠いな」と警察官がつぶやき、唐突に映画は終わってしまいます。それがとても、象徴的でした。雪のように純粋と思われる信仰の中に、泥のような悪が混じりフロント・ガラスにはねかけられて、前方が見えなくなる、しかも唐突に。ー人間はそのような混沌を抱えながら、現実を生きています。善も悪も抱えながら。その現実に立つ時に「私達にこそ絶対の救いがある」という言説がどれだけ危うさを含んでいるか、キリスト者として考えて行かねばならない問題です。それは神には言えても、人間には言えないことなのです。これこそが最善だと信じ、全力を尽くしても、最後の結果を神に委ねる謙虚さをなくしてしまった時、人間の暴走が始まるのではないでしょうか。特に小さな集団において、第三者の目が入らないところには、権力の暴走がはじまります。信仰とそのハラスメントのことは今後も取り組まねばならない現代の難問だと思います。 

佐藤研さん坐禅会のお知らせ

★講師プロフィール 立教大学教授。専門は新約聖書学。研究の傍ら参禅修行を30年以上続け、師家の
 資格(宗教法人三宝教団準師家)を持つ。坐禅は宗教を超えているとの立場から、キリスト者として坐禅を
 日々実践している。著書『禅キリスト教の誕生』(2007、岩波書店)他多数。

日時:6月29日(土) 10時-16時   場所:まぶね教会和室

<当日のプログラム>
 10:00 坐り方(経行の仕方を含む)
 10:20頃から坐禅(20分を1炷)。
 その後、講話(禅の3つの果実──その1)、続いて坐禅。
 12:00頃、昼食。
 13:00から坐禅(20分を1炷)。
 その後、講話(禅の3つの果実──その2 )、続いて坐禅。
 15:30頃、質疑応答。
 16:00 終了。

★参加希望の方は前日まで申込要。お弁当持参。参加費1000円。
 関心のある方はどうぞ、どなたもご参加ください。

★このプログラムは、まぶね教会が主催者の佐藤さんへ場所を提供するものです。教会のプログラムとして継続的に開催するかどうかは未定です。 

No.139 <認知症・しょうがい、と共にどう生きるか>  

 先週は、長谷川和夫先生を迎えての懇談礼拝で、テーマは「認知症」。チラシを700枚ほど作って地域に配布しましたが、7名の方が来て下さいました。このテーマの関心の高さが伺えました。長谷川先生は、長年の知見と経験から、ユーモアと優しさに溢れたお話しをしてくださいました。深刻なテーマにも関わらず、先生の温かいお人柄に、聴く私達も温められ、励まされたような気がしています。先生が、もう待ったなしで、地域で認知症の方々を支えなければならない時代がやって来ている、と警鐘をならされました。今回、認知症の予防についての詳しいお話しがありましたが、次回は、この認知症のケアを地域でどう担いうるのか、その人材をどう養成するのか、について是非、お話しを伺いたいと思いました。
 その日の午後は、読書会で荒井英子著『弱さを絆に』の中の「ハイジ、クララは歩かなくてはいけないの?」を発表しました。ちょうど、長谷川先生のお話と重なるところがたくさんあったのでご紹介したいと思います。ヨハネ福音書9章の目の見えない男の癒しの物語で、弟子たちが何故この男が見えないようになったのか、その理由をイエスに問う場面があります。「誰が罪を犯したからですか。本人ですか。それとも両親ですか。」と、イエスは「本人や両親が罪を犯したからではない。神の業がこの人に現れるためである」と答えます。英子さんはこのイエスの答えを、因果応報説による「罪」のレッテル貼りからの解放と、捉えます。この答えは障碍をもったままで肯定される、という希望と解放を、障碍者に与えました。しかし、もう一方で「神の業が現れるために」道具化される存在が障碍者なのか?そんなレッテル張りはたくさんだ、という失望もまた与えたのです。「神の業が現れるために」という言葉は、原語において、決してその「障碍」においてではなく、「この人に対して」すべての人に、というニュアンスで表現されています。ことさら「障碍」においてではないのです。「認知症」も「障碍」も、そのことを引き受けざるを得ない当事者にとっては、「何故、私が」と問い、周囲の人々も「何故、この人が」と問わざるえない不条理です。競争社会の中ではマイナスの価値しか与えられません。しかし、それをも信仰をもって受け入れ、障碍と共に生きることを始める時に、「神の業(重たさ・臨在)」が、現れるのではないでしょうか。その答えは当事者がまずもって発見するものです。そして「障碍」ゆえに被る社会的な不利益をなくすために変わるべきは私達である、と英子さんは重い提言を残しておられます